バッハ:フルートとチェンバロのためのソナタ イ長調 BWV1032
(Fl)ランパル (Harpsichord)Robert Veyron-Lacroix 1962年1月22日&25日録音
Bach:Flute Sonata in A major, BWV 1032 [1.Vivace [incomplete]]
Bach:Flute Sonata in A major, BWV 1032 [2.Largo e dolce]
Bach:Flute Sonata in A major, BWV 1032 [3.Allegro]
フルートを独奏楽器として確立させた音楽
バロックの時代は「通奏低音の時代」とも言われますから、こうして旋律楽器であるフルートにチェンバロが寄り添うと、途端にバロックな雰囲気が漂います。
フルート一本で勝負しないといけなかった無伴奏の音楽では、精いっぱい肩肘を張って頑張っていたフルートが、チェンバロが寄り添ってくれることで、一気にそんな重荷から解放された雰囲気です。ただし、私の独断ですが、その事によって感じとることが出来た「新しさ」は一気に姿を消して、雰囲気はすっかり「バロック」です。
バッハはフルートとチェンバロによる音楽を7曲残しています。
「バッハ作品目録(BWV)」によると、「フルートとチェンバロのためのソナタ(BWV1030~BWV1032)」として3曲、「フルートと通奏低音ためのソナタ(BWV1033~BWV1035)」として3曲、そして、「2つのフルートと通奏低音ためのソナタ(BWV1039)」の計7曲です。
しかし、新バッハ全集には「BWV1031」と「BWV1033」が収録されていません。
これは、この2作品については「真作説」と「偽作説」が対立していて結論が出ていないためです。
ここから少しばかり煩わしい話題となるのですが、バッハという人を理解していく上で結構大切なことなのでふれておきます。
断り書きには「真作性に対する疑いが強いので」としているので、新バッハ全集の編集方針は「疑わしきは罰する」というストイックなもののようです。
バッハ作品目録にこの二つの作品が収録されたのは、息子のエマヌエルが「J.S.バッハの作」として楽譜を遺しているからです。しかし、音楽の様式的にバッハのものとは随分違うと言うことで偽作説が浮上し、それなら疑わしいものは全て「黒判定」にしようとなったわけなのです。
しかしながら、音楽の様式がバッハらしくないと言うことで、つまりは、状況証拠だけで「黒判定」することには異論も多くあったので、最終的には2004年に新全集の本巻に含めて出版されました。
ただし、そう言う形で収録されたからといって「真作」として認定されたわけではなく、「グレー判定だけれども音楽的に素晴らしいし、何よりも息子のエマヌエルが父ちゃんの作品だといっているのだから収録しないでほっておくのは不味い」という判断だったようです。
ただ、新バッハ全集におけるこのストイックな編集方針は、逆にこの時代が「編曲」の時代であったことを浮き彫りにしました。
著作権などと言う概念は何処を探してもない時代ですから、いい音楽だと思えばいろんな人がそれをもとに自分なりにアレンジをして、自由にその音楽を演奏したのです。
そして、バッハの作品もその様にして自由にアレンジされましたし、逆にバッハ自身も他の作曲家の音楽を自由にアレンジをしていました。
つまりは、その様にバッハが他の作曲家の作品をアレンジした音楽というものも疑いもなくバッハの音楽だと言わざるを得ないのです。そして、そう言うアレンジの部分も視野に入れていかないとバッハという人の全体像は見えてこないことに気づいたのです。
これは一種のパラドックスだったのかもしれません。
完全オリジナルな音楽だけを厳選することで真のバッハ像を明らかにしようという試みが、結果としてそれだけではバッハの全体像が見えてこないことを明らかにしたのですから。
その意味では、最後の最後に駆け込み的だったとは言え、この二つのフルート・ソナタが新バッハ全集に収録されたことは良かったと言えます。
また、BWV1033~BWV1035の3曲は「フルートと通奏低音ためのソナタ」となっています。このように「通奏低音ための」となっていると、低音を担当するのは一般的にチェンバロやヴィオラ・ダ・ガンバなどの複数の楽器が担当します。ただし、ガンバ属の楽器はコントラバスを除けばヴァイオリン属に駆逐されてしまったので、今日ではチェロが担当するのが一般的です。もしくは、ヴィオラ・ダ・ガンバの声部もふくめてチェンバロだけで演奏も出来るので、見かけ上は「フルートとチェンバロのためのソナタ」になってしまうこともあるのですが、そう言うときでもチェンバロが通奏低音を担当している限りは「フルートと通奏低音ためのソナタ」と呼ぶそうです。
フルートとチェンバロのためのソナタ ロ短調 BWV1030
おそらく、バッハのフルート作品の中ではもっとも有名な作品でしょう。バッハの器楽作品はケーテン時代のものが中心なのですが、これだけはライプティッヒ時代の1935年頃の作品だと考えられています。おそらく、ドレスデンのすぐれたフルート奏者でありバッハとも親交のあったビュッファルダンのために書かれた作品だ推測されています。
冒頭の揺れ動くチェンバロをバックにフルートの優美な旋律が歌い継がれていく部分を聞いただけで、聞くものの耳をとらえて放しません。
第1楽章:Andante
第2楽章:Largo e dolce
第3楽章:Presto
フルートとチェンバロのためのソナタ 変ホ長調 BWV1031
上で述べたようにこの作品には偽作説が払拭しきれないのですが、第2楽章のシチリアーノは「バッハを代表する美しいメロディ」として定着しているのですから、状況証拠だけで「偽作」とされたのでは納得できない向きもあるでしょう。
ちなみに、その状況証拠とは、バス声部が主題提示に参加しない、とか、フーガ楽章が無い、とか、終楽章の形が18世紀後半のソナタ形式に似通っている、とかで、用はバッハらしいポリフォニーの精緻さに欠けるというものです。とはいえ、この音楽は聞くものの胸に迫る美しさを持っていることは疑いもない事実ですから、「偽作かもしんないかなコンサートや録音では取り上げないのが原典尊重の流れに沿った見識だもんね」みたいな阿呆なことにはならないで欲しいものです。
第1楽章:Allegro moderato
第2楽章:Siciliano
第3楽章:Allegro
フルートとチェンバロのためのソナタ イ長調 BWV1032
何処かの馬鹿が楽譜を半分にちょん切ってしまったために、第1楽章の後半が永遠に失われてしまっています。しかし、ケーテン時代の作品としては珍しく「急-緩-急」の3楽章構成になっています。この時代にバッハは昔ながらの「緩-急-緩-急」という4楽章構成の教会ソナタの形式を取ることが多かったからです。
しかし、この新しい3楽章構成を取ることで中間の「ラルゴ・エ・ドルチェ(Largo e dolce)」の美しさが際だっています。
第1楽章:Vivace [incomplete]
第2楽章:Largo e dolce
第3楽章:Allegro
フルートと通奏低音ためのソナタ ハ長調 BWV 1033
これも偽作説が浮上しているのですが、最終楽章にメヌエットが来ることや、通奏低音の動き方がバッハにしてはかなり異様なので、BWV1031よりも旗色はさらに悪いようです。確かに、第2楽章などはどれだけ速く吹けるかの練習曲みたいな風情ですし、音楽的にはバッハのものとは思えないほどに単純です。それでも、それに続くアダージョ楽章は美しいので、やはり偽作として切って捨てるには忍びない作品です。
第1楽章:Andante - Presto
第2楽章:Allegro
第3楽章:Adagio
第4楽章:Menuetto
フルートと通奏低音ためのソナタ ホ短調 BWV 1034
BWV1033のハ長調のソナタと較べると、こちらの方は実にバッハらしい音楽と言うことになっています。「緩-急-緩-急」という、ケーテン時代のバッハらしい伝統的な教会ソナタの形式で書かれています。
個人的には、通奏低音の美しい前奏に続けて歌い出される第3楽章「アダージョ」の美しさは出色だと思います。ある人はこれを旋律の花環とたとえていましたが、言い得て妙です。
第1楽章:Adagio ma non tanto
第2楽章:Allegro
第3楽章:Andante
第4楽章:Allegro
フルートによる音楽の裾野を広げた
フルーティストと言えば今まではマルセル・モイーズしか取り上げていないことにも気づきました。
これもまた大きな欠落と言わざるを得ないでしょう。
マルセル・モイーズは現在のフルート演奏の基礎を築き上げた偉大な存在と言われているのですが、さすがに古い人と言わざるを得ません。出来ればもう少しいい録音でフルートの音楽を聴きたいとなれば、モイーズの後を受けてフランスのフルート音楽を支えたランパルを取り上げるべきでしょう。
このランパルという人はサービス精神が旺盛で、たびたび日本にやってきては、「ちんちん千鳥」みたいな音楽まで録音したりするので、随分と軽く見られる向きがあります。しかし、その業績を振り返れば、偉大なモイーズの後継者がこのランパルであったことは否定しようがありません。
ただ、いろんな面で器用な人だったようで、それ故にフルートにかける執念みたいな点ではモイーズとはかなり肌合いが違ったようです。そのため、常に高いレベルの演奏を維持したと伝えられているモイーズと較べれば出来不出来の差が小さくなかったとも言われています。
しかし、その器用さのおかげで、随分たくさんのマイナー作品まで積極的に取り上げて、フルートによる音楽の裾野を広げたことも事実です。
このテレマンの無伴奏音楽なんかも、私はここで取り上げるために初めて聞いたのですが、彼はこの作品を7年代にももう一度取り上げています。実際にフルートを演奏する人たちにとっては、この作品は決してマイナー作品ではなのかもしれませんね。
聞くところによると、無伴奏でありながらも、演奏テクニック的にはそれほど難しくなくて、アマチュアでも十分楽しめるそうです。
よせられたコメント 2016-01-23:Sammy この、残念ながらきっと反応が薄いかもしれない、でものせ続けるyungさんらしい「ランパルは、地味だった曲を掘り起こして、ほらこんなに美しく楽しく紹介してくれているよ!」というシリーズ(?)。日ごろの恩義に感謝していわば騙されたと思って(失礼!)聞き始め、やはり楽しく聞かせていただいています。そしてそれに合わせ、マイナー曲の場合は殊更に努力されて調べて書かれているという解説も読ませていただきました。
音楽を楽しむことと、それを書いたのが誰なのか(にまつわる諸々の物語)を認識することの間の関係は、なかなかに単純でないものがあることを、改めて想起させられます。私個人は、それでも結果的に聴いて素晴らしいと思えるものになっていればまあそれでいいのでは、と思います。音楽は演奏して初めて形になるものですし、このように自然で豊かな流れを感じさせる素晴らしい演奏を耳にすると、演奏という行為によって素晴らしいものとして再現できれば、「結果よければそれでよし」にも思えます。
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