クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

J.S.バッハ:ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ第6番 ト長調 BWV1019

(Vn)ミッシェル・オークレール (org)マリー=クレール・アラン 1956年12月~1957年1月録音



Bach:Violin Sonata in G major, BWV 1019 [1.Allegro]

Bach:Violin Sonata in G major, BWV 1019 [2.Largo]

Bach:Violin Sonata in G major, BWV 1019 [3.Allegro]

Bach:Violin Sonata in G major, BWV 1019 [4.Adagio]

Bach:Violin Sonata in G major, BWV 1019 [5.Allegro]


次の時代への橋渡しとなる作品

バッハによるヴァイオリンのための作品と言えば真っ先に無伴奏の作品が思い浮かびます。思い浮かぶと言うよりは、バッハによるヴァイオリン・ソナタと言えばほとんど無伴奏の作品を指し示します。
しかし、バッハにはそれ以外にチェンバロを伴った二重奏作品としてのソナタが存在していて、そのソナタはチェンバロを通奏低音として扱うものと、チェンバロのパートが楽譜にきちんと書き込まれているものとに別れます。

言うまでもなく、チェンバロを通奏低音として扱う方が古いタイプの音楽であって、バッハはこのタイプの作品をほとんど残していません。それに対して、チェンバロのパートを楽譜にきちんと書き込んだタイプの作品はそれなりの数が残されていて、さらに言えば、次の時代のヴァイオリン・ソナタへの橋渡しとなる作品になっています。

ただし、バッハがチェンバロパートを楽譜にきちんと書き込んでい手、さらには次の時代への橋渡しになると言っても、それはベートーベン以降のヴァイオリン・ソナタのようにヴァイオリンと鍵盤楽器が対等の立場でやりとりをするというものではありません。
バッハがそこで目指したのは、チェンバロの右手と左手、そしてヴァイオリンの3声からなる対位法に基づく音楽でした。

バッハというのは基本的に対位法の人でした。
彼がチェンバロを通奏低音として扱う音楽を嫌った背景には、自分が意図した対位法のスタイルが演奏者の力量によっては十分に再現されない事への不満があったものと思われます。ですから、通奏低音としての数字を書き込むだけで文句がでないにも関わらず、バッハはチェンバロパートの全ての音符を律儀に書き込まずにはおれなかったのでしょう。

しかし、この律儀さが、疑いもなく次の時代への橋渡しを果たすことになりました。
いかにバッハが対位法の人であっても、実際に音符として書き込んでみれば、その全てを3声の音楽として処理するのでは面白くないと感じるのは当然です。結果として、さらに複雑な5声や6声の声部からなる音楽になったり、時にはチェンバロが独奏楽器のように振る舞ったり、またあるときはチェンバロが和音的な伴奏でヴァイオリンを引き立てたりしています。
その意味では、バッハとしては珍しく、このヴァイオリンとチェンバロのためのソナタは実験的な性質を持つことになったと言えそうであり、その実験精神が次の時代への扉を開く切っ掛けともなったのです。

なお、この作品の創作時期は特定されていないのですが、おそらくはケーテン時代の作品だろうと言われています。特に、悲劇的な内容を持っている4番と5番のソナタは、1720年の妻の死が反映しているのではないかと言われています。

1番と2番は全体として3声の書法が守られていて、形式的な自由さはあまりみられない。ただし、第2番の第3楽章はある種の悲壮感に彩られた深い感情に満ちていて非常に魅力的です。

ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ第1番 ロ短調 BWV1014


  1. Adagio

  2. Allegro

  3. Andante

  4. Allegro



ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ第2番 イ長調 BWV1015


  1. Dolce(Andante)

  2. Allegro

  3. Andante un poco

  4. Presto



第3番では3声の書法からかなり自由になっていて、バッハならではの高い知性が燦めいた作品になっています。第3楽章では冒頭にチェンバロによって示される4小節の低声部が繰り返しあらわれて、その上で15の変奏が展開されるパッサカリアの形式をとっています。

ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ第3番 ホ長調 BWV1016


  1. Adagio

  2. Allegro

  3. Adagio ma non tanto

  4. Allegro



4番と5番には1720年の妻との死別という悲劇が反映しています。とりわけ、第4番の第1楽章のラルゴ楽章にはシチリアーノと記されていて、そこには「マタイ受難曲」の有名なアリア「我が神よ、哀れみたまえ(あの有名なペテロの否認の後に歌われるアリアです)」に通ずるものがあると言われています。
第5番も3声の書法からはかなり自由になっていて、全ての楽章が短調で書かれるという憂愁に覆われています。とりわけ第3楽章の感情の深さはこのソナタ全体の頂点を為すと言ってもいい音楽になっています。

ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ第4番 ハ短調 BWV1017


  1. Siciliano. Largo

  2. Allegro

  3. Adagio

  4. Allegro



ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ第5番 ヘ短調 BWV1018


  1. Largo (Adagio)

  2. Allegro

  3. Adagio

  4. Vivace



この作品でバッハは再びバッハらしい明朗さを取り戻していて、そこに妻の死を克服したバッハの姿を見るという人もいます。

ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ第6番 ト長調 BWV1019


  1. Allegro

  2. Largo

  3. Allegro(Cembalo Solo)

  4. Adagio

  5. Allegro



若くして引退してしまったヴァイオリニスト


若くして引退してしまったヴァイオリニスト

振り返ってみると、50年代というのは素敵な女流ヴァイオリニストが活躍した時代でした。
もちろん、その後もたくさんの素敵な女流ヴァイオリニストは輩出するのですから、そんな事で「昔はよかった」などと言うつもりはありません。

しかし、その50年代に活躍した名前を挙げていくと、その誰も彼もが個性が際だっていたので感心させられてしまうのです。

まず、若くして飛行機事故でその生涯を終えたジネット・ヌボー。
そのヌボーと同門で80歳を超えるまで長生きしながら、ソリストとしてのキャリアは30代で終えてしまったミッシェル・オークレール。
そのオークレールと同じく若くして第一線のソリストとしては引退しながら、その後長く教育活動に携わったジョコンダ・デ・ヴィート。
さらに、そのデ・ヴィートと同じく聡明にして高貴な音楽を貫き通したエリカ・モリーニ。
最後にもう一人あげるならば、優美な音楽で多くの人を魅了しながら時の流れと合わずに60年代には姿を消してしまったヨハンナ・マルティ。

そして、彼女たちに共通するのは(若くして事故でキャリアを絶たれたヌボーは仕方がないとしても)その実力とキャリアがから考えれば驚くほどに残された録音が少ないと言うことです。
とりわけ、ミシェル・オークレールの少なさは際だっています。

オークレールはパリ音楽院のブシューリのもとで学んだのですが、同門のヴァイオリニストとしてはジネット・ヌボーとローラ・ボベスコ等がいます。その後、1943年にロン=ティボー音楽コンクールで第一位を獲得してジャック・ティボーの知遇を得ます。ただし、この優勝はナチス占領下のパリではキャリアを広げる切っ掛けとはならず、戦後の45年のジュネーヴ国際音楽コンクールで第一位を獲得したことによってキャリアのスタートを切ります。
その後はアメリカツアー(1951年)もソ連ツアー(1958年)も大成功をさせて世界的な名声を獲得していくのですが、60年代にはいると「左手の故障」を原因として演奏活動から引退してしまいます。

この突然の引退に関しては様々な憶測が飛び交うのですが(ピアニスト、フランソワとの破局とそれに伴う有名な作家の次男との結婚等々)、真相な藪の中です。
そして、その結果として、「女ティボー」とまで言われた才能とキャリアを持ちながら、残された録音は本当に少ないのです。

51年のアメリカツアーに伴ってレミントン・レーベルで録音されたチャイコフスキーの協奏曲とブルッフの協奏曲第1番とコル・ニドライ、クライスラー・アンコールとタイトルが付いた小品集。
エラート・レーベルでのシューベルトのヴァイオリンとピアノのための作品集。
おそらく仏パテでのバッハのヴァイオリンソナタとドビュッシー、ラヴェルのソナタ。
そして、ソリストとしての最晩年(と言っても30代ですが)にフィリップスレーベルでモーツァルトの4番・5番のコンチェルト、チャイコフスキー、メンデルスゾーン、ブラームスの協奏曲。

後は、古い録音(43年録音)ですが、ティボー指揮によるハイドンのコンチェルトが残されています。(ベートーベンのヴァイオリン・ソナタ5番の録音もあるそうですが、未聴です)
これはもう、フェルメール級の少なさでしょうか。(^^;

そして、その演奏なのですが、これもまたこの偉大なヴァイオリニスト達に共通する聡明さに貫かれたものです。
しかし、その聡明さはモリーニとは異なってフランス的なものです。繊細で楚々とした風情の中に、生粋のパリっ子らしい気の強さみたいなものも時々顔を出すのがオークレールの面白さです。
そして、さらに言葉を足せば、その聡明さはオークレール個人の依拠すると言うよりは、彼女が育ったパリの文化的な厚みがはぐくんだものと言えそうなのです。

ですから、ヌボーのような突き抜けたような強烈な個性は持っていません。
ヌボーの凄さは、そう言う文化的な厚みの中で育ちながらその厚みを突き抜けていったところにあったことを、逆にこのオークレールが教えてくれるような気がします。

だったら、そう言う「お約束事」の中に収まっているオークレールの演奏は物足りなさがあるのかと言われれば、それは一面では「イエス」であり反面では明らかに「ノー」です。
もしも、オークレールにヌボーのような凄みを求めるなら答えは「イエス」なのですが、そんな事はオイストラフを持ってきても答えは「イエス」になってしまうのです。
ですから、普通はきっぱりと「ノー」と言えるのですが、その事はパリという街が持っている文化的な厚みの半端なさを証明します。

彼女が30代半ばでソリストとして引退したのは、そう言う文化的厚みの具現化としてやるべき事はやり尽くしたという思いがあったのかもしれません。そして、それをやり尽くしたならば、次にやるべき事はその文化的厚みを後世に伝えることだったのかもしれません。
そう思えば、引退後はパリ音楽院で後進の指導に人生を捧げたのも納得できます。

同じ聡明でも、何処まで行ってもぴしっと背筋が伸びているモリーニとは違うのですが、そう言う様々な違いが花開いていたところに50年代の面白さがあったのでしょう。

<バッハのヴァイオリン・ソナタ>
この録音はチェンバロではなくてオルガンによって録音されているのが珍しいのですが、そのオルガンがマリー=クレール・アランだと言うところにも大きな価値があります。ここでアランについて詳述する余裕はありませんが、彼女が膨大な数の録音を残したオルガニストだったと言うこともあって、このモノラル期の録音は長く忘れ去られていました。何しろ、彼女はその生涯において3度もバッハのオルガン作品の全曲録音を成し遂げたのですから、こんなモノラル録音が商売上の判断として廃盤になってしまうのは仕方のないことでした。
しかし、相棒であるオークレールは、それとは真逆と言えるほどに録音の少ないヴァイオリニストなのですから、モノラルであろうとその貴重さははかりしれません。

そして、その貴重な録音はパブリックドメインとなってもなかなか日の目を見なかったのですが、最近になって漸く幾つかの復刻版がリリースされるようになりました。ただし、ヴァイオリンとオルガンという組み合わせも録音的には難しいので、復刻状態はあまり芳しくないのが残念です。

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