クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 作品74「悲愴(Pathetique)」

ラファエル・クーベリック指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1960年1月24日,25日&27日,28日録音



Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique" [1.Adagio - Allegro non troppo]

Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique" [2.Allegro con grazia]

Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique" [3.Allegro molto vivace]

Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique" [4.Adagio lamentoso]


私は旅行中に頭の中でこれを作曲しながら幾度となく泣いた。

 チャイコフスキーの後期の交響曲は全て「標題音楽」であって「絶対音楽」ではないとよく言われます。それは、根底に何らかの文学的なプログラムがあって、それに従って作曲されたというわけです。
 もちろん、このプログラムに関してはチャイコフスキー自身もいろいろなところでふれていますし、4番のようにパトロンであるメック夫人に対して懇切丁寧にそれを解説しているものもあります。
 しかし6番に関しては「プログラムはあることはあるが、公表することは希望しない」と語っています。弟のモデストも、この6番のプログラムに関する問い合わせに「彼はその秘密を墓場に持っていってしまった。」と語っていますから、あれこれの詮索は無意味なように思うのですが、いろんな人が想像をたくましくしてあれこれと語っています。

 ただ、いつも思うのですが、何のプログラムも存在しない、純粋な音響の運動体でしかないような音楽などと言うのは存在するのでしょうか。いわゆる「前衛」という愚かな試みの中には存在するのでしょうが、私はああいう存在は「音楽」の名に値しないものだと信じています。人の心の琴線にふれてくるような、音楽としての最低限の資質を維持しているもののなかで、何のプログラムも存在しないと言うような作品は存在するのでしょうか。
 例えば、ブラームスの交響曲をとりあげて、あれを「標題音楽」だと言う人はいないでしょう。では、あの作品は何のプログラムも存在しない純粋で絶対的な音響の運動体なのでしょうか?私は音楽を聞くことによって何らかのイメージや感情が呼び覚まされるのは、それらの作品の根底に潜むプログラムに触発されるからだと思うのですがいかがなものでしょうか。
 もちろんここで言っているプログラムというのは「何らかの物語」があって、それを音でなぞっているというようなレベルの話ではありません。時々いますね。「ここは小川のせせらぎをあらわしているんですよ。次のところは田舎に着いたうれしい感情の表現ですね。」というお気楽モードの解説が・・・(^^;(R.シュトラウスの一連の交響詩みたいな、そういうレベルでの優れものはあることにはありますが。あれはあれで凄いです!!!)
 
 私は、チャイコフスキーは創作にかかわって他の人よりは「正直」だっただけではないのかと思います。ただ、この6番のプログラムは極めて私小説的なものでした。それ故に彼は公表することを望まなかったのだと思います。
 「今度の交響曲にはプログラムはあるが、それは謎であるべきもので、想像する人に任せよう。このプログラムは全く主観的なものだ。私は旅行中に頭の中でこれを作曲しながら幾度となく泣いた。」
 チャイコフスキーのこの言葉に、「悲愴」のすべてが語られていると思います。

どす黒いチャイコフスキー


あまり評判のよくないクーベリックのチャイコフスキーです。ネット上を散見すると「へっぽこ指揮者」とか、ウィーンフィルがあまりにも「手抜き」「ダレてる」とか、「若武者の覇気のカケラも感じられない」とか・・・、まあぼろくそ言われています。
しかし、調べてみると、クーベリックとウィーンフィルはこのチャイコフスキー後期の交響曲をかなり念入りに録音しています。


  1. チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 作品36 1960年1月18日,19日録音

  2. チャイコフスキー:交響曲 第5番 ホ短調 作品64 1960年1月21日~24日録音

  3. チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 作品74「悲愴(Pathetique)」 1960年1月24日,25日&27日,28日録音



さらに、録音会場に使っているのは「musikverein groser saal」、つまりは、ほぼ半月にわたってウィーンのムジークフェラインザールを押さえてセッション録音をしているのです。さらに言えば、録音プロデューサーは英デッカの重鎮ヴィクター・オロフ(56年にデッカは退社したのでこの時はEMIに移籍していましたが・・・)がつとめているのです。
まあ、普通に考えれば、指揮者が「へっぽこ」で、オケも「手抜き」で「ダレて」いて、おまけに演奏そのもに「覇気のカケラも感じられない」ようなものが「OK」になると考える方がどうかしています。

とはいえ、「ブランド」だけで演奏や録音の良し悪しが決まるわけではないので、己の耳と心を信じるのも大切なのですが、それと同じくらいに、己の耳と心を疑ってみることも大切なことです。

おそらく、この録音を前にしたときに問題となるのは、このウィーンフィルの響きをどうか解釈すべきなのか、なのでしょう。
正直言って、パッと聞いた限りでは何ともいえずザラザラした荒い響きに聞こえますので、「なんだ?またまたウィーンフィルは指揮者が若いと思って手を抜いているのか」と思いました。

今さら言うまでもないことですが、このウィーンフィルほど性悪なオケはありません。指揮者が能なしだと思えばいくらでも手を抜きますし(ニューイヤーコンサートでは明らかにこいつ酒呑んでる!と言うメンバーがいますよね)、さらには考えられる限りの嫌がらせとイジメを平気でします。ですから、このウィーンフィルらしくない響きを前にしたときには、そういう疑惑を感じても当然なのです。

しかし、聞き進んでいくと、実は「手抜き」ではないことがだんだん分かってきます。
ここでのクーベリックが求めているのは「若武者の覇気」などではなく、ましてや「悲愴」というタイトルから多くの聞き手が求めるような「泣き節」でもなく、重厚な響きによって構築されるこの上もなくどす黒くも重たい世界であることに気づいてくるのです。そして、そういうクーベリックの意図にウィーンフィルは可能な限り応えようとしているのです。

こんなどす黒い世界にウィーンフィル本来の艶やかな響きは邪魔者以外の何ものでもありません。
いささか毛羽立ったようでありながらも、ドスのきいた野太い響きはクーベリックが求める世界にはピッタリな響きであることに少しずつ気づかされてきます。そして、それに続けてこんな事を書けばまた批判をいただくかもしれないのですが、いわゆるチープなシステムではそのあたりの機微がうまく伝わらない懸念があります。

確かに、この作品のスタンダードになるような演奏ではありません。しかし、さんざん色々な演奏を聴いてきたものにとっては、こういうどす黒いチャイコフスキーも面白いのです。
チャイコフスキーってこういうもんだ・・と言う思いこみを一度リセットしてから聞き直してみると、結構色々な発見があって面白いと思います。

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