クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ハイドン:交響曲第102番 変ロ長調 Hob.I:102

オットー・クレンペラー指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 1965年10月録音



Haydn:Symphony No.102 in B Flat major, Hob.I:102 [1.Largo - Vivace]

Haydn:Symphony No.102 in B Flat major, Hob.I:102 [2.Adagio]

Haydn:Symphony No.102 in B Flat major, Hob.I:102 [3.Menuet (Allegro) - Trio]

Haydn:Symphony No.102 in B Flat major, Hob.I:102 [4.Finale (Presto)]


ザロモン演奏会の概要

エステルハージ候の死によって事実上自由の身となってウィーンに出てきたハイドンに、「イギリスで演奏会をしませんか」と持ちかけてきたのがペーターザロモンでした。
彼はロンドンにおいてザロモンコンサートなる定期演奏会を開催していた興行主でした。
当時ロンドンでは彼の演奏会とプロフェッショナルコンサートという演奏会が激しい競争状態にありました。そして、その競争相手であるプロフェッショナルコンサートはエステルハージ候が存命中にもハイドンの招聘を何度も願い出ていました。しかし、エステルハージ候がその依頼には頑としてイエスと言わなかったために、やむなく別の人物を指揮者として招いて演奏会を行っていたという経緯がありました。
それだけに、ザロモンはエステルハージ候の死を知ると素早く行動を開始し、破格とも言えるギャランティでハイドンを口説き落とします。
そのギャラとは、伝えられるところによると、「新作の交響曲に対してそれぞれ一曲あたり300ポンド、それらの指揮に対して120ポンド」等々だったといわれています。ハイドンが30年にわたってエステルハ?ジ家に仕えることで貯蓄できたお金は200ポンドだったといわれますから、これはまさに「破格」の提示でした。
このザロモンによる口説き落としによって、1791年1792年1794年の3年間にハイドンを指揮者に招いてのザロモン演奏会が行われることになりました。そして、ハイドンもその演奏会のために93番から104番に至る多くの名作、いわゆる「ザロモンセット」とよばれる交響曲を生み出したわけですから、私たちはザロモンに対してどれほどの感謝を捧げたとして捧げすぎるということはありません。

第1期ザロモン交響曲(第93番~98番)
1791年から92年にかけて作曲され、演奏された作品を一つにまとめて「第1期ザロモン交響曲」とよぶのが一般化しています。この6曲は、91年に作曲されて、その年に初演された96番と95番、91年に作曲されて92年に初演された93番と94番、そして92年に作曲されてその年に初演された98番と97番という三つのグループに分けることが出来ます。

<第1グループ>

  1. 96番「奇跡」:91年作曲 91年3月11日初演

  2. 95番 :91年作曲 91年4月1日or4月29日初演


<第2グループ>

  1. 93番:91年作曲 92年2月17日初演

  2. 94番「驚愕」:91年作曲 92年3月23日初演


<第3グループ>

  1. 98番:92年作曲 92年3月2日初演

  2. 97番:92年作曲 92年5月3日or5月4日初演



91年はハイドンを招いての演奏会は3月11日からスタートし、その後ほぼ週に一回のペースで行われて、6月3日にこの年の最後の演奏会が行われています。これ以外に5月16日に慈善演奏会が行われたので、この年は都合13回の演奏会が行われたことになります。
これらの演奏会は「聴衆は狂乱と言っていいほどの熱狂を示した」といわれているように、ザロモン自身の予想をすら覆すほどの大成功をおさめました。また、ハイドン自身も行く先々で熱狂的な歓迎を受け、オックスフォード大学から音楽博士号を受けるという名誉も獲得します。
この大成功に気をよくしたザロモンは、来年度もハイドンを招いての演奏会を行うということを大々的に発表することになります。

92年はプロフェッショナルコンサートがハイドンの作品を取り上げ、ザロモンコンサートの方がプレイエルの作品を取り上げるというエールの交換でスタートします。
そして、その翌週の2月17日から5月18日までの12回にわたってハイドンの作品が演奏されました。この年は、これ以外に6月6日に臨時の追加演奏会が行われ、さらに5月3日に昨年同様に慈善演奏会が行われています。

第2期ザロモン交響曲(第99番~104番)

1974年にハイドンはイギリスでの演奏会を再び企画します。
しかし、形式的には未だに雇い主であったエステルハージ候は「年寄りには静かな生活が相応しい」といって容易に許可を与えようとはしませんでした。このあたりの経緯の真実はヤブの中ですが、結果的にはイギリスへの演奏旅行がハイドンにとって多大な利益をもたらすことを理解した候が最終的には許可を与えたということになっています。
しかし、経緯はどうであれ、この再度のイギリス行きが実現し、その結果として後のベートーベンのシンフォニーへとまっすぐにつながっていく偉大な作品が生み出されたことに私たちは感謝しなければなりません。

この94年の演奏会は、かつてのような社会現象ともいうべき熱狂的な騒ぎは巻き起こさなかったようですが、演奏会そのものは好意的に迎え入れられ大きな成功を収めることが出来ました。
演奏会はエステルハージ候からの許可を取りつけるに手間取ったために一週間遅れてスタートしました。しかし、2月10日から始まった演奏会は、いつものように一週間に一回のペースで5月12日まで続けられました。そして、この演奏会では99番から101番までの三つの作品が演奏され、とりわけ第100番「軍隊」は非常な好評を博したことが伝えられています。


  1. 99番:93年作曲 94年2月10日初演

  2. 101番「時計」:94年作曲 94年3月3日初演

  3. 100番「軍隊」:94年作曲 94年3月31日初演



フランス革命による混乱のために、優秀な歌手を呼び寄せることが次第に困難になったためにザロモンは演奏会を行うことが難しくなっていきます。そして、1795年の1月にはついに同年の演奏会の中止を発表します。しかし、イギリスの音楽家たちは大同団結をして「オペラコンサート」と呼ばれる演奏会を行うことになり、ハイドンもその演奏会で最後の3曲(102番?104番)を発表しました。
そのために、厳密にいえばこの3曲をザロモンセットに数えいれるのは不適切かもしれないのですが、一般的にはあまり細かいことはいわずにこれら三作品もザロモンセットの中に数えいれています。
ただし、ザロモンコンサートが94年にピリオドをうっているのに、最後の三作品の初演が95年になっているのはその様な事情によります。
このオペラコンサートは2月2日に幕を開き、その後2週間に一回のペースで開催されました。そして、5月18日まで9回にわたって行われ、さらに好評に応えて5月21日と6月1日に臨時演奏会も追加されました


  1. 102番:94年作曲 95年2月2日初演

  2. 103番「太鼓連打」:95年作曲 95年3月2日初演

  3. 104番「ロンドン」:95年作曲 95年5月4日初演



ハイドンはこのイギリス滞在で2400ポンドの収入を得ました。そして、それを得るためにかかった費用は900ポンドだったと伝えられています。エステルハージ家に仕えた辛苦の30年で得たものがわずか200ポンドだったことを考えれば、それは想像もできないような成功だったといえます。
ハイドンはその収入によって、ウィーン郊外の別荘地で一切の煩わしい出来事から解放されて幸福な最晩年をおくることができました。ハイドンは晩年に過ごしたこのイギリス時代を「一生で最も幸福な時期」と呼んでいますが、それは実に納得のできる話です。

頑固爺クレンペラーの真骨頂


クレンペラーのハイドンの録音のクレジットを眺めていると、なるほどと気づかされることがあります。それは2曲ずつがワンセットで録音されているのです。

1960年1月録音:1961年リリース

  1. 交響曲第98番変ロ長調

  2. 交響曲第101番ニ長調「時計」



1964年10月録音:1965年リリース

  1. 交響曲第88番ト長調

  2. 交響曲第104番ニ長調「ロンドン」



1965年10月録音:1966年リリース

  1. 交響曲第100番ト長調「軍隊」

  2. 交響曲第102番変ホ長調



1970年2月録音

  1. 交響曲第95番ハ短調



1971年9月録音

  1. 交響曲第92番ト長調「オックスフォード」



つまりは、LPレコードの裏表に1曲ずつ収まるように録音をしてはリリースしていたのです。最後の95番と92番は70年と71年に録音されていますが、ファースト・リリースはこの2曲がカップリングされています。(1972年初発)
クレンペラーと言えば偏屈爺の代表みたいな存在だと思っていたのですが、これを見る限りではプロデューサーであるレッグの言うことを真面目に聞いていたようで、彼の思わぬ側面を見たような気がしました。

しかし、録音そのものはレーベルの意向に添ったものであったとしても、音楽に関しては「これぞクレンペラー!」という優れものです。ただし、今の時代になってみれば賛否両論のある演奏であることもまた事実です。
はっきり言って、時代様式を考えれば、これは「勘違い」以外の何ものでもありません。
それは私も認めます。
ハイドンは、自分が作曲したシンフォニーが、150年後にこのような響きで再現されるなどと言うことは想像もしなかったでしょう。

しかしながら、もしもハイドンが現在に蘇ってこの演奏を聴けば、それを「勘違い」として腹をたてたでしょうか?
言葉をかえれば、ハイドンは、彼が生きた18世紀のオケで演奏される響きこそが最も優れたものだと考えていたのでしょうか?

もしもそうならば、現在の演奏家達はそれぞれの作品が作曲された時代の楽器を復元し、その当時の演奏スタイルを研究してそっくりコピーすれば、それが最も作曲家の意志に「忠実」な演奏であり、それこそが最も「正しい」姿だと言うことになります。
つまりは、どれほど優れた作曲家といえども、その視線は決して時代の制約を超えるものではないと言うことです。

しかし、私はバッハやハイドンやモーツァルト、ベートーベンという存在が、その様な「小さな」存在だったとは到底思えません。

ハイドンは長生きしました。彼がこの世を去った1809年という年は、既にベートーベンは6曲の交響曲を完成させていました。ハイドンがそれらの交響曲を実際に聞いたことがあるのかどうかは分かりませんが、それがどのような音楽であったかは十分に知っていたはずです。
だとすれば、自らが書いたこれらの小振りな交響曲が、クレンペラーという頑固爺の手によってまるでベートーベンのように再現されるのを聞けば、大いに気をよくして感謝の意を表したのではないかと想像するのです。まあ、感謝したかどうかは分かりませんが、少なくともニヤリとして腹をたてたりはしなかったはずです。

とは言え、最近はピリオド演奏を推進する連中も自らの主張を「正しい」という視点でごり押しするのではなく、漸くにして「様々な解釈の一つ」として提示するようにはなってきました。ただ、解釈の一つと言うことになると、こういう爺さん達の演奏と同じ土俵で勝負しなければいけなくなるので、そうなるとやはり旗色は悪いようです。

爺さん達の録音は何十年経っても機会があるたびに再発されますが、ピリオド演奏の多くは殆ど再発されることもなく入手するのも困難になっています。とは言え、それはモダン楽器を使った録音に於いても事情は同じです。
結局、ピリオド演奏であれ、モダン楽器を使った演奏であれ、生き残るのは意味ある解釈として録音された一握りのものだけです。

そして、私は何処まで行ってもピリオド楽器を使った「解釈」が好きになれないと言うことです。

よせられたコメント

2017-01-13:Joshua


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