ベルリオーズ:幻想交響曲 Op.14
アンドレ・クリュイタンス指揮 フランス国立管弦楽団 1955年10月13日,17日,22日~24日録音
Berlioz:Symphonie Fantastique Op.14 [1.Reveries - Passions. Largo - Allegro agitato e appassionato assai - Religiosamente]
Berlioz:Symphonie Fantastique Op.14 [2.Un bal. Valse. Allegro non troppo
Berlioz:Symphonie Fantastique Op.14 [3.Scene aux champs. Adagio]
Berlioz:Symphonie Fantastique Op.14 [4.Marche au supplice. Allegretto non troppo]
Berlioz:Symphonie Fantastique Op.14 [5.Songe dune nuit de sabbat. Larghetto - Allegro]
ベートーベンのすぐ後にこんな交響曲が生まれたとは驚きです。

私はこの作品が大好きでした。
「でした。」などと過去形で書くと今はどうなんだと言われそうですが、もちろん今も大好きです。なかでも、この第2楽章「舞踏会」が大のお気に入りです。
よく知られているように、創作のきっかけとなったのは、ある有名な女優に対するかなわぬ恋でした。
相手は、人気絶頂の大女優であり、ベルリオーズは無名の青年音楽家ですから、成就するはずのない恋でした。結果は当然のように失恋で終わり、そしてこの作品が生まれました。
しかし、凄いのはこの後です。
時は流れて、立場が逆転します。
女優は年をとり、昔年の栄光は色あせています。
反対にベルリオーズは時代を代表する偉大な作曲家となっています。
ここに至って、漸くにして彼はこの恋を成就させ、結婚をします。
やはり一流になる人間は違います。私などには想像もできない「しつこさ」です。(^^;
しかし、この結婚はすぐに破綻を迎えます。理由は簡単です。
ベルリオーズは、自分が恋したのは女優その人ではなく、彼女が演じた「主人公」だったことにすぐに気づいてしまったのです。
恋愛が幻想だとすると、結婚は現実です。
そして、現実というものは妥協の積み重ねで成り立つものですが、それは芸術家ベルリオーズには耐えられないことだったでしょう。
「芸術」と「妥協」、これほど共存が不可能なものはありません。
さらに、結婚生活の破綻は精神を疲弊させても、創作の源とはなりがたいもので、この出来事は何の実りももたらしませんでした。
狂おしい恋愛とその破綻が「幻想交響曲」という実りをもたらしたことと比較すれば、その差はあまりにも大きいと言えます。
凡人に必要なものは現実ですが、天才に必要なのは幻想なのでしょうか?それとも、現実の中でしか生きられないから凡人であり、幻想の中においても生きていけるから天才ののでしょうか。
私も、この舞踏会の幻想の中で考え込んでしまいます。
なお、ベルリオーズはこの作品の冒頭と格楽章の頭の部分に長々と自分なりの標題を記しています。参考までに記しておきます。
「感受性に富んだ若い芸術家が、恋の悩みから人生に絶望して服毒自殺を図る。しかし薬の量が足りなかったため死に至らず、重苦しい眠りの中で一連の奇怪な幻想を見る。その中に、恋人は1つの旋律となって現れる…」
第1楽章:夢・情熱
「不安な心理状態にいる若い芸術家は、わけもなく、おぼろな憧れとか苦悩あるいは歓喜の興奮に襲われる。若い芸術家が恋人に逢わない前の不安と憧れである。」
第2楽章:舞踏会
「賑やかな舞踏会のざわめきの中で、若い芸術家はふたたび恋人に巡り会う。」
第3楽章:野の風景
「ある夏の夕べ、若い芸術家は野で交互に牧歌を吹いている2人の羊飼いの笛の音を聞いている。静かな田園風景の中で羊飼いの二重奏を聞いていると、若い芸術家にも心の平和が訪れる。
無限の静寂の中に身を沈めているうちに、再び不安がよぎる。
「もしも、彼女に見捨てれられたら・・・・」
1人のの羊飼いがまた笛を吹く。もう1人は、もはや答えない。
日没。遠雷。孤愁。静寂。」
第4楽章:断頭台への行進
「若い芸術家は夢の中で恋人を殺して死刑を宣告され、断頭台へ引かれていく。その行列に伴う行進曲は、ときに暗くて荒々しいかと思うと、今度は明るく陽気になったりする。激しい発作の後で、行進曲の歩みは陰気さを加え規則的になる。死の恐怖を打ち破る愛の回想ともいうべき”固定観念”が一瞬現れる。」
第5楽章:ワルプルギスの夜の夢
「若い芸術家は魔女の饗宴に参加している幻覚に襲われる。魔女達は様々な恐ろしい化け物を集めて、若い芸術家の埋葬に立ち会っているのだ。奇怪な音、溜め息、ケタケタ笑う声、遠くの呼び声。
”固定観念”の旋律が聞こえてくるが、もはやそれは気品とつつしみを失い、グロテスクな悪魔の旋律に歪められている。地獄の饗宴は最高潮になる。”怒りの日”が鳴り響く。魔女たちの輪舞。そして両者が一緒に奏される・・・・」
青年の恋情を一編の私小説のように描き出そうとしています
クリュイタンスの幻想交響曲と言えばすでに
フィルハーモニア管とのステレオ録音をアップしてあります。そこに、わざわざ古いモノラル録音を追加する意味があるのか、さらに言えば、そう言う古い録音を聞いてみる「意味」があるのかと言われそうです。
しかし、実際にこの古いモノラル録音を聞いてみると、事情は全く逆であったことが分かります。
この55年盤で聞くことのできるフランス国立管弦楽団の響きは重くもならず引き締まりすぎることもなく、何とも言えないふんわりとした響きで、なるほど幻想交響曲というのはこういう響きで演奏してもらわないと困るよねと納得させてくれる「優れもの」です。
つまりは、55年の時点ですでにこれだけ素晴らしい録音を残しているのに、なぜ僅か3年後に、こういう作品とは決して相性がいいとは思えないイギリスのオケ、それも最もニュートラルな性格を持っているフィルハーモニア管と再録音する必要があったのか、というのが正しい問題の立て方なのです。
そして、そこにモノラルからステレオへと録音の「レギュレーション」が変わったことが反映していることに誰もが気づくはずです。
おそらく、クリュイタンスにすれば、自分にとっては名刺がわりとも言うべき幻想交響曲の「ステレオ録音」が必要だったのでしょう。それはレーベルにとっても同様で、ステレオ録音による優れた「幻想交響曲」の録音をカタログに追加したかったはずです。
そして、その時に、何度も聞かれる「録音」の特徴をもう一度見直すことで、細かい部分もキッチリ仕上げることの出来るオケとしてフィルハーモニア管を選んだのでしょう。
確かに、技術面を細かく見ていけば、このフランス国立放送管のアンサンブルは上等とは言えません。とりわけ最後の二つの楽章では、明らかにオケのバランスも崩れている部分が目につきます。
しかし、表現すべきモノもないのに表面だけを磨いた演奏よりは、多少の不都合はあっても表現すべきモノに迫っていく演奏の方が聞き手にとっては幸せを享受できます。
例えば、この古い録音では、第1楽章の冒頭から、叶わぬ恋への青年の哀しみが聞き手に伝わってきます。そして、その哀しみが次第に狂気へと駆り立てられていく様が見事に表現されています。
それはまさに、青年の恋情を一編の私小説のように描き出そうとしてるかのようです。
もちろん、作品そのものが私小説的な仕組みを持っているのですが、しかし、その面をここまで見事に描き出した演奏はそうあるモノではないでしょう。
第2楽章の舞踏会もまた、それが華やかであればあるほど、そしてその舞踏会における恋人の姿がより華やかで美しければ美しいほど、それは自分にとってはますます手の届かない存在として心を狂わしていくのです。
そして、野にある孤独が積み重なっていく中で、その孤独と狂気は殺意へと変貌していきます。そして、彼が彷徨う荒野の孤独を美しくも悲しく描き出していくオケの響きは、彼の狂気を説得力のあるもとしています。
こういう部分を聞いていると、フランスのオケの特性を知り尽くして、その美質を最大限に引き出すクリュイタンスの能力は見事と言うしかありません。
そして、遠雷の中で恋人の亡霊が浮かび上がるときに、その青年もまた精神的には死んでいることがはっきりと示されるのです。それ故に、断頭台への行進は一つの儀式にしか過ぎないことがよく分かります。
クリュイタンスの第1楽章から第3楽章に至るまでの描き方は実に見事であり、とりわけこの第3楽章の孤独から狂気と殺意に至る心理ドラマを延々と続くピアニッシモの中で描ききった力量は脱帽モノです。
そして、ここまでくれば、後の二つの楽章は放っておいてもスムーズに事が運びます。
間違っても、フィルハーモニア管の時のような中途半端な不整合は起こりようがありません。
多少のアンサンブルの乱れやバランスの悪さがあっても、フィナーレに向けた妄想の爆発へとオケを煽り立てていきます。ただし、その爆発はダイナミックレンジの拡大としてではなくて、物語の帰結として実現しているところにこの演奏の価値があります。
おそらく、今となってはこの古いモノラル録音は忘却の彼方に消えようとしているのでしょう。もちろん、58年盤も悪い演奏ではないのですが、それでもステレオと言うだけでクリュイタンスの「幻想交響曲」の代表として58年盤だけが残ることになれば、それはクリュイタンスにっては実に不幸なことだと言わねばなりません。
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