カルーソー 偉大なるオペラアリア集(2)
カルーソー 1908年~1910年録音
歌劇「ドン・パスクワーレ」 - 地上にただひとり
歌劇「ランメルモールのルチア」 - 第2幕 じゃまするのはだれだ
歌劇「ラ・ボエーム」 - さようなら、甘いめざめよ
歌劇「蝶々夫人」 - 第1幕より O quanti occhi fisi
歌劇「ユグノー教徒」 - 第1幕 アルプスの雪より白く
歌劇「シバの女王」 Op. 27 - 第2幕より Magische Tone
歌劇「カルメン」 - 第2幕 花の歌 「お前が投げたこの花は」
歌劇「運命の力」 - 第3幕 天使のようなレオノーラよ
歌劇「オテロ」 - 第2幕 清らかな思い出は遠いかなたに
歌劇「イル・トロヴァトーレ」より Mal Reggendo
歌劇「イル・トロヴァトーレ」より Se M'Ami Ancor-Ai Nostri Monti
歌劇「アイーダ」 - 第4幕 すでに神官たちが待っている
歌劇「道化師」 - 第2幕 もう道化師じゃない
歌劇「ファウスト」より O Merveill
歌劇「ファウスト」より Que Voulez-Vouz
歌劇「蝶々夫人」より Amore O Grillo
歌劇「蝶々夫人」Non Ve L'Avevo Detto
カルーソー 偉大なるオペラアリア集(2)
- 歌劇「ドン・パスクワーレ」 - 地上にただひとり
- 歌劇「ランメルモールのルチア」 - 第2幕 じゃまするのはだれだ
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- 歌劇「蝶々夫人」 - 第1幕より O quanti occhi fisi
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- 歌劇「蝶々夫人」Non Ve L'Avevo Detto
オーディオの歴史をソフトとハードの両面で築き上げた立役者
最近は「新譜」で買いたいと思えるような録音がほとんどありません。それは、決して「昔は良かった」という年寄りの口癖と切って捨てるわけにはいかない「切実」さがあります。
そんな時に、「PCオーディオ実験室」の方で、「オーディオの衰退はハード面の接客だけではなく、ソフト面の満足度の低下もあるのではということです。」というコメントいただき、はたと気づくことがありました。
オーディオファンというのは圧倒的にクラシックかジャズを聞きます。そうでない人もいることはいますが、圧倒的に少数派です。そして、誰も彼もがオーディオの衰退を嘆きます。そして、その嘆きの大部分はオーディオメーカーや販売店に向けられていたのですが、ソフト面の衰退もその責任の一端をになっていたのだと言うことにあらためて気づかされました。
今までも、「聞きたいと思えるような新譜がない」と嘆き、他方では「買いたいと思えるような魅力的なオーディオ機器がない」と嘆きながら、どうしてその事が私の中で一つに結びつかなかったのか不思議なくらいです。
コメントいただいた方は、返す刀で「これぞというコンサートに足を運んでは、あまりの下手さ加減に、自宅のCDで口直しをしています。」と切って捨てています。演奏家の中には「CDなんか買ってくれなくても演奏会に足を運んでくれればその方が嬉しい」などとおっしゃる方もいますが、魅力的な新譜がないと言うことは、演奏会の質も低下していると言うことです。
それにしても、どうしてこんな事になってしまったのでしょう?
もちろん、こういう言い方は「昔は良かった」という年寄りの愚痴になる危険性を内包しています。この危険性について、私自身もかつてこのように書いたことがあります。
「例えば、20世紀の初め頃(たしか30年代?)にイザイというヴァイオリニストが亡くなりました。時の評論家は彼の死を悼んで「これで真のヴァイオリニストはこの世から消えてしまった」と嘆いたそうです。そして返す刀で「これからはハイフェッツやエネスコやティボーのような小人輩どもが跋扈するしかないと思えば情けない限りだ」と宣ったそうです。
また例えば、五味康祐なる人物がいます。
今の若い人には五味康祐と言ってもピンとこないでしょうが、存命中は剣豪小説の作家として有名な方でした。しかし、私にとっては求道者と言っていいほどに自分の全生涯をかけてクラシック音楽とオーディオを追求した人物として深く心に残っています。ですから、本職の剣豪小説(私は一冊も読んだことはありませんが・・・)以外にも、オーディオやクラシック音楽についてたくさんのエッセイを残しています。
その中の、例えば、「ベートーベンと蓄音機」などと言う一冊を読んでみますと、作曲家や作品そのものに関しては自分の耳と感性を信じて素晴らしいオマージュを語っています。ところが、演奏に関しての文章となると、そういうしなやかな感性がとたんに影をひそめてしまい、「昔は良かった」の一点張りになってしまいます。フルヴェン・ワルター・メンゲルベルグ・トスカニーニなどへのオマージュが熱く語られ(それはそれで面白いのですが)、それと比べて今の演奏家はダメになっており、これから先も期待はもてないと言う「嘆き」というか「ボヤキ」というか、そう言う言葉が繰り返し語られています。
私たちはイザイが亡くなった30年代以降の世界を知っていますし、フルトヴェングラーやワルターが亡くなったあとの世界も知っています。ですから、「小人輩が跋扈」し、「なんの望みもない」と言われた「そのあとの時代」においても、数々の素晴らしい演奏や録音が残されたことを知っています。私たちが歴史的録音の演奏について語るときに、このような物言いになることを、つまり年寄りの愚痴になることを十分に注意しなければいけないのです。 」
そのように心しても、昨今のクラシック音楽の世界には心を躍らせるような魅力がほとんど感じられません。とりわけ、私が大好きなオーケストラによる演奏となると「惨憺たる」状況です。敢えて具体的な名前は挙げませんが、この上もなく空疎な音楽を汗をしたたらせて飛び跳ねながら指揮をしている姿を見るたびに私の心は冷えていきます。
そこで、このゴールデンウィークは敢えて「古い録音」を集中的に聞いてみました。
カルーソーです。
1903年から彼が亡くなる1921年までの録音ですから、よほどの好事家でもない限りお金を払ってCDを買う人はいないでしょう。録音の歴史で言えば、マイクロフォンによる録音が始まる前にカルーソーはなくなっていますから、いわゆる「アコースティック録音」の時代です。
アコースティック録音なんて言うと粋な感じがしますが、何のことはない、大きなラッパに向かって声を張り上げて録音するのです。ですから、別名「ラッパ吹き込み」と呼ばれる極めて原始的な録音方法です。
こういう原始的な録音の時代に(おそらくは)積極的に録音活動を行った最初の一流演奏家がカルーソーでした。
彼はヨーロッパ時代にも録音を行っていたようですが、有名なのは1903年から始まった米ビクターとの録音です。
1903年に録音したのは「歌劇「ユグノー教徒」 - 第5幕 この空の下に」です。米ビクターは1901年に設立されていますから、本当の大物を招いての録音はこれが初めてだったのではないでしょうか。
正直言って、実に酷い音です。まるで、鼻をつまんで歌っているのかと思えるような音質です。
ところが翌年の「歌劇「アイーダ」 - 第1幕 清きアイーダ」になると、充分に聞ける音質になっています。そして、「聞ける」だけでなくて、彼の並外れた声の威力さえもしっかりと聞き取れます。
この違いはかなり凄いです。
おそらく、ビクターのスタッフは、この1年で「何か」をつかんだのだと思います。
同じ年に録音したトスカの「e Lucevan le Stelle(星は光りぬ)」の泣き節なども見事なものです。
そして、ビクターはこのカルーソーの録音バックに1906年から「ビクトローラ」なる蓄音機の製造販売をはじめます。木製キャビネットの中にターンテーブルとホーンを収めた蓄音機で、この最終発展系の「クレデンザ」は今でも高値で取引されています。(日本で初めて発売されたときは家一軒よりも高かったとか・・・)
当然のことですが、ビクターはクレデンザのようなものだけを発売したのではなくて、卓上のターンテーブル(発売当時は15ドルだったとか)をはじめとして、様々なサイズやスタイルの蓄音機を発売し、かなりの数を市場に送り込んだようなのです。そして、その後押しをしたのは、言うまでもなくカルーソーなどのソフト面だったことは言うまでもありません。
その意味では、カルーソーは、単に20世紀最高のテノールと言うだけでなく、それ以後のオーディオの歴史をソフトとハードの両面で築き上げた立役者だったとも言えます。
そんなカルーソーも1909年にのどの手術をしたために、それ以後は全盛期の声の「威力」は影を潜めてしまいます。そして一切の編集もお化粧も不可能なアコースティック録音は、そう言うカルーソーの衰えを残酷なまでに刻み込んでいきます。
世間では、そんなカルーソーを「高音域の輝きを失ったものの、逆に中音域の力強さでその欠点を補った」という人もいますが、そんな馬鹿なことを言ってはいけません。
高音の輝きを失った歌手を世間ではテノールとは言わないのです。駄目なものは駄目と言わなくてはいけません。
ただ、声に威力があった全盛期にはかなり奔放に歌いきっていたのが、晩年(とは言っても40代ですが)はかなり丁寧な歌い方に変わっています。そして、その丁寧さは、ライブとは違って繰り返し聞かれることになる録音では意外と重要だと言うことにカルーソーだけでなく録音スタッフも気づいていった歴史を感じ取ることができます。
言うまでもないことですが、今日の録音技術から言えば「貧弱」な音であることは事実です。
しかし、この貧弱な音の向こうから、何とも言えない熱気が感じ取れます。おそらく、今のクラシック音楽の世界に一番欠けているのは、このイケイケドンドンの「下品ささえ感じられる熱さと勢い」でしょう。
あの取り澄ました「お上品さ」の匂いをかがされるたびに、何とも言えない「おぞましいもの」を見せつけられたような気分になります。そう言うものと出会うくらいなら、アコースティック録音されたカルーソーの歌声を聞いている方がはるかに気分がいいです。
とは言え、どこかから、「頼むからこんな古い録音なんかアップしてくれるな!」という声も聞こえてきそうですが・・・(^^;。
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