モーツァルト:ピアノ・ソナタ第9番 ニ長調 K.311
(P)ワンダ・ランドフスカ:1956年8月録音
Mozart:Piano Sonata No.9 in D major, K.311/284c [1.Allegro con spirito]
Mozart:Piano Sonata No.9 in D major, K.311/284c [2.Andante con expressione]
Mozart:Piano Sonata No.9 in D major, K.311/284c [3.Rondo]
大人の男へのスタート地点
マンハイム滞在中か、もしくはそれ以前に書かれた可能性があるソナタです。
ある人はこのソナタを「生命に満ちあふれた上機嫌の打ち上げ花火」と称したのですが、レオポルドの監督から逃れて思う存分に羽を伸ばしているモーツァルトの素顔が透けて見える音楽になっています。
しかしながら、このソナタはその様な「上機嫌」さだけでなく、ソナタという形式を自分の感情の発露に添わせるように手なずけていこうという労作があちこちに見受けられます。
例えば提示部の最後で何気なく持ち入れられたモチーフが続く展開部での唯一の素材になったりしています。そして、この手法は円熟期のモーツァルトにおいて何度も用いられるようになる手法であったりもするのです。
さらに言えば、アレグロのフィナーレの充実ぶりは、その後の協奏曲のフィナーレを思わせるような音楽へと育ってきていて、モーツァルトはこの最終楽章に重点を置くことによって、今までは行わなかったような実験をしているのです。
- 第1楽章:Allegro con spirito (ソナタ形式)
- 第2楽章:Andante con espressione (展開部を欠くソナタ形式)
- 第3楽章:Allegro (ロンド形式)
大人の男へのスタート地点
モーツァルトのピアノソナタというのは、その一つ一つがユニークな個性を持っていてそれぞれが他とはかえ難い魅力を持っていることはいうまでもないのですが、全体を眺めることによってモーツァルトという希代の天才の大まかな姿を確かめることができるというジャンルでもあります。ピアノは彼にとっては第二の言語のようなものであり、ソナタという形式は身構える必要のない独白でした。
ですから、ピアノソナタを全体として概観することは、その様なモーツァルトの内なる「独白」をたどっていくようなものであり、そうすることによって一つ一つに注目していたのでは気づかなかった全体像が見えてくるという言い訳もそれほど説得力に欠ける物言いではないかもしれません。
いろいろな数え方があるのでしょうが、モーツァルトはその生涯に18曲のピアノソナタを残しています。そして年代的に並べてみると、上手い具合に前半の9曲と後半の9曲に分けることができるようです。
その内の前半の6曲はケッヘル番号からも分かるように、K.279からK.284までの6曲と、K.309からK.301の3曲に分かれます。
- ソナタ第1番 ハ長調 K.279 1775 ミュンヘン
- ソナタ第2番 ヘ長調 K.280 1775 ミュンヘン
- ソナタ第3番 変ロ長調 K.281 1775 ミュンヘン
- ソナタ第4番 変ホ長調 K.282 1775 ミュンヘン
- ソナタ第5番 ト長調 K.283 1775 ミュンヘン
- ソナタ第6番 ニ長調 K.284 1775 ミュンヘン
- ソナタ第7番 ハ長調 K.309 1777 マンハイム
- ソナタ第9番 ニ長調 K.311 1777 マンハイム
- ソナタ第8番 イ短調 K.310 1778 パリ
K.279からK.284までのソナタは「偽りの女庭師」を上演するために過ごした1775年のミュンヘンで作曲されています。
この6曲でワンセットになったピアノソナタは、オペラの上演のために冬を過ごしたミュンヘンでデュルニッツ男爵からの注文に応えて作曲したものです。他人に渡すのですから、さすがに脳味噌の中にしまい込んでおくわけにもいかず、ようやくにして「書き残される」ことで第1番のピアノソナタが日の目を見たということです。
この6曲に続く3曲は、就職先を求めて母と二人で行ったパリ旅行の途中で作曲されたものです。
この演奏旅行は、父レオポルドの厳格な監督から生まれて初めて解放された時間を彼に与えたと言う意味でも、さらには当時の最先端の音楽にふれることができたという意味でも、さらにはパリにおける母の死という悲劇的な出来事に遭遇したという意味においても、モーツァルトの人生における重要なターニングポイントとなった演奏旅行でした。
K.310のイ短調ソナタに関してはすでに語り尽くされています。
ここには旅先のパリにおける母の死が反映しているといわれ続けてきました。
あまりにも有名な冒頭の主題がフォルテの最強音で演奏される時、私たちはいいようのないモーツァルトの怒りのようなものを感じ取ることができます。そしてその怒りのようなものは第2楽章の優しさに満ちた音楽をもってしても癒されることなく、地獄の底へと追い立てられるような第3楽章へとなだれ込んでいきます。
ただし、その怒りは果たして母の死に際して為すすべのなかった己への怒りなのかどうかについては安易に結論は出さない方がいいように思います。少なくとも私にはその様な音楽とは思えません。
その辺りのことに関しては、
「男にとって・・・。」という駄文で綴ったことがありますので、興味ある方はご一読ください。
しかし、それに先立つ二つのソナタからはレオポルドの監督から逃れて思う存分に羽を伸ばしているモーツァルトの素顔が透けて見えます。
パリへ向かう途中のアウグスブルグとマンハイムで作曲されたと思われるK.309とK.311からは自由を満喫して若さと人生を謳歌している屈託のない幸せなモーツァルトの喜びがあふれています。
そして、この二つのソナタとイ短調ソナタを結びつけるのは、疑いもなくマンハイムで出会ったアロイージアの存在です。そして、その女性の存在こそが、自我の目覚めない子供だったモーツァルトをわずか6ヶ月でかくも飛躍させたのです。
パリでの就職活動に失敗して失意の中でザルツブルグに帰郷したモーツァルトは、やがて大司教のコロレドと大喧嘩をしてウィーンに旅立ちます。
貴族の召使いとして生きていくしかなかったこの時代の音楽家にとって、その喧嘩別れは命がけの決断だったはずです。
そして、そのような決断ができる男になれたスタート地点がここにこそあったのではないでしょか。
モーツァルトの心にそった自由自在な演奏
それにしても迂闊でした。
まさか、こんなにも録音クオリティの高いランドフスカのレコードが残っていたとは、全く気づいていませんでした。おまけに、その演奏を一言で表現するならば、「モーツァルトの心にそった自由自在な演奏」と言っていいほどの優れものなのですから、まさに涙ものです。
ランドフスカは1959年に亡くなっていますから、これはまさに70代後半の亡くなる少し前の録音と言うことになります。
さすがに、ランドフスカをスタジオ録音に連れ出すのは無理とRCAも思ったのでしょう、逆にRCAの録音スタッフがランドフスカの自宅を訪れて録音を行ったのです。そして、幸いだったのは、ランドフスカの自宅にレコーディング・スタジオと言っていいほどの環境があったようで、かくも素晴らしい演奏が素晴らしい録音で残されたのです。
それにしても、ピアニストとしてのランドフスカの技量がほとんど落ちていないことにも驚かされました。チェンバロ奏者というものはピアニストになれなかった人という印象がないわけでもないのですが、ランドフスカの場合はそう言う一般論は全くあてはまりません。
それどころか、専業ピアニストでも、これほどに素晴らしい音色でニュアンス豊かに演奏できる人はあまりいないでしょう。
これはもう、RCAに感謝あるのみです。
そして、調べてみればモーツァルト以外にもハイドンやバッハの録音も行ったようなので、そちらも順次紹介していければと思っています。
さて、このモーツァルトの演奏を「自由自在な演奏」と述べました。
それは、聞いてもらえれば誰もがすぐに納得されることでしょう。
しかし、作曲家の書いた楽譜に忠実である事こそが作曲家への最大の敬意だと信じている「原典尊重主義者」にとっては、いささか困った演奏と言うことになるかもしれません。
まずはテンポがとんでもなく自由です。例えば、アレグロ楽章は一般的な感覚からすればかなりゆっくりですし、さらに細かく見ていけば楽譜には何も記されていない(一般的にモーツァルトは楽譜に細かい指示はほとんど書き込んでいません)場所でルパートをかけたりアクセントをつけたりして実に主情的な表情をつけています。
また、至るところに装飾音符も散りばめていますし、極めつけはピアノ・ソナタ13番の第2楽章です。演奏時間が通常の倍以上なので驚いたのですが、それは聴いたことがないようなメロディが聞こえてきたりするからで、おそらくはランドフスカ版のカデンツァと解するしかないようです。
そして、こういう問題についてはグルダが65年に録音した「
ピアノソナタ第15番 ハ長調 K 545」の演奏をめぐって少しばかり言及したことがあります。
簡単にいってしまえば、モーツァルトの時代においては、ピアノ音楽というものは楽譜に書かれたとおりの演奏するのではなくて、常に「表情と趣味をもって」装飾音を施すことが演奏家としての義務だったということです。
この事については、ショーンバーグが「ピアノ音楽の巨匠たち」の中で詳しく述べています。
驚いたのは、常に「表情と趣味をもって」装飾音をほどこす事を50年代の半ばにランドフスカが行っていたことです。
60年代の中頃においてもグルダの主張と演奏はほとんど無視されて、ただの「グルダの酔狂」としか受け取られませんでした。そして今となっても、無表情な取り澄ました表情でモーツァルトを演奏するのが当たり前という状態が続いています。
そう言う歴史的な流れから見てみれば、ランドフスカの演奏は驚くほどの先見性を持っていたと言えます。
しかし、もう一歩踏み込んで考えてみれば、音楽家としての根っこを19世紀に持っているようなランドフスカにとっては、モーツァルトとは本来そのようなものだったのかもしれないと言うことに気づきます。
大切なことは、楽譜にどこまで忠実かではなくて、その音楽がどこまでモーツァルトの心に添っているかです。モーツァルトはそう言う演奏こそが「趣味がいい」と言って評価しました。
逆に、なんの工夫もしないで楽譜通りに演奏することは愚か者とみなしていたのです。もちろん、その装飾や表情の付け方が大袈裟なものだったりすると、それもまた「趣味の悪い」演奏だと酷評しています。
ですから、ランドフスカも「今日の私たちが印刷された楽譜に忠実に取り組むことによって敬意を払っているつもりの演奏は、モーツァルトの同時代の人々からは、無知で野蛮だと呼ばれたことだろう。」と述べています。
つまりは、19世紀的伝統を根っこにして、50年代に主流となりつつあった即物主義的な演奏が陥ってしまう危険性を指摘していたのです。
ですから、私はこのランドフスカの演奏を「モーツァルトの心にそった自由自在な演奏」と言いたいのです。そこには彼女の人生とモーツァルトの音楽がこの上もなく美しく寄りそっています。
第2時世界大戦によって、ユダヤ系ポーランド人であったランドフスカはフランスの自宅を捨ててアメリカに移らざるを得ませんでした。彼女もまた戦争によって大きく人生を左右された人であり、その中で様々な悲劇を経験せざるを得なかった人でした。
そして、そのような悲劇の果てに辿り着いた諦観の様な心の有りようが彼女の晩年の演奏には反映しているように思われます。
もしも、モーツァルトのピアノ音楽は退屈だと心密かに思っている人がいれば(そう言う本音はなかなか言いにくいことですが・・・^^;)、是非とも聞いてもらいたい演奏です。
そこであなたは、ランドフスカを通して本当のモーツァルトの素顔をみることが出来るはずです。
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