ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「こうもり」序曲(Johann Strauss:Die Fledermaus Overture)
ルネ・レイボヴィッツ指揮 ロンドン新交響楽団 1961年録音(Rene Leibowitz:New Symphony Orchestra Of London Recorded 1961)
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バカ騒ぎに隠された深刻なパラドックス

シュトラウスは晩年、相次ぐ身内の死によってすっかり創作意欲を失ってしまいます。そんなときに、オッフェンバックや妻ヘンリエッタのすすめでオペレッタを書き始めます。
自分自身が悲しみから立ち直るためだけではなく、皆も気軽に聴けてしかも底抜けに楽しいオペレッタを立て続けに作曲したのです。
現在ではこの「こうもり」だけが飛び抜けて有名です。
話のあらすじは以下の通りです。
【第1幕】
アイゼンシュタインは役人を侮辱した罪で今夜中に刑務所へ収監されることになっています。
召使いアデーレは舞踏会への招待状を受けるが休みが取れないと悩んでいます。
ロザリンデ(アイゼンシュタインの妻)は昔の恋人アルフレートとだんなが刑務所に入ったら会おうと約束をしています。
それぞれの思いが交錯する中へファルケ博士がやってきてアイゼンシュタインに舞踏会へ行こうと誘います。かわいい子が沢山集まると聞いたアイゼンシュタインは、舞踏会を楽しんでから刑務所に行こうとご機嫌になります。
ロザリンデは刑務所 に行くはずの夫が上機嫌なのを変に思うのですが、自分も恋人がやってくるのでアデーレに休みをやります。
アデーレは喜び勇んで舞踏会へ、そしてアイゼンシュタインも同じ舞踏会へ。
やがてアイゼンシュタインもアデーレもいなくなったところへロザリンデの恋人アルフレートがやってくるのですが、アイゼンシュタインを逮捕に来た刑務所長フランクに間違えられて連行されてしまいます。
実はフランクにも舞踏会への招待状が届いており、早く仕事を終わらせたかったためにその様な手違いが起こってしまったのです。
【第2幕】
オルロフスキー公爵の舞踏会ではファルケ博士がアイゼンシュタインに向かって「コウモリの復讐劇」という茶番劇を画策していました。ファルケはむかし アイゼンシュタインに恥をかかされ、今日はその復讐を狙っていたのです。
召使いアデーレは女優とほらを吹き、アイゼンシュタインはフランスの貴族ルナール公爵、刑務所長のフランクも同じくフランス貴族とほらを吹きます。
そこへ、捕らえられたアルフレートを釈放してもらうために刑務所長フランクを捜しに会場にやってきたロザリンデも、仮面に素顔を隠してハンガリーの伯爵夫人と称して登場します。
そして、その伯爵夫人の姿にのぼせあがったルナール公爵(アイゼンシュタイン)は自分の妻とも知らずに、おきまりの自慢の懐中時計を取り出して熱烈に彼女をくどき始めます。
ロザリンデはあきれつつもいい気分で夫の金時計を巻き上げます。
ファルケは「こうもり博士」の仇名をつけられたいきさつを話し、「こうもりの復讐」は明日わかると話を結びます。その話を聞いたオルロフスキーは「すばらしい、ブラボー!ファルケ君」と喜んで祝杯をあげます。
そんなこんなの大騒ぎの中で時計が朝の6時をうちます。
今夜中に刑務所に入らなければならなかったことをアイゼンシュタインは思いだし、大慌てで出ていき、刑務所長フランクも刑務所へ帰ります。
【第3幕】
そして刑務所。
泥酔状態のフランクにイーダとアデーレ姉妹は女優になりたいから、スポンサーになってくれとたのみます。
そんなフランクのところへ、アイゼンシュタインが出頭してきます。おかしい、先ほど彼は捕まえたはずと言われたアイゼンシュタインはアルフレートの姿を見て疑念をいだきます。
そこで、弁護士の服を借りて待ち受けていると、妻のロザリンデが駆け込んできて、アルフレートをなんとか釈放 してくれと、弁護士(アイゼンシュタイン)に頼み込みます。
さすがに平静を保てなくなったアイゼンシュタインは弁護士の服を脱ぎ、彼女の浮気を責め立てるが、彼女も先ほどの金時計を取り出して夫の浮気をやりこめます。
そこへファルケ博士がやってきてこれが「こうもりの復讐劇」とし、ロザリンデも「すべてはシャンペンのせい」と水に流します。
ついでに、アデーレもオルロフスキー公爵のパトロンで女優となり。すべてがハッピーエンドでめでたし、めでたしとなって幕はおります。
何とも馬鹿馬鹿しいどんちゃん騒ぎですが、実はこの裏にとんでもないパラドクスが隠されています。
このオペレッタでは全ての登場人物が仮面をかぶり自分を偽って登場します。
そんな中で唯一自分を偽っていないのが舞踏会の主であるオルロフスキー公爵であるように見えます。
6時の鐘が鳴り、朝の光の中にバカ騒ぎが溶けていきます。
オルロフスキーをのぞけば、その朝の光の中で全ての登場人物は仮面を剥がされて本当の自分に戻っていき、あとには味気ない「現実」だけが残るだけです。
その様に見えます。
しかし、実はその朝の光の中においても仮面を脱ぐことが許されなかった人物がいるのです。それが、唯一仮面をかぶっていないように見えたオルロフスキー公爵その人です。
このオペレッタの原点は、オルロフスキー公爵が同性愛者であるという視点です。
チャイコフスキーの例を持ち出すまでもなく、当時において同性愛者であるということが発覚することは身の破滅でした。
二日酔いの頭を抱えて刑務所でお互いの素性が分かってバカ騒ぎはハッピーエンドで終わる中で、一人オルロフスキーだけが物憂げな表情を浮かべているのです。
皆が仮面を脱ぎ捨てて本当の自分に戻っていく中で、彼だけはまたもやアデーレのパトロンとなって仮面をつけ続けるのです。
その様な視点を持ってこのオペレッタを見直すならば、ご陽気なだけのこのオペレッタに内包された深刻なパラドックスに気づかされるはずです。
高い分析力と良い意味での「緩さ」が上手くマッチしている
レイボヴィッツの録音活動の少なくない部分を「リーダーズ・ダイジェスト」が占めています。
「リーダーズ・ダイジェスト」は月刊の総合ファミリー雑誌だったのですが、書店売りは行わずに会員制の通信販売というスタイルをとっていました。この販売方法とアメリカ至上主義の編集方針を貫くことでアメリカ最大の発行部数を誇る雑誌へと成長していきました。
そして、その会員制の通信販売というスタイルを生かしてレコード制作にも乗り出します。
しかし、基本的に「リーダーズ・ダイジェスト」は雑誌社ですから録音のノウハウなどは持ち合わせていないので、その制作はRCAに丸投げしていました。
その丸投げのおかげで、同じような販売方法をとった「コンサートホールソサエティ」と較べると格段に録音のクオリティが高いという思わぬ幸運をもたらしました。
ただし、その性格上、クラシック音楽の分野ではコアなファンではない人々を対象としたために、いわゆる「クラシック音楽名曲集」のようなものが主流でした。
実は、この事に長く思い当たらず、小品の録音ばかり押し付けられるレイホヴィッツはレーベルの中では軽くあつかわれすぎていると考えていました。
しかし、実際は彼にベートーベンの交響曲の全曲録音を依頼された事が異例の厚遇であり、本来の仕事はそう言う売れ筋の名曲小品の録音だったのです。
そして、そういう待遇に対してかつては「レイボヴィッツにとって名曲小品の録音ばかりが続くというのはそれほど楽しい仕事ではなかった事でしょう」などと書き、「しかし、食っていくためには必要な仕事だったのでしょう」などと記しておりました。
しかし、最近になってそう言う小品集をじっくりと聞いてみると考えが随分と変わってきました。
よくよく聞いてみると、一連の小品の中にはオーケストラ編曲したものが多く、それらの編曲が実に面白いのです。レコードには編曲者のクレジットはないのですが、間違いなくレイホヴィッツの手になるものでしょう。
さらには、管弦楽の小品もじっくり聞いてみるとあれこれと手が入っているようで、原典通りに演奏しているとは思えません。それもまたレイホヴィッツ自身が手を入れたのではないでしょうか。
つまりは、「楽しい仕事ではなかった」のではなく、逆に結構楽しんで、そして意外なほど真剣に取り組んでいたように思えてきたのです。
確かに、彼にあてがわれたオーケストラは「インターナショナル交響楽団」とか「ロンドン新交響楽団」、「パリ・コンセール・サンフォニーク協会管弦楽団」などと言う「怪しげ」なものばかりです。
しかし、決して下手なオケではありません。
レイホヴィッツは本質的に「指揮者」ではなく「作曲家」でした。
同じような存在としてマルケヴィッチがいますが、彼の場合は「作曲もする指揮者」だったように思います。
両者はともに作品を分析する能力に関しては折り紙つきですが、その分析したものをオーケストラに明確に伝え、統率する能力に関しては大きな差があったと言わざるをえません。
マルケヴィッチの場合は自分が納得できる表現に辿りつくまでは容赦なくオーケストラを絞り上げますが、レイボヴィッツの指揮には良い意味での緩さがありました。
ですから、「インターナショナル交響楽団」とか「ロンドン新交響楽団」のような怪しげなオケも、レイホヴィッツのような指揮者ならば伸び伸びと楽しんで演奏できたことでしょう。そして、その楽しさにレイホヴィッツも乗っかって、「十二音技法の使徒」と呼ばれたほどの人物が、まるでポップスミュージックのようにクラシック音楽を演奏したのです。
ただし、忘れてはいけないのは、どれほど外連味にあふれた演奏であっても、そこにはしっかりと背筋が通っていることです。この二律背反しそうなことを見事に融合していることこそがレイホヴィッツの魅力です。
ですから、そういう楽しい音楽を聞き手に提供することは、決して「食っていくための仕方のない仕事」などではなかったはずです。
もっとも、現代音楽の作曲家にとっては「食っていくためにの必要な仕事」であった事も事実でしょうが…。
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