ブラームス:ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 作品15
(P)アルトゥール・ルービンシュタイン:エーリヒ・ラインスドルフ指揮 ボストン交響楽団 1964年4月21日&22日録音
Brahms:Piano Concerto No.1 in D minor Op.15 [1.Maestoso]
Brahms:Piano Concerto No.1 in D minor Op.15 [2.Adagio]
Brahms:Piano Concerto No.1 in D minor Op.15 [3.Rondo. Allegro non troppo ]
交響曲になりそこねた音楽?
木星は太陽になりそこねた惑星だと言われます。その言い方をまねるならば、この協奏曲は交響曲になりそこねた音楽だといえます。
諸説がありますが、この作品はピアノソナタとして着想されたと言われています。それが2台のピアノのための作品に変容し、やがてはその枠にも収まりきらずに、ブラームスはこれを素材として交響曲に仕立て上げようとします。しかし、その試みは挫折をし、結局はピアノ協奏曲という形式におさまったというのです。
実際、第1楽章などではピアノがオケと絡み合うような部分が少ないので、ピアノ伴奏付きの管弦楽曲という雰囲気です。これは、協奏曲と言えば巨匠の名人芸を見せるものと相場が決まっていただけに、当時の人にとっては違和感があったようです。そして、形式的には古典的なたたずまいを持っていたので、新しい音楽を求める進歩的な人々からもそっぽを向かれました。
言ってみれば、流行からも見放され、新しい物好きからも相手にされずで、初演に続くライプティッヒでの演奏会では至って評判が悪かったようです。
より正確に言えば、最悪と言って良い状態だったそうです。
伝えられる話によると演奏終了後に拍手をおくった聴衆はわずか3人だったそうで、その拍手も周囲の制止でかき消されたと言うことですから、ブルックナーの3番以上の悲惨な演奏会だったようです。おまけに、その演奏会のピアニストはブラームス自身だったのですからそのショックたるや大変なものだったようです。
打ちひしがれたブラームスはその後故郷のハンブルクに引きこもってしまったのですからそのショックの大きさがうかがえます。
しかし、初演に続くハンブルクでの演奏会ではそれなりの好評を博し、その後は演奏会を重ねるにつれて評価を高めていくことになりました。因縁のライプティッヒでも14年後に絶賛の拍手で迎えられることになったときのブラームスの胸中はいかばかりだったでしょう。
確かに、大規模なオーケストラを使った作品を書くのはこれが初めてだったので荒っぽい面が残っているのは否定できません。1番の交響曲と比較をすれば、その違いは一目瞭然です。
しかし、そう言う若さゆえの勢いみたいなものが感じ取れるのはブラームスの中ではこの作品ぐらいだけです。私はそう言う荒削りの勢いみたいなものは結構好きなので、ブラームスの作品の中ではかなり「お気に入り」の部類に入る作品です。
敵の敵は味方?
ルービンシュタインというピアニストは最後まで己のテクニックに対するコンプレックスがあったようです。「鍵盤の王様」とまで讃えられた存在でありながら、それは不思議なことなのですが、そのコンプレックスはいろいろなところに顔を出します。
もっとも有名なのはフリッツ・ライナーとの諍いです。
ライナーという男は協奏曲の伴奏なんてむかないように見えるのですが、意外と真面目にやっています。ただし、それは相手がホロヴィッツとかハイフェッツとか、若手ならばバイロン・ジャニスとかギレリスのように「腕」が確かな場合でした。そして、共演するソリストが己の要求する技量に達していないと感じたときには遠慮のない態度を取ります。
ブラームスや
ラフマニノフで共演を続けてきたライナーとルービンシュタインなのですが、56年に、よせばいいのに難曲中の難曲とも言うべきラフマニノフの3番に取りかかってしまいます。
しかし、全く自分のプログラムに入っていなかったこの作品にルービンシュタインは苦戦します。
そう言うルービンシュタインの姿に対してライナーは馬鹿にしたような態度を取ります。同じところでミスを繰り替えすルービンシュタインに対して言ってしまうのです。
「ピアニストが練習をするので20分間休憩します。」
この言葉に頭に来たルービンシュタインは食ってかかります。
「あなたのオーケストラはミスをしないのですか?」
それに対するライナーの言葉は一言。
「しない!」
その言葉にぶち切れたルービンシュタインは憤然として録音会場を去ってしまいます。
言うまでもないことですが、ラフマニノフの3番と言えばホロヴィッツの代名詞です。そして、ライナーの冷笑を「お前とホロヴィッツとでは全くレベルが違う」と受け取ってしまったのでしょう。
ルービンシュタインの人生に於いてホロヴィッツの存在は大きな意味を持っていました。そして、その存在は常に己のテクニックに対するコンプレックスを植え付けるものだったのですが、その存在があったからこそ90才近くまで現役として活躍できた事も事実でした。
しかし、そこは決してふれてはいけない部分だったのでしょう。
また、彼が審査員を務めていたショパン・コンクールで、「今ここにいる審査員の中で、彼より巧く弾けるものが果たしているであろうか」とポリーニを激賞したのは有名な話ですが、それもどこか彼の中にあるコンプレックスの裏返しのように聞こえたりもするのです。
彼は控えめに「今ここにいる審査員の中で」と言っていますが、本当は「ホロヴィッツよりも上手く弾ける」と言いたかったはずです。
その因縁のライナーとブラームスの協奏曲を録音してから10年後にラインスドルフと同じ作品を録音します。
ここでふと気づいたのですが、ルービンシュタインとラインスドルフと言えば、ライナーという共通の「敵」を持つ二人でした。
ラインスドルフと言えば、ライナーとリヒテルが仲違いして宙ぶらりんになった録音の後始末をした人でした。ラインスドルフはそれをきっかけにRCAとのコネクションを強め、あわよくばシカゴ響のシェフに収まりたかったのですが、その経緯を聞いて激怒したライナーがあらゆる手段を使ってそれを阻止したのでした。
このあたり、どれもこれもが大人げないと言えば大人げないのですが、少なくとも「芸術」と「人間性」の間には何の関係もないことだけはよく分かります。
ラインスドルフとルービンシュタインの顔合わせはベートーベンの「皇帝」だと思うのですが、最初はどこかギクシャクしていた関係が次第にうち解けていく様子がうかがえます。もしかしたら、そのうち解けていく材料を提供したのがライナーだったのかもしれません。
ラインスドルフは冒頭の出だしは「皇帝」の時と同じように気迫満々で入っていきます。
しかし、それを受けたルービンシュタインのピアノは実に優しく叙情的に入ってくるのです。
おっと、これはどうなるのかな!と思わせるのですが、そこで明らかにラインスドルフはキアチェンジします。おそらく、前回の皇帝の録音で、ルービンシュタインは昔のルービンシュタインでないことを感じていたものが、この出だしの部分で確信に変わったのでしょう。
それならば、自分を出汁にされることはないと思えたのか、スッと、この偉大なピアニストのサポートに回ります。
結果として、この作品が内包している叙情性が見事に浮き上がる演奏になっているのです。
セルとカーゾンによる録音は、ピアノつきの交響曲と呼ばれるこの作品の真価を見事に形にしたものでしたが、このルービンシュタインとラインスドルフによる演奏はそれとは違う魅力がこの作品にはあることを明らかにしています。
晩年のルービンシュタインは、こういう風に自分の持ち味を大事してくれる指揮者と組むことで、最後の最後までいい仕事をすることが出来ました。
しかし、おのれの道を信じて突き進み、結果として回りが敵だらけになってしまったライナー生き方にシンパシーを感じるのは、どうしてでしょうか。
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