ドリーブ:バレエ音楽「シルヴィア」
アナトゥール・フィストラーリ指揮 ロンドン交響楽団 1958年6月28日~29日録音
Delibes:Sylvia Act1 [Prelude]
Delibes:Sylvia Act1 [No.1: Scherzo]
Delibes:Sylvia Act1 [No.2: Le Berger (Pastorale)]
Delibes:Sylvia Act1 [No.3: Les Chasseresses]
Delibes:Sylvia Act1 [No.4a: Intermezzo]
Delibes:Sylvia Act1 [No.4b: Valse Lente]
Delibes:Sylvia Act1 [No.5: Scene]
Delibes:Sylvia Act1 [No.6: Cortege Rustique]
Delibes:Sylvia Act1 [No.7: Scene]
Delibes:Sylvia Act1 [No.8: Entree Du Sorcier]
Delibes:Sylvia Act1 [No.8b: Finale]
Delibes:Sylvia Act1 [Entr'acte]
Delibes:Sylvia Act2 [No.9: Orion Scene]
Delibes:Sylvia Act2 [No.10: Pas Des Ethiopiens]
Delibes:Sylvia Act2 [No.11: Chant Bachique]
Delibes:Sylvia Act2 [No.12a: Scene Et Danse De La Bacchante]
Delibes:Sylvia Act2 [No.12b: Rentree de Sylvia]
Delibes:Sylvia Act2 [No.13: Scene (Finale)]
Delibes:Sylvia Act3 [No.14a: Marche Cortege De Bacchus]
Delibes:Sylvia Act3 [No.14b: Scene]
Delibes:Sylvia Act3 [No.15a: Scene]
Delibes:Sylvia Act3 [No.15b: Barcarolle]
Delibes:Sylvia Act3 [No.16: Divertissement(a) Pizzicati]
Delibes:Sylvia Act3 [No.16: Divertissement(b) Violin solo]
Delibes:Sylvia Act3 [No.16: Divertissement(c) Strtte-Galop]
Delibes:Sylvia Act3 [No.17: Le Temple De Diane (Final)
Delibes:Sylvia Act3 [No.18: Apparition D'Endymion (Apotheose)
ハッピー・エンドかアン・ハッピー・エンドか
このバレエ作品はチャイコフスキーに絶賛されながらも長く忘れ去られていたのですが、1952年にフレデリック・アシュトンの振付で再演される事で復活しました。
最初の振り付けとそれに伴うストーリーがどのようなものだったのかは分からないので確たる事は言えないのですが、アシュトンの振り付けは物語を非常にシンプルで分かりやすいハッピー・エンドの物語にしていることは事実です。
このバレエの軸となる登場人物は狩りを好み純潔を尊ぶニンフであるシルヴィアと、そのシルヴィアに恋心を抱く狩人のアミンタの二人です。
そこに、シルヴィアが仕える狩りと貞節の女神ディアナ、シルヴィアを連れ去って誘惑する狩人のオリオン、そして愛の神エロスが脇を固めます。
第1幕では、こういうお話の約束としてシルヴィアとアミンタは出会って恋におちるのですが、ディアナの教えに従って純潔を尊ぶシルヴィアはアミンタを拒否します。そして、愛の神エロスも巻き込んでいざこざが起こるのですが、そのいざこざの中でアミンタは胸に屋矢受けて命を落とし、それを嘆き悲しむシルヴィアはオリオンに連れ去られてしまうのです。
続く第2幕では、オリオンが酒や財宝でシルヴィアを誘惑するのですがシルヴィアはそれら全てをはねつけて拒否します。そして、逆に酒オリオンに酒を飲ませることで前後不覚にしてしまいます。
一方、エロスの神の力によって生き返ったアミンタはシルヴィアを連れ戻すためにディアナの神殿に向かいます。
最後の第3幕では、エロスの神に助けられたシルヴィアはディアの神殿でアミンタと再開します。しかし、そこへシルヴィアを取り戻そうとオリオンが乗り込んできてアミンタに決闘を申し込みます。
しかし、その様な乱暴な行為を怒ったディアの女神はオリオンを打ち倒し、さらにはシルヴィアとアミンタの愛も貞節に背くものとして引き裂こうとします。
そこへエロスの神が再び現れて、若き日にディアナが愛した青年のことを思い出させます。
そして、その思い出は頑ななディアナの心を解き放ち、ついにはディアナの神意によって二人は幸せに結ばれて幕がおります。
こう書いていても恥ずかしくなるほどに(^^;単純明解な、ハリウッド版の恋愛映画のようなストーリーです。
多くの人は眉間にしわを寄せるために劇場に行くのではないのですから、埋もれていた作品を復活させるためにはこれくらいのシンプルさとハッピーさが必要だったのでしょう。
しかし、この「シルヴィア」がバレエ作品の定番として定着してくると、もう一歩踏み込んだ演出と振り付けがしたくなるのも「芸術家」の性でしょう。
最近では、パリ・オペラ座で上演された「ジョン・ノイマイヤー」の振り付けが新局面を切り開いています。
そこでは、この単純なハッピーエンドの物語はかなり「苦く」なっています。
まず、貞節を司る狩りの女神ディアはかつて美しい牧人を愛したことがあり、それを封印するために彼を永遠の眠りにつかせた過去を持っていることになっています。
さらに、アシュトン版ではシルヴィアはオリオンに連れ去られたことになっているのですが、ノイマイヤー版ではオリオンの魅力に抗しきれずに自らディアナとアミンタを捨てて、自らオリオンのもとにおもむくことになっているのです。
そして、ディアナはそんな彼女のもとを訪れて再び貞節を誓わせようとするのですが、シルヴィアはそれを拒否してさらに享楽の世界に溺れていくのです。
こうなると、ハリウッド版恋愛映画ではなくて、ドロドロの昼メロの世界に近づいていくことになります。
そして、ノイマイヤー版ではそこから一気に年月が流れ去って、髪に白いものが交じるようになったアミンタが登場して、未だ消えぬシルヴィアへの思いを吐露するのです。
そして、冬枯れのわびしい景色の中で、旅姿のシルヴィアとアミンタは再開を果たすのですが、かつてのように愛し合うことが出来ないことを悟ったシルヴィアはアミンタを残して去っていくのです。
このあたりから昼メロの世界が一気にシリアスな物語へと転調していきます。
ディアナはそんなアミンタに再び矢を向けようとするのですが、エロスの神はその手から矢を奪って去っていきます。
深い孤独の中でディアナはかつて愛した若い牧人の手を取ろうするのですが、彼女に付き従うニンフ達の声が聞こえてきたので、彼女は意を決したようにその手を離してしまいます。
ディアナは永遠の狩猟と貞節の女神として森の中に一人立ちつくして幕はおりるのです。
おそらく、アシュトン版であるならば、舞台を一度見ただけでそのストーリーは容易に理解できるでしょう。
しかし、言葉を全く用いないバレエという表現形式でノイマイヤー版のストーリーを一度で理解するのは難しいでしょう。
それだけに、興業としてその様なチャレンジは勇気あるものと言えます。
しかし、その事は同時に、ドリーブの音楽にその様な多様な解釈を許容する厚みがあると言うことを証明してみせた試みだったとも言えます。
第1幕
- 前奏曲
- フォーンとドリアード
- 羊飼い
- 狩りの女神
- 間奏曲
- ゆるやかなワルツ
- ヴィクトル・シメイスコ
- 田舎風の行列
- 情景
- 魔術師の入場と終曲
- 幕間
第2幕
- オリオンの洞窟
- エチオピア人の踊り
- バッカスの歌
- 情景とバッカスの巫女の踊り
- シルヴィアの帰還
- 終幕の情景
第3幕
- マーチ
- バッカスの行列
- バルカロールの情景
- ディヴェルティスマン:ピッツィカート
- ディヴェルティスマン:アンダンテ - ヴィクトル・シメイスコ
- ディヴェルティスマン:パ・ドゥ・エスクラーヴェ
- ディヴェルティスマン:ヴァリアシオン - ワルツ
- ディヴェルティスマン:ストレット - ギャロップ
- ディアナの神殿(終曲)
- エンデュミオンの幻影(アポテオーズ)
自分が好きな音楽を、ニコニコと肩肘を張ることもなくやり続けた人だったのでしょうか
フィストラーリに関して言えば、既に「白鳥の湖」あたりはアップしてあると思っていました。なんと言っても、彼はその作品を3回もスタジオ録音しているのですから。
しかしながら、何故か未だにアップしていないことに気づいてしまいました。
1952年にロンドン交響楽団と録音した白鳥の湖は「女王陛下の Swan Lake」と呼ばれましたし、61年録音のコンセルトヘボウ盤は演奏、録音ともに最上の一枚と評されてきたものです。
それでも、気がつけばアップされていなかったというのは、フィストラーリという指揮者の立ち位置をあらわしているのかも知れません。
フィストラーリという人は7才の時にチャイコフスキーの「悲愴」で指揮者デビューをしたという「神童」だったのですが、年を重ねるにつれてバレエ音楽や協奏曲の伴奏指揮者というポジションに落ちついてしまいました。
第2次大戦中の1943年から44年にかけてロンドンフィルの首席指揮者をつとめたことはあるのですが、それ以外はフリーの指揮者として一生を終えました。
ただし、不思議なのは、そう言う立ち位置の指揮者というのは指揮者としての評価は一段下がるというのが通り相場なのですが、そう言う世間の常識に反して随分とたくさんの録音を残した「売れっ子指揮者」だったことです。
それも、「Mercury」「EVEREST」「Capitol」のようなマイナーレーベルだけでなく、「EMI」「RCA」「Decca」というメジャーなレーベルでも数多く録音を残しているのです。
そして、その残された録音は音質的にも非常に優れたものが多いのです。
それは、どこをどう突っついてみても、カタログの空白を埋めるために二流の指揮者を雇ってやっつけ仕事で録音したような雰囲気は微塵もないのです。特に、Decca録音による「白鳥の湖(61年盤)」や、Mercury録音の「シルヴィア」などは録音史上に残ると言っていいほどの優秀録音なのです。
例えば、このシルヴィアの冒頭のプレリュードを聴くだけで、この録音が持っているただならぬ世界を感じさせられます。
あまりにもありきたりな言い方になるのですが、マッシブで豪快な音が広大な空間に広がっていく音響世界を聞かされるだけで、ウィルマ・コザートとロバート・ファインの底知れぬ才能に恐れ入ってしまいます。
それと、こういう録音のおかげで、フィストラーリがつくり出す音の世界が豊かで陰影の深い低音によって基礎づけられている事がよく分かります。そして、その素晴らしい低音の響きはこの天才エンジニアたちによって見事にとらえられているのです。
それは逆から見れば、聞き手はその豊かで陰影の深い低音を十全に再現できなければ、この演奏の魅力を引き出せないと言うことにもなるのです。
優秀録音と呼ばれるものの「優秀」さがオーディオ的虚仮威しの道具になっているのは願い下げですが、この録音のように、演奏の素晴らしさを引き出すためにその優秀さが必要にして不可欠の役割を果たしているのは最も理想的な形です。
そして、「私は音楽を聞くのであって音を聞くのではない」といって、オーディオ的献身に背を向ける人たちへの一つの異議申し立てになりうる録音と演奏になっているのです。
聞き終えてみて感じるのは、どう考えてもフィストラーリという指揮者はただの伴奏指揮者で終わってしまうような人ではないと言うことです。
ところが、何故か彼はその様な立ち位置を喜んで引き受けていたように感じるのです。
もしかしたら、彼はペーター・マークなどとはまた違う形でドロップアウトした音楽家だったのかも知れません。
キャリアのためにしのぎを削る忌まわしい現実に対して声を荒立てて異を唱えることもなく、本当に自分が好きな音楽をと肩肘を張ることもなく、それこそニコニコと、そして淡々とやり続けた人だったのでしょう。
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