クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ラフマニノフ:交響曲第3番 イ短調 作品44

ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1954年11月7日録音



Rachmaninoff:Symphony No.3 in A minor, Op.44 [1.Lento - Allegro moderato]

Rachmaninoff:Symphony No.3 in A minor, Op.44 [2.Adagio ma non troppo - Allegro vivace]

Rachmaninoff:Symphony No.3 in A minor, Op.44 [3.Allegro - Allegro vivace - Allegro (Tempo primo) - Allegretto - Allegro vivace]


資料が乏しい!!

 今回この作品をアップしようと言うことであれこれ調べてみたのですが、あきれるほど資料が少ないので驚いています。ラフマニノフといえば基本的にはピアノの人と言うことで交響曲はそれほど注目されていないと言うことが一つ、さらに交響曲といえば2番だけがトレンディドラマとの関連で有名になり、1番と3番は眼中にないということがもう一つ、さらに言えば1番は初演の大失敗というエピソードがラフマニノフを語るときには欠かせないものであり、その関わりでふれられることはあっても3番となるとそういう話題もないということ・・・等々があげられるのでしょうか?

ラフマニノフの作曲家としての活動は基本的にはロシア革命による亡命によって終わっているといっても言いすぎではありません。(言い過ぎかな・・・^^;)
 ピアノ協奏曲第2番の成功で自信を回復したラフマニノフはその後順調に作曲活動を展開していきます。ところが、16年に練習曲集「音の絵」を完成させた後はパッタリと筆が止まってしまっています。いかに没落貴族の息子であったとは言え、ロシアにおいては生活に困ると言うことはなかったのでしょう。しかし、アメリカに亡命した後には生きていくためには演奏家としての活動を優先させるしかなかったのでしょう。さらに、友人から作曲をしない理由を聞かれて「どうやって作曲するというんだ、メロティーがないのに… それに長い間ライ麦のささやきも白樺のざわめきも聞いていないんだ」と答えたという話しも有名です。
 つまりは、ロシアという根っこから引っこ抜かれたラフマニノフには霊感が舞い降りてこなかったと言うことです。

 そんな彼が再び本格的に作曲活動に舞い戻って仕上げたのが、この交響曲の3番と、彼の最後の作品となった交響的舞曲だといえます。ピアニストとしての名声を確立し生活に憂いもなくなった彼はスイスの別荘で作曲に没頭します。そして、仕上げられた作品から聞こえてくるのは疑いもなくロシアへの郷愁です。
 しかし、この作品からはラフマニノフの専売特許のように言われる甘いメロディやメランコリックな憂愁は後景に追いやられています。それは、売れるためにある面では聴衆に迎合してきた彼が、その最晩年においてそういう世俗のことには煩わされずに書きたいものを自由に書いたという風情も感じられます。しかし、1936年11月6日に、ストコフスキーの指揮するフィラデルフィア管弦楽団によって初演されたのですが成功と言えるようものではありませんでした。しかし、そんな作品に目を付けてコンサートで再三取り上げたのがイギリスの指揮者ウッドでした。そして、イギリスにおいてはそのおかげをもって一定の評価を確立することになるのですが、
1番初演のトラウマなのでしょうか、その後も何度か改訂を繰り返して38年にようやくにして決定稿を確定しています。

 なるほど、初演以降の出来事はこの作品を語る上で興味深いことです。
 イギリス人というのはホントに変わっています。イギリスを代表するこの時代の作曲といえばエルガーとディーリアスですが、彼らに関してイギリス人自身が「エルガーのどこがいいのですかと聞かれれば何とか理解して下さいといえるが、ディーリアスに関してはそれはそうでしょう、というしかない」と開き直るのです。
 彼らは分かりやすさよりは晦渋さを好むようで、シベリウスの後期の交響曲を高く評価したのもイギリス人でした。

 つまり、このラフマニノフの交響曲もその様な性格をもった作品だということでしょう。

それで何の問題があるのでしょうか


オーマンディという男は本当に奇をてらわない奴です。
彼が最も配慮するのはオケの響きであって、あとは作品の基本的な形をオーソドックスに造形することに徹しています。これだけ魅力的な響きで、作品のあるがままの姿を提示すれば何の問題があるのでしょうか、と言う呟きが聞こえてきそうです。
シュトラウスの交響詩をまるでミュージカルのように演奏していたスタイルなんかはその典型でしょうか。

そう言う呟きに、全くおっしゃるとおり、何の問題もありませんというスタンスを取れば、彼の演奏のどれをとってもそれほど大きな不満は感じないはずです。
それほどに、彼の演奏と録音の完成度は高いのです。

しかし、そう言う演奏を聴いている狭間に、例えば第二次大戦中のフルトヴェングラーの録音を聞いてしまったりすると、そう言う枠組みの部分だけをキッチリしつらえるだけでは何かが足りないのよね、と思ってしまう人もいるのです。
おそらく両方ともに正しいのだと思います。

そう言えば、シュナーベルが始めてアメリカを訪れて演奏ツアーを行ったときに興行主とトラブルになった話は有名です。
興行主から「あなたは路上で見かける素人、疲れ切った勤め人を楽しませるようなことができないのか」と言われても、「24ある前奏曲の中から適当に8つだけ選んで演奏するなど不可能です」と応じたのは有名なエピソードです。
その結果として、興業は失敗に終わり、興行主から「あなたには状況を理解する能力に欠けている。今後二度と協力することはできない」と言われてしまいます。

24ある前奏曲は確かにそれを最初から最後まで聞き通すのが「芸術」としては正しい姿なのかもしれませんが、時にはその中から幾つかを選んで素敵な時間を提供してほしいと思うのも当然です。疑いもなく、そうやって聞き手に喜びを与えるのもまた芸のうちなのです。

ピアニストでこの芸に徹したのがホロヴィッツでした。猫ほどの知性もないと酷評されても、結果として残った録音を聞けば、そのどれもが光り輝いているのです。
ただ、オーマンディは残念ながら、ホロヴィッツの領域にまで達するこことができなかったようです。(あくまでも私見です。)
おそらく、猫ほどの知性もないという批判を涼しい顔で受け流すのは難しかったのでしょう。(これも、あくまでも私見です。・・・^^;)

この、トレンディドラマで使われてすっかり有名となったラフマニノフの交響曲(第2番)を聞いていて、ふとそんな考えがよぎりました。

もしも、彼がホロヴィッツほどの根性があれば、こんなにも取り澄ましたラフマニノフにはならなかったはずです。プロコフィエフの3つの交響曲もまた同じです。
もっと灰汁の強い表現を追求していれば、その時に何を言われようが、結果として彼の音楽はもっと面白いものになったはずです。

ホロヴィッツが1945年に録音したプロコフィエフの「戦争ソナタ」を聞けば、この両者の開き直りのレベルが全く違うことがはっきり分かります。
結果として、こういう灰汁の強い部分のある作品に対しては意外なほどに相性が悪いのがオーマンディなんだなと思うようになってきました。その灰汁の部分をシュトラウスのように小綺麗にエンターテイメント化できるときはいいのですが、それができないと驚くほど薄味の音楽になってしまいます。

ただし、聴きやすいことは聞きやすくて、それなりに美しいことには事実ですから、「それで何の問題があるのでしょうか?」と言う呟きは聞こえてきそうです。

よせられたコメント

2016-10-24:Sammy


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