ベートーベン:ヴァイオリンソナタ 第9番 イ長調「クロイツェル」 Op.47
(Vn)ジノ・フランチェスカッティ (P)ロベール・カサドシュ 1958年5月12日~14日録音
Beethoven:Violin Sonata No.9 in A major, Op.47 Kreutzer [I. Adagio sostenuto - Presto]
Beethoven:Violin Sonata No.9 in A major, Op.47 Kreutzer [II. Andante con variazioni]
Beethoven:Violin Sonata No.9 in A major, Op.47 Kreutzer [III. Finale. Presto]
ベートーベンのヴァイオリンソナタの概要
ベートーベンのヴァイオリンソナタは、9番と10番をのぞけばその創作時期は「初期」といわれる時期に集中しています。9番と10番はいわゆる「中期」といわれる時期に属する作品であり、このジャンルにおいては「後期」に属する作品は存在しません。
ピアノソナタはいうまでもなくチェロソナタにおいても、「後期」の素晴らしい作品を知っているだけに、この事実はちょっと残念なことです。
ベートーベンはヴァイオリンソナタを10曲残しているのですが、いくつかのグループに分けられます。
作品番号12番の3曲
まずは「Op.12」として括られる1番から3番までの3曲のソナタです。この作品は、映画「アマデウス」で、すっかり悪人として定着してしまったサリエリに献呈されています。
3曲とも、急(ソナタ形式)-緩(三部形式)-急(ロンド形式)というウィーン古典派の伝統に忠実な構成を取っており、いずれもモーツァルトの延長線上にある作品で、「ヴァイオリン助奏付きのピアノソナタ」という範疇を出るものではありません。
しかし、その助奏は「かなり重要な助奏」になっており、とりわけ第3番の雄大な楽想は完全にモーツァルトの世界を乗り越えています。
- ヴァイオリンソナタ 第1番 ニ長調 Op.12-1:習作的様相の強い「第2番」に比べると、例えば、ヴァイオリンとピアノの力強い同音で始まる第1主題からしてはっきりベートーヴェン的な音楽になっています。
- ヴァイオリンソナタ 第2番 イ長調 Op.12-2:おそらく一番最初に作曲されたソナタと思われます。作品12の中でも最も習作的な要素が大きい作品といえます。
- ヴァイオリンソナタ 第3番 変ホ長調 Op.12-3:変ホ長調という調性はヴァイオリンにとって決してやさしい調性ではないらしいです。しかし、その「難しさ」が柔らかで豊かな響きを生み出させています。「1番」「2番」と較べれば、もう別人の手になる作品になっています。また、ピアノパートがとてつもなく自由奔放であり、演奏者にかなりの困難を強いることでも有名です
作品23と作品24のペア
続いて、「Op.23」と「Op.24」の2曲です。この二つのソナタは当初はともに23番の作品番号で括られていたのですが、後に別々の作品番号が割り振られました。
ベートーベンという人は、同じ時期に全く性格の異なる作品を創作するということをよく行いましたが、ここでもその特徴がよくあらわれています。悲劇的であり内面的である4番に対して、「春」という愛称でよく知られる5番の方は伸びやかで外面的な明るさに満ちた作品となっています
- ヴァイオリンソナタ 第4番 イ短調 Op.23:モーツァルトやハイドンの影響からほぼ抜け出して、私たちが知るベートーベンの姿がはっきりと刻み込まれた作品です。より幅の広い感情表現が盛り込まれていて、そこにはやり場のない怒りや皮肉、そして悲劇性などが盛り込まれて、そこには複雑な多面性を持った一人の男の姿(ベートーベン自身?)が浮かび上がってきます。
- ヴァイオリンソナタ 第5番 へ長調 Op.24:この上もなく美しいメロディが散りばめられているので、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタの中では最もポピュラリティのある作品です。着想は4番よりもかなり早い時期に為されたようなのですが、若い頃のメロディ・メーカーとしての才能が遺憾なく発揮された作品です。
作品30の3曲「アレキサンダー・ソナタ」
次の6番から8番までのソナタは「Op.30」で括られます。この作品はロシア皇帝アレクサンドルからの注文で書かれたもので「アレキサンダー・ソナタ」と呼ばれています。
この3つのソナタにおいてベートーベンはモーツァルトの影響を完全に抜け出しています。そして、ヴァイオリンソナタにおけるヴァイオリンの復権を目指したベートーベンの独自な世界はもう目前にまで迫っています。
特に第7番のソナタが持つ劇的な緊張感と緻密きわまる構成は今までのヴァイオリンソナタでは決して聞くことのできなかったスケールの大きさを感じさせてくれます。また、6番の第2楽章の美しいメロディも注目に値します。
- ヴァイオリンソナタ 第6番 イ長調 Op.30-1:秋の木漏れ日を思わせるような、穏やかさと落ち着きに満ちた作品です。ベートーベンらしい起伏に満ちた劇性は希薄なので演奏機会はあまり多くないのですが、好きな人は好きだという「隠れ有名曲」です。
- ヴァイオリンソナタ 第7番 ハ短調 Op.30-2:ハ短調です!!ベートーヴェンの「ハ短調」と言えば、煮えたぎる内面の葛藤やそれを雄々しく乗り越えていく英雄的感情が表現される調性です。この作品もまたベートーヴェンらしい悲痛さと雄大さを併せもっているので、「春」「クロイツェル」に次ぐ人気作品となっています。
- ヴァイオリンソナタ 第8番 ト長調 Op.30-3:7番の作曲に全力を投入したためなのか、肩の力が抜けてシンプルな作品に仕上がっています。ただし、そのシンプルさが何ともいえない美しさにつながっていて、人というのは必ずしも、何でもかんでも「頑張れ」ばいいというものでないことを教えてくれる作品です。
作品47
そして、「クロイツェル」と呼ばれる、ヴァイオリンソナタの最高傑作ともいうべき第9番がその後に来ます。
「ほとんど協奏曲のように、極めて協奏風に書かれた、ヴァイオリン助奏付きのピアノソナタ」というのがこの作品に記されたベートーベン自身のコメントです。
ピアノとヴァイオリンという二つの楽器が自由奔放かつ華麗にファンタジーを歌い上げます。中期のベートーベンを特徴づける外へ向かってのエネルギーのほとばしりが至るところで感じ取ることができます。
ベートーベンがこのジャンルにおいて目指した「ヴァイオリンソナタにおけるヴァイオリンの復権」という目標はここで完成され、ロマン派以降のヴァイオリンソナタは全てこの延長線上において創作されることになります。
- ヴァイオリンソナタ 第9番 イ長調「クロイツェル」 Op.47:若きベートーベンの絶頂期の作品です。この時代には「交響曲第3番(英雄)」「ピアノ・ソナタ第21番(ワルトシュタイン》)「ピアノ・ソナタ第23番(熱情)」が生み出されているのですが、それらと比肩しうるヴァイオリンソナタの最高傑作です。
作品96
そして最後にポツンと取り残されたように創作された第10番のソナタがあります。
このソナタはコンサート用のプログラムとしてではなく、彼の有力なパトロンであったルドルフ大公のために作られた作品であるために、クロイツェルとは対照的なほどに柔和でくつろいだ作品となっています。
- ヴァイオリンソナタ 第10番 ト長調 Op.96:「クロイツェル」から9年後にポツンと作曲された作品で、長いスランプの後に漸く交響曲第7番や第8番が生み出されて、孤高の後期様式に踏み出す時期に書かれました。クロイツェルの激しさとは対照的に穏やかな「田園的」雰囲気にみちた作品となっています。
情に溢れた演奏
カサドシュとフランチェスカッティという、この時代の大御所も言うべき二人によって、ベートーベンのヴァイオリンソナタが録音されています。
まず始めにクロイツェルと10番、1番のソナタが58年に録音され、残りは1961年にまとめて録音しています。最初から全集として仕上げるつもりがあったのかどうかは分かりませんが、実に不思議な録音スケジュールです。
ただし、58年の録音は5月12日から14日にかけての3日間、61年は10月2日から7日にかけての6日間という短期集中で行われています。最初の録音が1番、9番、10番というどう考えても変則的な取り上げ方なので、おそらくは「全集」と言うことは見すえていたのでしょうが、それにしてもその後に3年も空くというのは不思議な話です。
それだけ売れっ子の二人で、なかなかスケジュールが合わなかったのでしょうか。
しかし、この時代にこの組み合わせで、よくぞ録音を残してくれたものだと感謝します。
この二人はともにフランス生まれのフランス人であり、ともに戦火を逃れてアメリカに渡ったという経歴を持っています。カサドシュは明確に亡命し、フランチェスカッティは39年のアメリカデビューで渡米したままニューヨークに腰を据えてしまいました。
カサドシュは戦後の50年に帰国を果たすのですが、それでも活動の中心はアメリカでした。(このソナタ全集は調べてみるとフランスで録音されています。)
そう言う経緯もあってこの二人は気があったのか、戦後の早い時期からたくさんの録音を残しています。
ですから、このベートーベンのソナタでも、月並みな言い方ですが非常に気のあった演奏を展開しています。
このクロイツェルでは、ピアノからヴァイオリン、そしてピアノへと実にスムーズに歌が受け継がれていきます。
そして、ヴァイオリンが綿々と歌い継いでいく場面ではピアノのサポートも素晴らしいのですが、その美しさはフランチェスカッティの歌う能力があってこそですね。
しかしながら、このソナタは、そうやって歌うことよりは、ヴァイオリンとピアノが対等の立場で協奏的に音楽を構築してるところにこそ価値があるのだと解説されます。ベートーベン自身が「「ほとんど協奏曲のように、極めて協奏風に書かれた、ヴァイオリン助奏付きのピアノソナタ」と記しているのですから、それはその通りなのでしょう。
しかし、そういう「理」の部分だけでこの音楽が出来上がっているわけではありません。トルストイはこのソナタが人の情欲を刺激す力があるというようなことをどこかにかいていたような記憶があります。
つまりは、この音楽にはそう言う「情」の力にも溢れているのです。
しかしながら、演奏家というものが誰も彼もがお利口で漂白された存在になっていくので、そう言う「情」の部分よりは取り澄ました顔で「理」を前面に出す演奏ばかりです。
最近もとある方から50年代や60年代の録音ばかり取り上げて馬鹿じゃないのか、と言うメールをいただきました。
全くおっしゃるとおりで、お利口な方は漂白されたような最近の塩素、じゃくなく(^^;、演奏を聞いておられればいいのだと思います。
しかし、私は馬鹿なので、いつまでもこういう「情」に溢れた演奏を聴いていたいのです。
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