モーツァルト:交響曲第38番 ニ長調 「プラハ」K.504
ラファエル・クーベリック指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1961年1月5日
Mozart:Symphony No.38 in D major, K.504 "Prague" [1.Adagio, Allegro]
Mozart:Symphony No.38 in D major, K.504 "Prague" [2.Andante]
Mozart:Symphony No.38 in D major, K.504 "Prague" [3.Presto]
複雑さの極みに成立している音楽
1783年にわずか4日で「リンツ・シンフォニー」を仕上げたモーツァルトはその後3年にもわたってこのジャンルに取り組むことはありませんでした。40年にも満たないモーツァルトの人生において3年というのは決して短い時間ではありません。その様な長いブランクの後に生み出されたのが38番のシンフォニーで、通称「プラハ」と呼ばれる作品です。
前作のリンツが単純さのなかの清明さが特徴だとすれば、このプラハはそれとは全く正反対の性格を持っています。
冒頭部分はともに長大な序奏ではじまるところは同じですが、こちらの序奏部はまるで「ドン・ジョバンニ」を連想させるような緊張感に満ちています。そして、その様な暗い緊張感を突き抜けてアレグロの主部がはじまる部分はリンツと相似形ですが、その対照はより見事であり次元の違いを感じさせます。そして、それに続くしなやかな歌に満ちたメロディが胸を打ち、それに続いていくつもの声部が複雑に絡み合いながら展開されていく様はジュピターのフィナーレを思わせるものがあります。
つまり、こちらは複雑さの極みに成り立っている作品でありながら、モーツァルトの天才がその様な複雑さを聞き手に全く感じさせないと言う希有の作品だと言うことです。
第2楽章の素晴らしい歌に満ちた音楽も、最終楽章の胸のすくような音楽も、じっくりと聴いてみると全てこの上もない複雑さの上に成り立っていながら、全くその様な複雑さを感じさせません。プラハでの初演で聴衆が熱狂的にこの作品を受け入れたというのは宜なるかなです。
伝えられた話では、熱狂的な拍手の中から「フィガロから何か一曲を!」の声が挙がったそうです。それにこたえてモーツァルトはピアノに向かい「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」を即興で12の変奏曲に仕立てて見せたそうです。もちろん、音楽はその場限りのものとして消えてしまって楽譜は残っていません。チェリが聞けば泣いて喜びそうなエピソードです。
作品を聞かせようとした指揮者
クーベリックのモーツァルトと言えば真っ先に思い浮かぶのが80年代に手兵のバイエルン放響と録音した後期交響曲集です。3枚のLPが立派なボックスに納められていて、探せばどこかの棚に今も眠っているはずです。
そう言えば、これとほぼ同じ時期(79年)に同じ組み合わせでシューマンの交響曲全集も発売されていて、これもまた立派なボックス盤で、演奏に対する評価も上々だったように記憶しています。確か、その後のレコ芸誌のリーダーズ・チョイスでも必ず上位にランキングしていましたし、評論家先生の名盤選びでもそこそこ上位に顔を出していました。
ただ、不思議なのは、彼の一連の録音を聞いてそれなりに感心もした事は間違いないのですが、時間がたつとその演奏がどういうものだったのかという印象がほとんど残っていないという事実です。
それは、何も灰汁の強いフルトヴェングラーやクナなどを持ち出しての話ではありません。
例えば彼と較べれば一世代前のバルビローリやセルなどの演奏を持ち出してきても、その違いは明らかです。おそらく、それなりにクラシック音楽を聞き込んできた人ならばそれなりのイメージを持って彼ら演奏を印象に結ぶことが出来ます。
いや、もっと言えば、良い悪いは脇におくとして、ショルティや若い頃のマゼールなんかでもそれなりの明確な印象を頭の中に浮かべることが出来ます。
ところが、これがクーベリックになると、端正で落ち着きのある演奏だったような記憶はあるのですが、それは何か抽象的な記号のような域を出ないイメージなのです。
そして、その印象は、この若い時代のモーツァルト演奏を聴いても、基本はそれほど変わっていないのです。
クーベリックという人は、1948年のチェコの共産化に嫌気がさしてイギリスに亡命した人です。
その後、1950年から1953年までシカゴ交響楽団の音楽監督を務めるのですが、これがまあひどい虐めにあって辞任を余儀なくされます。そして、ヨーロッパに引き上げてきてコヴェント・ガーデン王立歌劇場の音楽監督を務め、さらには、1961年からは後に自らの手兵となるバイエルン放送交響楽団の首席指揮者に就任することになります。
確かに亡命からシカゴでの理不尽な攻撃に至るまでの数年間は酷い時を過ごしたのですが、ヨーロッパに帰ってきてからは順調にキャリアを積み上げ、バイエルン放送交響楽団の首席指揮者に就任する61年の頃は、40代後半のまさにバリバリの売れっ子若手指揮者として勢いに乗っていた時期です。
ここで紹介しているウィーンフィルとのモーツァルト録音は、その様な勢いにのっている時期に、この名門オケを相手に一気呵成に行った録音です。
録音のスケジュールを調べるとこのようになっています。まさに一気呵成という勢いを持っての録音です。
- 交響曲第35番 ニ長調 「ハフナー」K385:1961年1月3~4日
- 交響曲第36番 ハ長調 「リンツ」K386:1961年1月4日
- 交響曲第38番 ニ長調 「プラハ」K.504:1961年1月5日
- セレナード第13番 ト長調 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」K.525:1961年1月9日
- 交響曲第41番 ハ長調 「ジュピター」 K.551:1961年1月8日&10~11日
一つ一つの演奏を聴いてみると、後の録音と同じで非常に丁寧な演奏になっています。もちろん、こういう物言いは(^^;、何と較べてどのように「丁寧」なのかを言わないと何も言っていないことになりますね。
そう言えば、バルトークの「管弦楽ための協奏曲」を紹介したときに「普通」でないと言ったのですが、その「普通で」でないことがここにも適用されるような気がします。
クーベリックはここでも一つ一つの音を丁寧に繋いでいます。レガート・カラヤンとまではいきませんが、ウィーンフィルの美音を目一杯活用して、美しい旋律を目一杯美しく響かせています。また、各声部の扱いも精緻で、モーツァルトのスコアがシンプルなこともあって内部の見通しは非常に良い演奏に仕上がっています。
とにかく引っ掛かる部分や尖った部分が皆無なのです。何処を探ってみても表面は丁寧に磨かれて、かといって細部優先の演奏ではなくて全体の構成もしっかりしています。つまりは、聞き終わった後に散漫印象が残ることはなく、それなりに立派な音楽を聴かせてもらったという印象は残ります。
記憶に間違いがなければ、後のバイエルンとの録音ではもう少し遅めのテンポでさらに内部構造を丁寧に描き出していたと思うのですが、基本的なコンセプトは全く変わっていないように思います。
そう思って気がついたのは、彼は基本的に指揮者である前に作曲家であったという事実です。
丁寧で立派な演奏であるのに、聞き手を喜ばせるようなショーマンシップ的な要素が非常に少ないのは、そう言うバックボーンがあったからかもしれません。。
「それなりに感心もした事は間違いないのですが、時間がたつとその演奏がどういうものだったのかという印象がほとんど残っていない」という言い方はクーベリックの音楽を否定しているようにも聞こえるのですが、見方を変えれば、彼ほど己の「演奏」ではなくて「作品」を聞かせようとした指揮者はいなかったとも言えそうな気がします。
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