クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

シューマン:交響曲第2番 ハ長調 作品61

エルネスト・アンセルメ指揮 スイスロマンド管弦楽団 1965年4月録音



Schumann:Symphony No.2 in C major Op.61 [1.Sostenuto assai - Allegro, ma non troppo]

Schumann:Symphony No.2 in C major Op.61 [2.Scherzo: Allegro vivace]

Schumann:Symphony No.2 in C major Op.61 [3.Adagio espressivo]

Schumann:Symphony No.2 in C major Op.61 [4.Allegro molto vivace]


スコアに手を入れるべきか、原典を尊重するべきか

作曲家であると同時に、評論家であったのがシューマンです。
その最大の功績はショパンやブラームスを世に出したことでしょう。

しかし、音楽家としてのシューマンの評価となると、その唯一無二の魅力は認めつつも、いくつかの疑問符がいつもつきまといました。特に交響曲のオーケストレーションは常に論議の的となってきました。
曰く、旋律線を重ねすぎているためどこに主役の旋律があるのか分かりにくく、そのため、オケのコントールを間違うと何をしているのか分からなくなる。
そして、楽器を重すぎているため音色が均質なトーンにならされてしまい、オケがいくら頑張っても演奏効果もあがらない、などなどです。

そんなシューマンの交響曲は常に舵の壊れた船にたとえられてきました。
腕の悪い船長(指揮者)が操ると、もうハチャメチャ状態になってしまいます。オケと指揮者の性能チェックには好適かもしれませんが、とにかく問題の多い作品でした。

こういう作品を前にして、多くの指揮者連中は壊れた舵を直すことによってこの問題を解決してきました。その直し方が指揮者としての腕の見せ所でもありました。
最も有名なのがマーラーです。
自らも偉大な作曲家であったマーラーにとってはこの拙劣なオーケストレーションは我慢できなかったのでしょう。
不自然に鳴り響く金管楽器やティンパニー、重複するパートを全部休符に置き換えるというもので、それこそ、バッサリという感じで全曲に外科手術を施しています。
おかげで、すっきりとした響きに大変身しました。

しかし、世は原点尊重の時代になってくると、こういうマーラー流のやり方は日陰に追いやられていきます。
逆に、そのくすんだ中間色のトーンこそがシューマン独特の世界であり、パート間のバランス確保だけで何とか船を無事に港までつれていこうというのが主流となってきました。

特に、原典尊重を旗印にする古楽器勢の手に掛かると、まるで違う曲みたいに響きます。
モダンオケでもサヴァリッシュやシャイーなどは原典尊重でオケをコントロールしています。

しかし今もなおスコアに手を入れる指揮者も後を絶ちません。(ヴァントやジュリーニ、いわゆる巨匠勢ですね。)
そう言うところにも、シューマンのシンフォニーのかかえる問題の深刻さがうかがえます。

しかし、演奏家サイドに深刻な問題を突きつける音楽であっても、、聞き手にとっては、シューマンの音楽はいつも魅力的です。。
例えば、この第3楽章のくすんだ音色で表現される憂愁の音楽は他では絶対に聴けないたぐいのものです。これを聞くと、これぞロマン派のシンフォニーと感じ入ります。

そんな私は、どちらかといえばスコアに手を加えた方に心に残る演奏が多いようです。その手の演奏を最初に聞いてシューマン像を作り上げてしまった「すり込み現象」かもしれませんが。
色々と考えさせられる音楽ではあります。

アンセルメの演奏は極めて安定していて明晰です。それはもう、明晰すぎるほどに明晰です。


アンセルメにとってシューマンの交響曲というのはメインのプログラムではないでしょう。
モノラル時代に1番、ステレオになってから2番を録音をしているのですが、おそらくそれだけでしょう。

しかし、シューマンの交響曲というのは今でこそそれなりに評価が定着してロマン派を代表する作品として位置づいているのですが、50~60年代においては演奏される機会が少なく、特に、第2番の交響曲などは「聞いたこともない」という人が多数を占めるようなマイナー作品だったようです。

そして、それは評価が確立した今も似たような面があって、演奏会などで取り上げられる機会はそれほど多くはありません。
やはり、オーケストレーションなどに問題が多く「舵の壊れた船を操作」するような難しさが伴うからでしょう。

その事を思えば、このアンセルメの演奏は極めて安定していて明晰です。それはもう、明晰すぎるほどに明晰です。

ただ、問題なのは、シューマンの交響曲にとって隅から隅まで明晰に響くというのは「褒め言葉」なのかどうかです。
シューマンの特長は色んな楽器を次から次へと重ねてしまって、結果としていささかくすんだような中間色の響きになってしまうことです。それはオーケストレーションの常識から言えばあまり好ましいものではないので、多くの指揮者はそれぞれのやり方でスコアに「手を入れる」のがなかば常識となっていました。

このアンセルメの明晰な響きも、間違いなくアンセルメ流のやり方でスコアに手を入れている可能性が高いと思われます。
とは言え、私には録音とスコアを照らし合わせて、どこをどのように「手を入れて」いるのかを聞き取れるようなスキルは持ち合わせていません。しかし、昨今の「原典尊重」でスコアに手を入れていない演奏を聞き比べると響きの質は明らかに異なりますし、その「違い」は演奏のクオリティという範疇にとどまらないように思われます。

そして、「明晰」であることが必ずしも「褒め言葉」にならないのは、その中間色のくすんだ響きをどのように捉えるかという問題があるからです。

アンセルメが活躍しした時代は、その響きはシューマンの「杜撰」さの産物だと考えられていました。
しかし、最近はその様な響きによって描き出される世界にこそシューマンの本質があると考えられるようになってきています。原典尊重は常に錦の御旗なのですから当然と言えば当然のスタンスですし、実際魅力ある世界を描き出してくれるのも事実なのです。

しかし、それでもなお、今の時代にあってもスコアに手を入れることを躊躇わない指揮者もいますから、この問題はそれほど簡単にけりがつくものではないようです。

ただし、同じように手を入れると言っても、その入れ方には随分と差があります。
「原典尊重の鬼」みたいないわれ方をされるセルもまたスコアに手を入れていますが、ここまでクッキリシャッキリとした響きにはなっていません。
スコアに手を入れているのかどうかは確認できていませんが、コンヴィチュニーなどは実にくすんだ響きを聞かせてくれるので、このアンセルメの演奏と較べるとまるで別の作品のようにすら聞こえてしまいます。

そして、このアンセルメの異響きに一番近しいのはパレーの演奏でしょう。
両者ともに根っこはフランスですね。
「ドイツ」を「フランス」がかみ砕けばこうなるという見本のようなものでしょうか。

なお、交響曲第1番は1951年のモノラル録音なのですが、録音エンジニアは「Victor Olof」なので、驚くほどの切れ味のある音で演奏がとらえられています。
「Victor Olof」といえば、DECCAの表看板だった「ffrr」というハイファイ録音技術の開発したことで知られているのですが、それ以上に、録音における録音会場の重要性を真っ先に認識したことこそ評価すべき人物でしょう。DECCAは「Victor Olof」の耳で確認して「OK」が出た会場しか録音には使いませんでしたから、「Victor Olof」は「DECCAの音を作った人」と称されました。

ただ、残念なのは、ステレオ録音の時代にはいると彼が録音の現場から離れてしまったことなのですが、そでも「Kenneth Wilkinson」などがその伝統を引き継いでいきました。
ちなみに、1965年録音の交響曲第2番の録音エンジニアは「James Lock」です。
彼もまた「手を叩くだけでホールの音響特性が判断できる」と言われる耳の持ち主でした。こういう連中がゴロゴロいたのがDECCAの凄いところだったのです。

ただし、そう言う優れた録音陣によって提供された演奏と、来日時の演奏との落差が大きかったので、「アンセルメの演奏は録音によるマジック」だと言われて評判を下げてしまったのは気の毒でした。来日時にはすでに音楽監督を退任していましたし、その翌年には亡くなってしまったのですから、到底本調子と言える状態ではなかったようです。
しかし、その事がこの国では彼の評価押し下げる要因となりつづけたのですから、この世の中、何が功となり、何が躓きの石となるか分かったものではありません。

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