クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

リスト:巡礼の年 第1年「スイス」 S.160

(P)アルド・チッコリーニ 1961年11月27日~28日 & 12月4日~5日録音



Liszt:Premiere annee: Suisse, S.160 [1.Chapelle de Guillaume Tell]

Liszt:Premiere annee: Suisse, S.160 [2.Au lac de Wallenstadt]

Liszt:Premiere annee: Suisse, S.160 [3.Pastorale]

Liszt:Premiere annee: Suisse, S.160 [4.Au bord d'une source]

Liszt:Premiere annee: Suisse, S.160 [5.Orage]

Liszt:Premiere annee: Suisse, S.160 [6.Vallee d'Obermann]

Liszt:Premiere annee: Suisse, S.160 [7.Eglogue]

Liszt:Premiere annee: Suisse, S.160 [8.Le mal du pays]

Liszt:Premiere annee: Suisse, S.160 [9.Les cloches de Geneve]


リストという不世出のピアニスとの有為転変が刻み込まれた音楽

リストの「巡礼の年」は、彼の20代から60代に至る音楽の遍歴が刻み込まれた作品集だと言われます。ただし、そう言われるからといって、リストがこの作品を20代から60代に至る長きにわたって書き続けたというわけではありません。
まず始めに、全体をざっと概観しておきましょう。こういう規模の大きな作品集というのは、最初に概観しておくことがとても大切です。


  1. 第1年「スイス」:1835年から36年にかけて作曲(24才~25才)→19曲からなる「旅人のアルバム」として1842年に出版→「旅人のアルバム」をもとに追加・改訂・編集を行って全9曲からなる作品集として1855年に出版

  2. 第2年「イタリア」:1838年より作曲が開始され1839年にはほぼ完成(27才~28才)→1858年に出版

  3. ヴェネツィアとナポリ(第2年補遺):1840年に作曲(29才)→1859年(48才)に2曲を改訂、1曲を追加して完成→1861年に出版

  4. 第3年:大部分の作品が1877年に作曲(65才)→1883年に出版



つまりは、20代から60代にわたって書き続けたといわれればその通りなのですが、実態としては作品の大部分は20代に書かれた作品であり、最後の「第3年」だけがポツンと離れた60代の作品なのです。しかし、その20代の作品には30代から40代のリストの手が加えられているのです。

ですから、非常にザックリとした言い方をすれば、第1年「スイス」は若きリストの清潔でスッキリとした音楽が聴けます。しかし、その事は、リストの作品に名人芸がもたらす陶酔感を期待するムキにはいささか不満が残る作品と言うことになります。
それに対して第2年「イタリア」こそは、もっともリストらしい作品集だと言えるでしょう。「ヴェネツィアとナポリ(第2年補遺)」も第2年「イタリア」と同じテイストが貫かれています。
そして、第3年は晩年のリストに特徴的な宗教的・禁欲的な雰囲気で彩られています。

と言うことで、作曲年代だけに限ってみれば大きな隔たりが存在しているのですが、音楽としてはリストという不世出のピアニスとの有為転変が刻み込まれていることには確かなのです。

巡礼の年 第1年「スイス」

この作品の背景にはマリー・ダグー伯爵夫人との逃避行が存在します。
リストは1831年にニコロ・パガニーニの演奏を聴いて感銘を受け、自らもピアノのパガニーニになることを決心します。そして、超絶技巧のピアニストとしての名声が高まっていく中で出会ったのがマリー・ダグー伯爵夫人だったのです。

亡命フランス貴族の娘として生まれたマリーは1827年にダグー伯爵と結婚し2人の娘を設けます。そんな彼女がパリでリストと出会い駆け落ちをしてしまったのです。この時既に彼女は妊娠をしていたようで、その身重の体で彼女はバーゼルでリストと落ち合い、その後はザンクトガレン、ヴァーレンシュタット、リギ山、そしてウィリアム・テルの聖堂を経てアンデルマットから谷を下り、フルカ峠を越えてブリークに泊まり、そこからレマン湖へ出てジュネーヴへと向かったと伝えられています。
おそらくこの逃避行には確とした見通しはなかった思われます。おそらくは、かなり絶望的な状況の中でスイスの街を転々としたものと思われるのですが、その様な過酷な状況を身重の体で耐え抜いたマリーの強靱さには驚かされます。
そして、その過酷な旅の中で出会った様々な印象をリストもまた音楽に書き留めていきます。

そんな彼らがようやく腰を落ち着けることができたのがジュネーブであり、リストもまたこの逃避行の中で書き続けた音楽をもとにこの地で19曲からなる「旅人のアルバム」のアルバムを書き上げます。
「巡礼の年 第1年 スイス」はこの「旅人のアルバム」をもとに編集された作品集であり、1855年に出版されました。


  1. ウィリアム・テルの聖堂:ウィリアム・テルゆかりの聖堂の荘厳さを音楽化しているが、旧作からはかなり手が加えられて充実した音楽に変身しています。

  2. ヴァレンシュタットの湖で:バイロンの『チャイルド・ハロルドの巡礼』からの一節が引用されているとのこと。右手はアルペンホルンのメロディー、左手は湖水を行く舟を漕ぐ櫓の動きを表しているます。

  3. パストラール:スイス山岳地帯の牛飼いの歌に基づく音楽。これもまた旧作からはかなり改訂されていてほとんど別作品に近いものになっています。

  4. 泉のほとりで:「第1年」の中で最も有名な音楽で、シラーの詩の一節「囁くような冷たさの中で、若々しい自然の戯れが始まる」が記されている。ここには晩年の「エステ荘の噴水」に繋がっていく響きが聞き取れます。

  5. :この作品は出版に際して新しく追加された作品です。この作品集の中ではリストの名人芸が堪能できる数少ない作品です。

  6. オーベルマンの谷:この作品集の中では取り立てて長大な作品であり、これだけが単独で演奏される機会が多い。なお、オーベルマンの谷はスイスに実在せず、セナンクールの小説「オーベルマン」に着想を得て主人公の苦悩や感情の移ろいを描いている。

  7. 牧歌:牛追い歌などのの民謡をもとにリストが作曲した作品で、「オーベルマンの谷」の深刻な表現を聞いた後ではホッとした気分にさせてくれる音楽です。旧作にはなく、おそらくは1835年頃に書かれた作品をもとにして追加されたものだと考えられています。

  8. 郷愁:出版に際して大改訂を施されて収録された作品です。オーベルマンの「自分の唯一の死に場所こそアルプスである」という望郷の念を音楽で表現したのですが、それは同時にかつての苦難のの逃避行へのリスト自身の郷愁がこめられていたのかもしれません。

  9. ジュネーヴの鐘:マリーとの間に生まれた長女ブランディーヌの無事を祈る安らぎに満ちた音楽。出版に際して半分程度の規模に編集されている。



若き時代の刻苦精励


「リストの作品が少ない!!」とよく言われてきました。
なかには、「ショパンの作品はあんなにたくさんアップしているのに、リストの作品は本当に少ない、さては奴はリストを名人芸だけのつまらぬ音楽と誤解しているんだろう」等と言われたりもしました。

しかし、これはどこかで一度書いたような気はするのですが、リスト作品があまりアップされていないのはその様な「評価」にまつわるような難しい話ではなくて、そもそもパブリック・ドメインとして公開できる音源が少ないという極めて単純にして明解な理由に基づくものなのです。

興味のある方は調べてみれば納得していただけると思うのですが、ショパンの作品は「ピアニスト」を商売にしている音楽家ならば必ず録音しています。しかし、リストを録音している「ピアニスト」となると急に数が減ってしまいます。その背景にはリストの音楽に対する「評価」もあったのでしょうが、それよりもリストの作品をリストらしく演奏することの困難さも大きく影響していたと思われます。

そんな歴史的背景を知ってみると、50年代からリストの作品を積極的に取り上げていたチッコリーニの「やる気」には感心させられます。
彼は、リストを代表するピアノ作品である「巡礼の年」を54年と61年の2回にわたって録音しています。

チッコリーニという人は非常に息の長い演奏家でした。
2015年に89才でこの世を去るのですが、その直前まで現役のピアニストとして活動をしていました。晩年は日本とも縁が深く、毎年のように来日公演を行っていて、90才を迎える2016年にも公演が予定されていたほどです。
ピアニストには長命の人が多く、その最期まで現役として活動を続ける人は多いのですが、その少なくない部分が「誰か止める人はいないのか!」と言いたくなるような醜態をさらすことは少なくありません。しかし、チッコリーニはそう言う中にあって、疑いもなく「希有な例外」だったようです。
私は彼のコンサートに足を運んだことはないので人の受け売りの域を出ないのですが、それでも多くの人が晩年のチッコリーニの変貌ぶりに驚き、そして称賛を惜しまないのです。

若い頃のチッコリーニは一言で言えば「明晰」なピアニストでした。その事は、彼のファースト・レコーディングだったスカルラッティのソナタ集の時から明確に刻印されていました。
音色はどこまでもからりと乾いていて、一つ一つの音はまるでチェンバロのようにころころとよく転がるのです。そして、彼の名刺代わりだったサティなんかを聞くと、いつもパリッとした粋な雰囲気が漂っていました。

ただ、それはそれなりに美質としては感じながらも、時によっては、そして作品によってはもっとどろっとした「情念」みたいなものが欲しくなるときはありました。
ここで聞けるリストもまたある意味ではあっけらかんとしたクリアな響きと強固な形式感によって貫かれています。トレモロなんかも、驚くほど一音一音が明確に聞こえるので、そこからはふわっとした幻想的な感覚はほぼ皆無です。
しかし、それこそが若い時代のチッコリーニなんですね。

彼はこういう音楽を地道にやり続けることで、結果として自分の音楽の根っこと土台を強固なものにしていきました。そして、その事が年をとって衰えが出てきたときに、その衰えに相応しい音楽にチェンジする余裕を与えたのでしょう。
晩年のチッコリーニの音楽が、若い頃と較べて本当に素晴らしいものだったのかは私には分かりません。しかし、それは「醜態」でなかったことだけは確かなようですし、その「変貌」を遂げた音楽が多くの人を魅了したことも事実のようです。
しかし、晩年の彼の音楽を特徴づけるふんわりとした響きの底には、若き時代にクリアな響きを駆使したテクニックがあってこその話であることは間違いないことです。

これを若手の連中が下手に真似して得意になっていると、後で待っているのは悲惨な老後と言うことになるのでしょう。
年を経て飄々と事を成し遂げられるためには、若き時代の刻苦精励こそが必要だと言うことを、このリストの録音は教えてくれるような気がします。

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