ベートーベン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」 ハ短調 Op.13
(P)ヴィルヘルム・ケンプ 1965年1月11日~12日録音
Beethoven: Piano Sonata No.8 In C Minor, Op.13 "Pathetique" [1. Grave - Allegro di molto e con brio]
Beethoven: Piano Sonata No.8 In C Minor, Op.13 "Pathetique" [2. Adagio cantabile]
Beethoven: Piano Sonata No.8 In C Minor, Op.13 "Pathetique" [3. Rondo (Allegro)]
揺れ動くダイナミックな感情の表現に自らの進むべき道を見いだした
ピアノソナタという形式はベートーベンという稀代の音楽家の人生を辿る上での「道しるべ」のような役割を果たしてくれます。その視点からこの作品を眺めてみれば、これは「初期ソナタ」における一つの到達点という位置にあります。
そして、その事は、ベートーベン自身がこのソナタに「Grande Sonate Pathetique」というタイトルをつけて出版したことからも明らかです。
もちろん、これ以外のピアノソナタにもタイトルはついているのですが、その大部分はベートーベン以外の人が勝手につけたものです。
ベートーベン自身がタイトルを与えたのはこの「悲愴」と作品81aの「告別」だけです。
ベートーベンが初期ソナタの総決算として書いたこのソナタに「Pathetique(悲愴)」という感情的なタイトルをつけた背景には、ダイナミックに動き始めた社会の変化があったことは明らかです。
人々は与えられた封建的な秩序の中で静かに美しい均衡を保って生きていく事を否定し、さらにはその秩序に異議申し立てを行ってそれを破壊し、よりダイナミックに揺れ動く率直な感情を大切にし始めたのです。
そして、ベートーベンもまた一連の初期ソナタの到達点として、スタティックな古典的均衡よりは、揺れ動くダイナミックな感情の表現に自らの進むべき道を見いだしたのです。
そう考えれば、彼がこのソナタに自分の手で「Grande Sonate Pathetique」とタイトルをつけたと言うことは、それは一つの「宣言」であった事が分かります。
冒頭の一度聞いたら絶対に忘れることのない動機がこの楽章全体の基礎になっていることは明らかです。この動機をもとにした序奏部が10小節にわたって展開され、その後早いパッセージの経過句をはさんで核心のソナタ部へ突入していきます。
悲愴、かつ幻想的な序奏部からソナタの核心へのこの一気の突入はきわめて印象的です。
その後、この動機は展開部やコーダの部分で繰り返しあらわれますが、それが結果としてある種の悲壮感が楽章全体をおおうこととなります。
それがベートーベン自身がこの作品に「悲愴」という表題をつけたゆえんです。
続くAdagio楽章は、それまでに彼が書いた数多くの緩徐楽章の中ではもっとも優美な音楽であり、ベートーベン自身によって冒頭に「cantabile」と指示が為されています。
しかし、この指示を忠実に守って演奏するのはそれほど容易くはないようです。
それは、その優美さを実現するためにはフレージングの豊かさが必要であり、それは音符の数が少ないからといって弾きとばしてしまえば、さらには自分勝手な思い入れだけで演奏したのでは全てが台無しになってしまうからです。
ここに聞ける悲壮感は後期の作品における、心の奥底を揺さぶるような性質のものではありません。
長い人生を生きたものの苦さと諦観の彼方に吐き出す悲しみではなく、それはあくまでも若者が持つところの悲壮感です。
しかしながら、後期のベートーベンの作品は後期のベートーベンにしか書けなかったように、この作品もまた若きベートーベンにしか書けなかった作品です。
ここにあるのは疑いもなく「青春」というものがもつメランコリーであり、それ故に、年を重ねた人間にはかけない音楽です。
また、ローゼン先生の指摘によれば、出版社はベートーベンの「アクセント」と「スタカート」の指示を正確に読み取って区別する注意力を最後まで保持できなかったようです。
そして、このソナタの自筆譜が既に失われているために、出版譜に含まれている様々な不都合の訂正は演奏家の義務と言うことになります。
それは、どれほど新しい版の楽譜が出版されたとしても、自筆譜が失われている以上は、それを頭から無批判に受け入れることは許されないのです。
なお、最後のアレグロ楽章は主調であるハ短調で書かれているのですが、それもまた中期以降の悲劇性をもつことはなく、どちらかといえば長調の雰囲気が濃厚です。
このソナタがいかに初期ソナタにおける一つの到達点であったとしても、ベートーベンは未だロンド形式に壮大さを与えるところまでには至っていないのです。
- 第1楽章:クラーヴェ - アレグロ・ディ・モルト・エ・コン・ブリオ ハ短調 (ソナタ形式)
- 第2楽章:アダージョ・カンタービレ 変イ長調 (3部形式)
- 第3楽章:アレグロ ハ短調 (ロンド形式)
神から与えられた恩寵がケンプというエオリアンハープを通して鳴り響く演奏
演奏家の本質的な部分を考える上で「コンプリートする人」と「コンプリートにはこだわらない人」というのは一つの指標になるはずです。
しかし、世の中は常に「例外」が存在するのであって、この二分法が全く意味をなさない演奏家というものも存在します。やはり、そう言うシンプルな「図式論」で割り切れるほど現実はシンプルではないと言うことなのでしょう。
一般的にいって「コンプリートする人」というのはその一連の演奏に一貫した「論理」みたいなものが通底しています。ですから、その論理に従って一つずつの作品と丁寧に向き合い、じっくりと時間をかけて「全集」を完成させるというのが通常のスタイルです。
例えば、ピアニストで言えばバックハウスなどはその典型だと思うのですが、彼は2回目のベートーベンの全集に10年以上の時間をかけながら結果として29番のソナタを残してこの世を去りました。
モノラル録音による1回目の全集にしても1950年から1955年までの長い時間を要しています。
つまりは、じっくりと時間をかけて一つずつの作品と向き合って丁寧に仕上げていくのがそう言うタイプの演奏家の特徴なのです。
ところが、このケンプというピアニストに関しては、そう言う「常識」が通用しないのです。
外面的に見れば、彼は疑いもなく「コンプリートする人」の部類に入ります。
何しろ、彼はモノラル録音で1回、ステレオ録音で1回の計2回もベートーベンのソナタをコンプリートしているからです。最晩年には、当時は取り上げる人もそれほど多くなかったシューベルトのソナタもほぼコンプリートしています。
さらに調べてみると、ケンプは戦時中の1940年代にもベートーベンの全曲録音に取り組んでいました。
結果としてこの全集は未完成に終わったのですが、もし完成していればシュナーベルに続くコンプリートになる予定でした。
そしてもう一つ、1961年の来日の時にNHKのラジオ放送のためにベートーベンのソナタを全曲録音しているのです。
つまりは、彼はその生涯においてベートーベンのソナタの全曲録音に4回も取り組み、その内の3回は完成させているのです。
- 1940年~1943年:SP録音(未完成)
- 1951年~1956年:モノラル録音
- 1961年:ラジオ放送のためのライブ録音
- 1964年~1965年:ステレオ録音
61年のライブ録音は10月10日,12日,14日,16日,26日,27日,30日の7日間で行われています。来日時の限られた日程の中での録音だったのでそれは仕方がないことだったのですが、それ以外のセッション録音の方はクレジットを見る限りはそれなりに時間をかけて取り組んだかのように見えます。
ですから、外見上は疑いもなく「コンプリートする人」のように見えるのです。
ところが、詳しい録音のクレジットが残っている50年代のモノラル録音と60年代のステレオ録音をさらに細かく調べてみると、一見するとそれなりに時間をかけて取り組んだように見えながら、その実態は61年のライブ録音とそれほど変わりのないことに気づくのです。
例えば50年代のモノラル録音をもう少し詳しく見てみると以下のような日程で行われています。
- 1951年9月20日:作品110/作品111
- 1951年9月21日:作品90/作品106
- 1951年9月22日:作品57/ 作品78/作品79
- 1951年9月24日:作品53/作品81a
- 1951年10月13日:作品7
- 1951年12月19日:作品2-2/作品2-3/作品10-1/作品10-2
- 1951年12月20日:作品14-2/作品26/作品27-1/作品10-3/作品14-1
- 1951年12月21日:作品28/作品31-1/作品31-2
- 1951年12月22日: 作品31-3
- 1951年9月25日&12月22日:作品49-1
- 1951年10月13日&12月22日:作品2-1
- 1951年9月25日: 作品49-2/作品54/作品101/作品109
- 1953年1月23日:作品13
- 1956年5月3&4日:作品27-2
- 1956年5月4&5日:作品22
つまりは1951年の9月と12月の10日ほどの間に集中して録音がされていて、落ち穂拾いのように53年と56年に3曲が録音されているのです。
録音の進め方としては61年のライブ録音の時とそれほど大差はありません。
そして、それと同じ事がステレオ録音の方に言えるのです。
煩わしくなるのでこれ以上細かいクレジットは紹介しませんが、ザックリと言って、64年の1月に29番以降の後期のソナタを4曲録音して、その後は9月の4日間で中期の9曲、11月の4日間で初期作品を中心に12曲、そして年が明けた1月の4日間で残された7曲を録音して全集を仕上げているのです。
つまりは、誤解を恐れずに言い切ってしまえば、ケンプという人は「コンプリートにこだわらない人」の感性を持って「コンプリート」しているように見えるのです。
「コンプリートにこだわらない人」の特徴は己の感性に正直だということです。
ですから、普通そう言うタイプの人は「好きになれない音楽」「共感しにくい音楽」をコンプリートするためだけに無理して録音などはしないのですが、なぜかケンプという人は己の感性に従って淡々と録音をしていくのです。
そして、時には1950年12月20日のように、この一日だけで5曲も録音を仕上げてしまったりするのです。
ちなみにその前日には4曲を仕上げていますから、この2日間だけで全体の3分の1近くを仕上げてしまったことになります。
そして、その淡々とベートーベンの音楽を鳴り響かせるケンプの姿に接していると、ブレンデルの「ケンプはエオリアンハープである」という言葉を思い出さざるを得ないのです。
おそらく、ケンプにとってベートーベンやシューベルトの音楽は、好きとか嫌いなどと言う感情レベルで判断するような音楽ではなかったのでしょう。
それはまさに神から与えられた恩寵であり、その恩寵がケンプというエオリアンハープを通して鳴り響くだけだったのかもしれません。
風が吹けば鳴り、風が吹かなければ鳴りやむ、ただそれだけのことだったのかもしれません。
例えば、8番のパセティックの冒頭、普通ならもっとガツーンと響かせるのが普通です。29番のハンマークラヴィーアにしても同様です。
ところが、ケンプはそう言う派手な振る舞いは一切しないで、ごく自然に音楽に入っていきます。そして、その後も何事もないように淡々と音楽は流れていきます。
あのハンマークラヴィーアの第3楽章にしても、もっと思い入れタップリに演奏しようと思えばできるはずですが、ケンプはそう言う聞き手の期待に肩すかしを食らわせるかのように淡々と音楽を紡いでいきます。
普通、こんな事をやっていると、面白くもおかしくもない演奏になるのが普通ですが、ところがケンプの場合は、そう言う淡々とした音楽の流れの中から何とも言えない感興がわき上がってくるから不思議です。
おそらく、その秘密は、微妙にテンポを揺らす事によって、派手さとは無縁ながら人肌の温かさに満ちた「歌」が紡がれていくことにあるようです。
パッと聞いただけでは淡々と流れているだけのように見えて、その実は裏側で徹底的に考え抜かれた「歌心」が潜んでいます。
ケンプのモノラル録音全集に対してこういう言葉を綴ったことがあるのですが、このステレオ録音に対しても全く同じ事が、いやそれ以上にその言葉はステレオ録音の方にこそ相応しいのかもしれません。
しかし、彼の録音をさらに聞き込んでいく中で気づかされたのは、彼の魂とも言うべ「微妙にテンポを揺らす事によって」紡ぎ出される「人肌の温かさに満ちた歌」は、「徹底的に考え抜かれた歌心」ではなくて、まさに彼に吹き寄せる風によって生み出され多た「歌」だったと言うことです。そして、そう言う風が鳴り響かせる「歌」に身を任していれば、音楽にとってテクニックというものはどこまで行っても「手段」にしかすぎないと言うことを再認識させられるのです。
しかしながら、その「歌」の幻想的なまでの心地よさは認めながらも、それでもベートーベンの音楽には演奏する側にとっても聞く側にとっても「傾注」が必要だという事実にも突き当たります。
そして、ケンプの演奏はその様な「論理に裏打ちされた傾注」によって構築されたベートーベンではないことは明らかなのです。ベートーベンという音楽を象るアウトラインが曖昧であり、率直に言ってぼやけていると言われても仕方がありません。つまりは「緩い」のです。
もちろん、そう言う「傾注」と「エオリアンハープ」が同居することなどはあり得ない事ははっきりしています。
そして、その事が明確であるがゆえに、まさにそこにこそケンプの演奏の魅力と限界があると言わざるを得ないのです。
そう考えれば、彼のエオリアンハープ的資質が存分に発揮されるのはベートーベンではなくてシューベルトなんだろうと思われます。
しかし、そこから先のことはシューベルトの録音を取り上げたときに、さらに突っ込んで考えてみたいと思います。
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