チャイコフスキー:交響曲 第5番 ホ短調 作品64
クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1963年1~2月録音
Tchaikovsky:Symphony No.5 in E minor Op.64 [1st movement Andante - Allegro con anima]
Tchaikovsky:Symphony No.5 in E minor Op.64 [2nd movement Andante cantabile , con alcuna Licenza]
Tchaikovsky:Symphony No.5 in E minor Op.64 [3rd movement Valse(Allegro moderato)]
Tchaikovsky:Symphony No.5 in E minor Op.64 [4th movement Finale(Andante maestoso - Allegro vivace)]
何故か今ひとつ評価が低いのですが・・・
チャイコフスキーの後期交響曲というと4・5・6番になるのですが、なぜかこの5番は評価が今ひとつ高くないようです。
4番が持っているある種の激情と6番が持つ深い憂愁。その中間にたつ5番がどこか「中途半端」というわけでしょうか。それから、この最終楽章を表面的効果に終始した音楽、「虚構に続く虚構。すべては虚構」と一部の識者に評されたことも無視できない影響力を持ったのかもしれません。また、作者自身も自分の指揮による初演のあとに「この作品にはこしらえものの不誠実さがある」と語るなど、どうも風向きがよくありません。
ただ、作曲者自身の思いとは別に一般的には大変好意的に受け入れられ、その様子を見てチャイコフスキー自身も自信を取り戻したことは事実のようです。
さてお前はそれではどう思っているの?と聞かれれば「結構好きな作品です!」と明るく答えてしまいます。チャイコフスキーの「聞かせる技術」はやはり大したものです。確かに最終楽章は金管パートの人には重労働かもしれませんが、聞いている方にとっては実に爽快です。第2楽章のメランコリックな雰囲気も程良くスパイスが利いているし、第3楽章にワルツ形式を持ってきたのも面白い試みです。
そして第1楽章はソナタ形式の音楽としては実に立派な音楽として響きます。
確かに4番と比べるとある種の弱さというか、説得力のなさみたいなものも感じますが、同時代の民族主義的的な作曲家たちと比べると、そういう聞かせ上手な点については頭一つ抜けていると言わざるを得ません。
いかがなものでしょうか?
クレンペラーのチャイコフスキー
クレンペラーが60年代に録音したチャイコフスキーの後期交響曲では第6番が何とも言えない「怖い演奏」で異彩を放っていました。それだけに、その2年後に録音された4番と5番には大きな期待を寄せていました。音楽を構築することに執念を燃やすクレンペラーの芸風から言って、6番「悲愴」よりも4番や5番の方が相性がいいように思えるので、その期待は根拠のないものではありません。
しかし、実際に聴いてみて、その期待はものの見事に裏切られました。
最初から想像できたことですが、クレンペラーの演奏にはチャイコフスキー的なメランコリックな甘さはほとんどありません。音楽は交響的構築物として築き上げられていくばかりで、その意味では、ムラヴィンスキーなんかとベクトルは同じように見えます。しかし、何故か、出来上がった音楽は全く別物になってしまっているのです。
どうしてそんなことになるんだろうと思いを巡らせてみて思い当たったのは、両者のチャイコフスキーに対する思いの深さの違いです。
チャイコフスキーはベートーベンにも匹敵する偉大なシンフォニストだと言うことを心の底から信じた男がムラヴィンスキーでした。
しかし、クレンペラーにはそこまでの思い入れはなかったはずです。もっと有り体に言えば、どこかで舐めているような雰囲気すら漂います。
「悲愴」は音を構築していってどうなるというような音楽ではありません。
ところが、そのどうしようもないことを無理益体に押し通してしまったのがクレンペラーの61年盤でした。結果として、たとえば第3楽章の行進曲は屠殺場に引きずり出されるような恐ろしさにつつまれ、「鬼のイン・テンポ」で押し通した最終楽章ではパセティックな感情が壮大に爆発します。そして、その壮大な爆発があったが故に、音楽が永遠の闇の彼方へと消え去っていく終結部の怖さは他に類を見ません。
それに対して、4番や5番のように、交響曲としての基本的な手順を踏んでいるような作品だと、別に無理無体な仕打ちをしなくても音楽は構築していけます。しかし、そこに「尊敬」がないと、「まあ、こんなもんだろう!」という舐めた雰囲気が漂うというわけです。いささか穿ちすぎた見方かもしれませんが・・・。
しかし、どちらかと言えば第4番よりは第5番の方が面白味に欠ける演奏になっているような気がします。それは、先の穿った見方に従えば、第5番の方は「虚構に続く虚構。すべては虚構」と酷評されてしまうようなある種の「弱さ」を内包していることが否定できません。そして、クレンペラーのようなアプローチであっけらかんと演奏されるとそう言う「弱さ」があからさまにされたような気がするのです。
ですから、まだしも聴いていて心が躍るのは4番の方です。(クレンペラーファンの人・・・ごめんなさい^^;)
そんなわけで、この録音をアップすることにはためらいがあったのですが、6番「悲愴」がアップされているんだから、残りの4番と5番もアップしてほしいという声は寄せられます。確かに、私の勝手な判断でお蔵入りさせるというのは、こういうサイトの役割を考えれば控えるべき事なのでしょう。
大切なことは、できる限り多くの人に演奏を聴いてもらって、それをどう受け止めるかはそれぞれの聞き手にゆだねるというのが一番妥当なラインなのかもしれません。
ただ、ここまで読んでもう一言追加しないと誤解を招くことに気がつきました。
この4番と5番の演奏に私がかなり否定的なように読める文章になっているのですが、それはあくまで6番「悲愴」と比べての話であると言うことは理解しておいてください。メランコリックななだけの軟弱なチャイコフスキーや浪花節かと思えるような勘違い演奏よりは遙かに優れた演奏であることは付け加えておきます。
よせられたコメント
2014-06-22:Sammy
- 私はこの演奏を聴いて、実に立派と感じました。特に両端楽章のスケールの大きい立派さはなかなかです。骨太にくっきり堂々とずっしり踏みしめるように演奏されていて新鮮ですし聞き応えがあります。確かにユングさんの仰るように一方で作品の「弱さ」のようなものが暴かれるような面もありますが、同時にそこにはクレンペラーの鋼のような音楽づくりと、フィルハーモニア管のそこに徹する真摯さのようなものが力強く迫ってきます。第2楽章のようなしみじみ美しい部分も潔く凛として胸を打ちます。また遅いインテンポでやりきってしまっている第3楽章の停滞しつつも緻密にとぼけたような、「ワルツだからって絶対にわくわくなんてさせない」と言いたいかのような真っ直ぐひねくれた音楽のいわく言い難い魔力は、簡単に出来そうで実はなかなか実現できないものではないかと思います。演奏芸術というもののもつ魅力(クレンペラー・フィルハーモニア管が演奏しているというだけで場がそもそもかなり成り立ってしまうというような力)を改めて思った次第です。
2014-06-15:Joshua
- 虚心坦懐に聴きました。面白かったです。録音の加減もあるんでしょうが、いろいろ聞いたことのない部分が聴こえてきます。テンポも「クレンペラー=遅い」ではありません。この人がほかのオケでこの曲をやったのも聞いてみたい。もちろんフィルハーモニア、上手いですけどね。バイエルン放送とか北ドイツ放送とかコンセルトヘボウとかを振ると、別の効果が出てくるはず。この曲に「真実味」とか「哲学」を聴くのをしなければ、楽しみは広がります。
近い演奏?ケンペン指揮コンセルトヘボウ、セル指揮クリーブランド、意外に近いんじゃないでしょうか?いずれもアップしていただいてますね。60年代前後のカラヤンベルリンもドイツ風という点で似てるのでは?と思って聴いてるうちに最後まで聴けました。
指揮の最中、「社会の窓」が開いているのを指摘されたクレンペラーが言いました。「それが音楽とどう関係があるというのかね?」
この人の一途なとこが、気に入ってます。
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