バッハ:イギリス組曲 第5番 ホ短調 BWV 810
カークパトリック 1956年5月25日〜6月9日録音
Bach:イギリス組曲 第5番 ホ短調 BWV 810 第1曲?Prelude
Bach:イギリス組曲 第5番 ホ短調 BWV 810 第2曲?Allemande
Bach:イギリス組曲 第5番 ホ短調 BWV 810 第3曲?Courante
Bach:イギリス組曲 第5番 ホ短調 BWV 810 第4曲?Sarabande
Bach:イギリス組曲 第5番 ホ短調 BWV 810 第5曲?Passepied1、2
Bach:イギリス組曲 第5番 ホ短調 BWV 810 第6曲?Gigue
規模が大きく壮大なクラヴィーア作品
「イギリス組曲」と一般的に呼ばれている作品ですが、この「イギリス云々」という呼称はバッハが名付けたものではありません。彼は、素っ気なく(そう、彼はいつも自分の作品にネーミングするときは素っ気ないのです)「プレリュードつきの組曲」と呼んでいました。それでは、何故にこの組曲が「イギリス組曲」と呼ばれるようになったのかなのですが、これは諸説があって結局は真相は藪の中です。
バッハ自身が「プレリュードつき」と呼んでいるように、すべての作品の冒頭に「プレリュード」がつくというのはバッハ作品としては珍しいことなのですが、この形式は当時のイギリスでは流行っていたためにこの名前がついたという説があります。また、フォルケルという人が書いたバッハの伝記の中に「ある高貴なイギリス人の依頼によって書かれた」と記されているためだという説もあります。実際、息子のクリスティアンが所持していた写譜の中に「イギリス人のためにつくられた」と記されているので結構有力な説なのですが、ではそのイギリス人とは誰なのかと聞かれれば全く手がかりすらありません。果ては、この作品の持つ壮大な雰囲気がイギリス的なのでこの名前がついたという学者もいる始末です。何ともばかばかしく思うのですが、しかしこれまたバッハのあずかり知らぬところで「フランス組曲」と名付けられたもう一つのクラヴィーアのための組曲と比べてみると、確かに片方はフランス的であり、こちらはイギリス的な雰囲気がしないわけでもありません。
ただし、学者先生の研究によると18世紀の終わり頃にはこの名前が広く一般に流通していたそうですから、おそらくは上で述べたどれか一つがと言うのではなくて、それらの「合わせ技」でいつの間にかこの名前が定着したと言うことなのでしょう。
さて、この「プレリュードつきの組曲」のプレリュードなのですが、第1番をのぞけば作品の前置きというよりは明らかに作品のメインと言えるほどに規模が大きく聴き応えがします。使っている音域もフランス組曲よりははるかに広いために、サロンで典雅に演奏すると言うよりは本格的な演奏の腕前を披露するような華やかさがあります。おそらくはフランス組曲はクラヴィコードを想定した作品であったのに対して、イギリス組曲は本格的なチェンバロを想定したものだったのかもしれません。この作品の作曲年代は正確には確定されていませんが、おそらくはケーテンの宮廷に就職した頃だろうと言われています。そして、その時期はバッハが新しいチェンバロを入手して意欲的にクラヴィーアのための作品を発表していく時期と重なります。やはり、バッハも欲しかったものが手にはいるとうれしかったのでしょう。
イギリス組曲 第1番 イ長調 BWV 806
第1曲〜Prelude
第2曲〜Allemande
第3曲〜Courante1、2 Double1、2
第4曲〜Sarabande
第5曲〜Bourree1、2
第6曲〜Gigue
イギリス組曲 第2番 イ短調 BWV 807
第1曲〜Prelude
第2曲〜Allemande
第3曲〜Courante
第4曲〜Sarabande Les agrements de la meme Sarabande
第5曲〜Bourree1、2
第6曲〜Gigue
イギリス組曲 第3番 ト短調 BWV 808
第1曲〜Prelude
第2曲〜Allemande
第3曲〜Courante
第4曲〜Sarabande Les agrements de la meme Sarabande
第5曲〜Gavotte1、2
第6曲〜Gigue
イギリス組曲 第4番 ヘ長調 BWV 809
第1曲〜Prelude
第2曲〜Allemande
第3曲〜Couranet
第4曲〜Sarabande
第5曲〜Menuet1、2
第6曲〜Gigue
イギリス組曲 第5番 ホ短調 BWV 810
第1曲〜Prelude
第2曲〜Allemande
第3曲〜Courante
第4曲〜Sarabande
第5曲〜Passepied1、2
第6曲〜Gigue
イギリス組曲 第6番 ニ短調 BWV 811
第1曲〜Prelude
第2曲〜Allemande
第3曲〜Courante
第4曲〜Sarabande
第5曲〜Double
第6曲〜Gavotte1、2
第7曲〜Gigue
学者としても活躍した人でした。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラルフ・カークパトリック(Ralph Kirkpatrick, 1911年6月10日 – 1984年4月13日)はアメリカ合衆国の音楽家・音楽学者。チェンバロ奏者として著名。
ハーヴァード大学で記譜法とピアノを修めた後、ヨーロッパ各地に留学。パリでナディア・ブーランジェとワンダ・ランドフスカに師事した後、イギリスでアーノルド・ドルメッチに、ベルリンでハインツ・ティーセンに、ライプツィヒでギュンター・ラミンに師事。1933年から1934年までザルツブルクのモーツァルテウムで教鞭を執る。
1940年からイェール大学の教授に就任し、ドメニコ・スカルラッティの評伝と、スカルラッティ全作品の原典批判校訂版(1953年)を出版。これらに付された「カークパトリック番号」(Kk.+数字)は、スカルラッティのチェンバロ・ソナタの標準的な番号付けの方式となっている(この他の有名なスカルラッティのソナタの番号方式に、“L.+数字”で表記されるロンゴ番号がある)。
演奏家として数々の録音も残している。とりわけ、ヨハン・セバスチャン・バッハのクラヴィーア曲やスカルラッティ作品のほか、クラヴィコードによるバッハの《インベンションとシンフォニア》の全曲録音や、フォルテピアノによるモーツァルト作品集の録音が名高い。
カークパトリックは古楽の擁護者であっただけでなく、チェンバロのために作曲された近現代の音楽も演奏した。たとえば、クインシー・ポーターの《ハープシコード協奏曲》やダリユス・ミヨーの《ヴァイオリンとクラヴサンのためのソナタ》、(作曲者から献呈された)エリオット・カーターの《ハープシコード、ピアノと室内オーケストラのための協奏曲》をレパートリーとしていた。
コネチカット州ギルフォードにて他界。享年72。<ここまで>
彼は学者としても活躍した人ですから、バッハ演奏についてもいろいろ語っています。それを乱暴をおそれずにまとめてしまえば、ダイナミクスやテンポは不必要に動かすべからず!に尽きます。つまり、その様なことを演奏者が恣意的に行うことは「精緻を極めたバロック建築に災いをもたらす地震」だというのです。その意味では、彼もザッハリヒカイトの時代に生きた人であり、言い方を変えれば「ランドフスカ」以後、「グールド」以前の人だと言えます。ただし、グールドがピアノの人であるのに対してカークパトリックはチェンバロの人なので、その意味では今もって存在価値は失っていない録音だと思います。悪くないです。
よせられたコメント
2017-01-29:カンソウ人
- 前奏曲の冒頭の付点音符に対しての違和感があるんです。この曲は、フーガ的に書かれていて、ほぼ2声だけど、部分的には3声で、聴感的には3声です。譜面割りは、8分の6拍子で、聴感的には、2拍子にせねばなりません。
最初の音符は弱拍です。こういう事は、ピアノで演奏した方が、明確になります。対位法の綾に関しては、チェンバロの方が良いのですが、モダンチェンバロでは不十分です。スコット・ロスの演奏の事を出されていたのに、その師匠筋である、グスタフ・レオンハルトのことを避けるように書かれているように思います。
あの演奏法ならば、チェンバロで、パートの弾き分けがきちんと聴こえ、リズムの違和感もない。音色、テンポは、変えないのが原則なのですが、その分音のつなぎ方離し方は、大切です。一つのフレーズの中では、遅い早いがあるのです。右手左手で、異なるフレーズを演奏しているので、縦割りはずれる。いや、ずれなければならないのです。3声なら、複雑になる。その中で、全体は、同じテンポに聴こえるように演奏するわけです。
カークパトリック先生の演奏は、新古典主義と呼ばれる人たちの演奏そのものです。ロマンティックな恣意的な楽譜の読み方を止めて、作曲家がどんな音譜を書いたのかに戻ろうとした訳で、師匠筋のランドフスカのロマン的な表情とは異なります。時代様式なので、本人の責任ではなく、その次の世代の、楽譜から離れて、もちろん自分の恣意的な感情とも離れて、作曲家が要求する音楽、書かれた時代の音楽に対して忠実に音にする態度とは異なります。
スコット・ロスは、新古典主義の次の音楽です。その間には、1970年代の価値観の転換があって、ビートルズの存在が、音楽ではクラシック・ポピュラーなどを越えて、最も大きい存在です。グールドは、その時代様式に存在していると思います。伝統から一度離れて、自由になりたい。彼はそう叫んでいます。ビートルズの反戦なども、厭戦かもしれないけれど、共通な物を感じます。
グールドは作曲家に合わせて、連続でない事をしています。バッハ、モーツアルト、現近代の物と、すべて異なる態度で・・・深入りしません。彼には反戦的な態度はありませんが、伝統からの自由さ。しかし、彼の自閉症の事もあり、一見すると違和感があるけれど、この人には、そう弾かれねばならなかった理由がある。と言う面もあり、複雑化します。
カークパトリックは、そうするしかなかったのです。音楽の力もあり、技術的にも高くて、人間的にもまともです。ただ、1970年代の、価値の転換を受け止める時間も力も無かった訳で、そこが自分には物足らない。カラヤンは受け止めて、演奏様式を変えています。物足らないと感じない人もいます。
冒頭、譜面割り楽典的には付点リズムなので、3:1で演奏すべきなのですが、最初の音を少し長くして、4:1に近い位で演奏した方が、ピアノで言うとアクセントを付けたような効果がでます。何拍めかを意識して、強弱を出すことを工夫しないと、チェンバロではリズムが面白くないのです。六連音符的な、曲の中で大半を占めるフレーズと特徴的な付点音符のモチーフには、縦割りではズレが生じるのです。譜面とは異なりますが、音楽はその事を要求しています。グールドは、チェンバロでやっても難しい事を、ピアノの能力を制限して、チェンバロ的な響きを作り出しています。彼はその事を、オートマで運転すれば楽な事を、ミッションでやっている。そんな言い方をしています。そのスタイルにも、今や、聴き手が慣れました。1955年のゴールドベルクが出た時には、日本の偉いピアノの先生方は、避難轟轟で、貶しまくりでした。吉田秀和さんは、色んな人にLPを配る羽目になったそうです。10枚以上も・・・。恐らく、桐朋の偉い先生方に。芸大の楽理科で学んでいた先生方は、このピアニストは古い文献をよく読んでいますね。そう思ったようです。
レオンハルトの演奏は、今聴くと面白くなくて、彼の方法論でもっと面白い演奏をしている人は沢山いるのです。スコット・ロスもそうです。レオンハルトの演奏は、技術的にも高いのですが、何となく硬質で、研究して組み立てた理論に忠実過ぎる感じがあります。彼は、高速道路を作った訳です。1970年代の価値の転換を受け止める事は、音楽史上の非常に大きな事であり、ルネサンスとバロックの境目、バロックと古典派の境目に匹敵します。古典派からロマン派の境目の方が小さい位だと思います。
第二次世界大戦の終結が、音楽面で成果として表面化したのだと、言い換える事も出来ます。大量殺戮兵器の登場。国家総力戦。その後の東西の冷戦構造。それらを芸術は予言し、本質を芸術家の意志とは関係なく、表現してしまいます。
あの、付点音符に対する、感想と言うのか物足りなさを言葉にすると、こうなるのでしょうか。
非論理的に見えるへ理屈をお許し下さい。
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