クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ベートーベン:ピアノソナタ第30番 ホ長調 作品109

(P)アニー・フィッシャー 1958年11月20日~21日録音



Beethoven:Piano Sonata No.30 in E major Op.109 [1.Vivace ma non troppo. Adagio espressivo]

Beethoven:Piano Sonata No.30 in E major Op.109[2.Prestissimo]

Beethoven:Piano Sonata No.30 in E major Op.109 [3. Gesangvoll, mit innigster Empfindung. Andante molto cantabile ed espressivo]


ピアノ作品の作曲には制約が多すぎる

ベートーベンのピアノ作品の最後を飾るのが一般的に「後期ソナタ」と呼ばれる3つのソナタです。


  1. ピアノソナタ第30番 ホ長調 作品109(1820年作曲)

  2. ピアノソナタ第31番 変イ長調 作品110(1821年作曲)

  3. ピアノソナタ第32番 ハ短調 作品111(1822年作曲)



最後のハ短調ソナタを作曲した後でもベートーベンには5年の歳月があったのですが、彼はピアノ作品の作曲には制約が多すぎると述べてこの分野から去ってしまいます。この言葉をどのように受け取るのかは難しいのですが、考えるきっかけとしては作品101のイ長調ソナタ(28番)と「ハンマークラヴィーア」と題された作品106の巨大なソナタ(29番)との関連性を見ればいいのかもしれません。

聞いてみれば分かるように、後期ソナタが持っているある種の幻想性に近いのはイ長調ソナタの方です。
それに対して、「ハンマークラヴィーア」の方はアダージョ楽章の深い幻想性に惑わされるのですが、音楽全体の形は「熱情」や「ワルトシュタイン」に通ずる構造を持っているように聞こえます。言葉は悪いかもしれませんが、作品101のイ長調ソナタから見れば、いささか「先祖帰り」したような作品になっています。
しかし、それは言葉をかえれば、ベートーベン自身にとって一度前に進み出した歩みを留めて過去の自分が辿ってきた道を総決算するような営みだったのかもしれないのです。そして、その総決算によってもう一度歩みを前に踏み出したのが、これらの後期ソナタだったと言えるのです。

だとすれば、いかにベートーベンといえども、3つの後期ソナタにおけるチャレンジはピアノという楽器を用いた音楽の一つの行き止まりだったはずです。
その、ある意味での「やりきった感」が「ピアノ作品の作曲には制約が多すぎる」という言葉になり、彼の創作活動の中心が弦楽四重奏曲の世界に収斂していったのでしょう。

その証拠に(と言うのもおかしないいかたですが)、これらのソナタは当時の聴衆にはなかなか受け入れられなかっただけでなく、その後1世紀にわたって広く受け入れられることはなかったのです。これらの音楽がコンサートのメインピースとなるのは20世紀になるのを待たなければならなかったのです。
そして、創作という分野においても、彼の中期の作品は多くの作曲家に影響を与えたのですが、この後期ソナタをかみ砕くことができた作曲家はほとんどいなかったのです。

その結果として、チャールズ・ローゼンはこれらの作品は「聞き手の積極的な参加」が求められる音楽だと述べています。つまりは、構造的に極めて複雑であり、ベートーベンが果敢に挑戦した実験的な営みを聞き分ける能力が聴衆に求められるということです。
言葉をかえれば、これらの作品はその幻想的な雰囲気に浸っているだけでも十分かもしれないのですが、もう少しベートーベンのチャレンジを聞き分けることができれば、より一層、これらの作品の凄さが分かると言うことなのでしょう。

ピアノソナタ第30番 ホ長調 作品109(1820年作曲)

第1楽章の出始めは、おかしな喩えかもしれませんが、舞台に登場したピアニストがピョコンと一礼するとそそくさとピアノに向かい、拍手が未だ鳴りやまないうちに演奏始めたような雰囲気がただよいます。
序奏もなしに主題が提示され、あっという間に属調に転調されて事が次へと進んでいきます。その驚くほどのあっさりとした進行は、フィナーレで変奏主題がもう一度帰ってきてあっさりと終わるのと一対を為しているように聞こえます。
つまりは目立つことなく控えめに始まり、目立つことなくひっそりと終わるという一対です。

しかし、チャールズ・ローゼンも語っているように、その目立たない両端部は控えめに見えながらも非常に多くのものを演奏者に求める部分でもあります。

開始部における弱拍の効果を出しながら右手の2声を音色の変化も意識しながら演奏するのはかなり難しいようです。
最後の部分もあっさりと見えながらもバス声部が追加されてより重厚な響きで歌う(cantabile)事が要求されているのです。
このあたりをどれくらい上手く処理しているかで演奏者がどれほどしっかりと物事を考えているかが見えてくるのかもしれません。

ただし、この作品で一番の聞き所は変奏曲形式で書かれたアンダンテ楽章でしょう。この楽章は6つの変奏から成り立っているのですが、「molto cantabile ed espressivo」となっているように「より表情豊かに歌う」ことが求められています。しかし、その背後には「テンポは変えては駄目」というベートーベンの指示も読み取る必要があります。表情豊かに歌うことに足下をすくわれてテンポが揺れるようでは駄目なのです。

また、この楽章の頂点が第4変奏にあることは明らかなのですが、この遅いテンポを際だたせるために第3変奏が大きな役割を果たしています。同じく、第5変奏の複雑な対位法が最後の第6変奏の簡素な出だしが強く印象づけられます。
つまりは、ベートーベンの実験精神はその様な細部に至るまで「音楽の構造」を突き詰めることにあったようです。
ただし、私のような凡には、ローゼン先生の解説を読んでも、そしてそれをもとにスコアとにらめっこしても、なかなか理解できないのが辛いところです。


  1. 第1楽章:Satz Vivace, ma non troppo

  2. 第2楽章:Prestissimo

  3. 第3楽章:Andante molto cantabile ed espressivo



強靱なタッチによって音楽の隅々にまでくっきりと光を当てることでベートーベンの複雑さを解き明かした演奏


アニー・フィッシャーというピアニストは、その実力のわりには認知度が低いのですが、それは演奏家を「演奏会」を通してではなくて「録音」を通して知ることが多いというこの国の宿命がもたらしたものでした。
「アニー・フィッシャー=録音嫌い」という数式が成り立つくらいに録音の数が少ないピアニストなのですが、そのあたりの事情については「録音嫌い~アニー・フィッシャー」という一文にまとめたことがあります。興味のある方は目を通してみてください。

1914年生まれなので、その全盛期は50~60年代ということになるのでしょうが、その時期に為した録音はCDに換算して10枚にも満たなのです。
そして、そのレパートリーもモーツァルト、ベートーベン、シューベルト、シューマンという「王道」が大部分と言えば聞こえがいいのですが、頑なまでに範囲が狭いのです。

こんなストイックな音楽活動では人気が出るはずもありません。
この世界は、そう言うストイックさよりは、聞き手の要求に応えて、例えば耳あたりのよいリストの有名作品を次から次へと弾きとばしていくような売り方の方が受けがよくなると言うものです。

ただ、私もまた、それほど偉そうなことは言えません。
彼女は50年代の後半から60年代の初めにかけてある程度まとまった数のベートーベンのソナタを録音しているのですが、その中から「悲愴」と「月光」という有名どころだけをアップして後は忘れてしまっていたのです。更新記録を確認すると、この時期にバックハウスやアラウのソナタも集中してアップしていたので、少しベートーベンのソナタは一休みしようと考えたようで、結局はそのまま残された録音を追加することを忘れてしまったようなのです。

やはり、私の中でも認知度は低かったようです。
そして、そこでふと気づくのです。

クラシック音楽の世界でピアノのソリストとして生きていくためには、これほどまでに見事にピアノを弾きこなす能力が必要なのかという当たり前すぎる現実と、そして、それだけの能力で弾きこなした録音はどれもこれもが立派なものではありながら、それでも数多くの偉大なピアニストたちが残した録音の中に放り込まれれば、それらを押しのけて一等抜きんでているとは言い難い現実の厳しさについてです。

つまりは、商品のクオリティだけで勝負していたのではどうにも分が悪いのがこの世界なのです。ですから、どうしても商品以外の部分に何らかのプラスαを付け加えないと生き残っていけないので、あれやこれやの物語を付け加えたりお水系で売り出したりと涙ぐましい努力をするのです。それでも、そんなプラスαはすぐに剥がれ落ちてしまいますし、何よりも肝心の本人がおっ死んでしまえば後には何も残りません。
そう言えば、美術の世界では画家が亡くなれば絵の価値は一気に半分になるという話を聞いたことがあります。
芸術の世界で生きていくというのは何とも厳しいことです。

ソリストを目指すような連中は子どもの頃から厳しいレッスンに明け暮れて、古い録音などを聞く機会はないと言います。そして、多くの人は訳知り顔でそれでは音楽に「深み」が出ないなどと気楽に言ったりしています。
しかし、過去という歴史の中で積み重ねられてきた録音と真摯に向かい合ってしまえば、よほど鈍感な神経の持ち主でもなけれ同じ道を目指そうとは思わないでしょう。
世の中には、知らないと言うことが幸せにつながることもあるのです。

アニー・フィッシャーが50年代から60年代にかけて録音したベートーベンのピアノソナタを録音順にまとめると以下の7つです。


  1. ピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」 ハ長調 作品53 1957年6月3,4,12,13日録音

  2. ピアノソナタ第24番「テレーゼ」 嬰へ長調 作品78 1958年10月14日録音

  3. ピアノソナタ第8番 ハ短調 「悲愴」 作品13 1958年10月12~14日録音

  4. ピアノソナタ第30番 ホ長調 作品109 1958年11月20,21日録音

  5. ピアノソナタ第14番「月光」 嬰ハ短調 作品27-2 1958年11月18~20日&1959年1月5日,2月5日録音

  6. ピアノソナタ第32番 ハ短調 作品111 1961年6月13~15日録音

  7. ピアノソナタ第18番 変ホ長調 作品31-3 1961年6月14,17日録音



まず聞いてみて最初に感じるのは驚くほどに強靱なタッチだと言うことです。

女流ピアニストで強靱なタッチと言えばリリー・クラウスですが、あれはモーツァルトでの強靱さであって、こちらはベートーベンでの強靱さなので、ダイナミックレンジ的に比較すれば次元が異なります。
この強靱さをブラインドで聞かされれば、まさか女性が演奏しているとは思わないでしょう。それほどの強さがフィッシャーのピアノからは放出されています。
ピアニストを女性だ男性だと分けることには意味がないことが多いのですが、彼女ほど「女流」ピアニストという表現が意味を持たない人は珍しいでしょう。

そして、彼女のもう一つの特徴は、その強靱なタッチゆえにか、音楽が内に沈潜していくのではなくてひたすらに外に向かって放出していくことです。
その外向性が強靱なタッチと出会えば、結果として彼女の音楽はこの上もなく健康的なものになります。

彼女のピアノは言ってみれば一つの光源のようなものであり、ベートーベンのピアノソナタという立体物の複雑な構造をくっきりと照らし出します。
ですから、ただ端に健康的というレベルをこえて、時には抽象化された二進法の世界のようにも聞こえるのです。(フォルテとピアノの極端なコントラスト!!)

ただし、その照らし出す光で浮かび上がってくるベートーベンという立体構造物の姿は、フィッシャーによる徹底した「譜読み」という「主観」によって描き出されたものであることには注意する必要があります。

彼女のピアノはいわゆるザッハリヒカイトという、ともすれば内容空疎な「呪文」に陥ることはなく、どの部分をとっても強烈な自己主張によって貫かれています。
そして、こういう演奏に接するたびに、スコアに帰れと言う即物主義が本当に意味を持つためには「作曲家の意志に忠実」などと言う実体の伴わない曖昧さに寄りかかるのではなくて、スコアと主観性を徹底的に闘わせることが必要なのだと感じてしまいます。

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