ベートーベン:ピアノ・ソナタ第18番 変ホ長調 Op.31-3
(P)フリードリヒ・グルダ 1953年11月6日録音
Beethoven: Piano Sonata No.18 In E Flat, Op.31 No.3 "The Hunt" [1. Allegro]
Beethoven: Piano Sonata No.18 In E Flat, Op.31 No.3 "The Hunt" [2. Scherzo (Allegretto vivace)]
Beethoven: Piano Sonata No.18 In E Flat, Op.31 No.3 "The Hunt" [3. Menuetto (Moderato e grazioso)]
Beethoven: Piano Sonata No.18 In E Flat, Op.31 No.3 "The Hunt" [4. Presto con fuoco]
18世紀的なソナタから抜け出して独自の道を歩み始めたベートーベンの姿が明確に刻み込まれている
作品を6つ、もしくは3つにまとめて発表したり出版するのはバロック時代から古典派の時代における一つの特徴でした。それは、バッハの組曲やパルティータなどにもよくあらわれています。
おそらくは、そういう風にセットにすることで「お得感」もあったでしょうし、作曲家にしても自らの多様な姿を示す(誇示する?)のに都合がよかったのでしょう。
ベートーベンもまた同様なのですが、彼の場合は6つではなくて3つにまとめることが多かったようです。
ピアノ作品だけを例にしてみれば、作品2(1番~3番)、作品10(5番~7番)、作品31(16番~18番)がそれにあてはまります。
Piano Sonata No.1 in F minor, Op.2-1
Piano Sonata No.2 in A major, Op.2-2
Piano Sonata No.3 in C major, Op.2-3
Piano Sonata No.5 in C minor, Op.10-1
Piano Sonata No.6 in F major, Op.10-2
Piano Sonata No.7 in D major, Op.10-3
Piano Sonata No.16 in G major, Op.31-1
Piano Sonata No.17 in D minor, Op.31-2
Piano Sonata No.18 in E-flat major, Op.31-3
作品14や作品27のように3つではなくて2つをまとめているものもありますし、当然の事ながら単独で作品番号を与えているものが全体の半数を占めています。
しかし、最後の3つのソナタ(Op.109~Op.111)のように、本来は3つにまとまった作品と考えられるのですが、ばらして出版した方が金になると判断したので異なる作品番号が与えられることになった作品も存在します。
そして、重要なことは、このようにまとまった形で発表された作品は、そのまとまりとして眺めないと見落としてしまう面があると言うことです。
明らかなのは、このようにまとまりを持った作品というのは、それぞれに対して明確な性格の違いが与えられていると言うことです。
例えば、作品10の3曲を例に挙げればハ短調のソナタはその調性に相応しく英雄的であり、続くヘ長調ソナタは諧謔的な雰囲気を漂わせます。そして、最後のニ長調のソナタは3曲の中では最も規模が大きくて雄大な広がりを持った作品として全体を締めくくります。
ベートーベンはこの3つの作品をまとめて発表することで、英雄的であり、諧謔的であり、そして雄大な世界をも提示できる自らの多様性をアピールすることが出来たのです。
そして、「作品31」においてはその様な性格付けはさらに際だっていて、それぞれが「諧謔的(ト長調)」であり「悲劇的(ニ短調)」であり、最後は規模の大きな「叙情的(変ホ長調)」な性格で締めくくられます。
そして、それは若手の人気ピアニストとして売り出していたベートーベンの姿が「作品10」の3曲に刻み込まれていたとすれば、そう言う18世紀的なソナタから抜け出して独自の道を歩み始めたベートーベンの姿が「作品31」には明確に刻み込まれているのです。
ピアノソナタ第18番 変ホ長調 Op31-3
第1楽章:Allegro
ローゼン先生はこの冒頭部分はこれまでに作曲したソナタの中で最も不安定な感情を表していると述べています。繰り返される問いかけに対して音楽は一瞬停止して応答があらわれるからです。そして、その呼びかけと応答にはある種の哄笑が含まれているとも述べています。
第2楽章:Scherzo. Allegretto vivaceひそやかな哄笑はこの楽章において爆発します。スタッカートを多用した進行や極端なダイナミックスの交錯はその笑いに悪魔的な雰囲気を忍び込ませてくるようです。
第3楽章:Minuet. Moderato e grazioso - Trio
ベートーベンがピアノソナタでメヌエットを用いた最後の音楽です。従来の伝統的なメヌエット形式を踏襲するkとで、先んじるスケルツォ楽章と好対照をなしています。
第4楽章:Presto con fuoco
荒々しいエネルギーと高揚感に満ちた楽種です。冒頭の飛び跳ねるようなリズムはタランテランであり、その正確なリズム処理が演奏家には求められます。そして、このリズムが楽章全体を貫いているために「ドイツ人のタランテラン舞曲」とか「狩りのソナタ」というニックネームを奉られることになるのですが、当然の事ながら、それはベートーベンのあずかり知らぬことです。
見晴らしのいい爽快で新鮮でしかも深いベートヴェン
ブレンデルのソナタ全集を紹介したときにグルダの全集に関しても少しばかりふれました。
一般的にグルダによるベートーベンのピアノ・ソナタ全集は1967年に集中的に録音されたAmadeoでのステレオ録音と、1954年から1958年にかけてモノラル・ステレオ混在で録音されたのDecca録音の二つが知られていました。しかし、最近になってその存在が知られるようになったのがここで紹介しているた1953年から1954年にかけてウィーンのラジオ局によってスタジオ収録された全曲録音です。
この録音は、きちんとセッションを組んで以下のような順番で全曲が録音されたようです。
1953年10月8&9日録音:1番~3番
1953年10月15&16日録音:4番~7番&19番~20番
1953年10月22日録音:8番~10番
1953年10月26日録音:11番
1953年10月29日録音:12番~13番&15番
1953年11月1日録音:14番
1953年11月6日録音:16番~18番&21番
1953年11月13日録音:22番&24番~25番
1953年11月20日録音:23番&27番
1953年11月26日録音:30番~31番
1953年11月27日録音:26番&32番
1954年1月11日録音:28番~29番
グルダは年代順にベートーベンのピアノ・ソナタを全曲録音するという構想を立てていて、それを実際に行ったのは1953年のことでした。その年に、グルダはなんとオーストリアの6都市でベートーベンのピアノ・ソナタ全曲演奏会を行うことになるのですが、おそらくはその集大成として1953年10月8日から1954年1月11日にかけて、セッション録音を行ったのでしょう。
しかしながら、その全曲録音が終了した1954年からグルダはDeccaで同じような全曲録音を開始するのです。
この1953年から1954年にかけて録音を行ったウィーンのラジオ局は、当時は依然としてソ連の管理下にあったこともあってか、結局は一度も陽の目を見ることもなく「幻の録音」となってしまったようなのです。
それでは、その「幻の録音」が何故に今頃になって陽の目を見たのかと言えば、録音から50年が経過しても未発表だったのでパブリック・ドメインとなったためでしょう。そう考えてみると、著作権というのは創作者の権利を守るとともに、一定の期間を過ぎたものはパブリック・ドメインとして多くの人に共有されるようにすることには大きな意味があるといえるのです。
さて、私事ながら、ベートーベンのピアノ・ソナタ全曲の「刷り込み」はグルダのAMADEOでのステレオ録音でした。つまりは、全曲をまとめて聴いたのがその録音だったのです。
理由は簡単です。その当時、AMADEOレーベルから発売されていたこの全集が一番安かったからです。(それでも1万円ぐらいしたでしょうか。昔はホントにCDは高かった)
ただ、買ってみて少しがっかりしたことも正直に申し上げておかなければなりません。なぜなら、その当時の私の再生装置では、なぜかピアノの響きが「丸く」なってしまって、それがどうしても我慢できなかったからです。
その後、CDプレーヤーは捨ててファイル再生に(PCオーディオ)へと移行していく中で、意外としゃっきりと鳴っていることに気づかされて、そのおかげでグルダの演奏の凄さが少しは分かるようになっていったものでした。音楽家への評価と再生装置の問題は意外と深刻な問題をはらんでいるのです。
当時のHMVのキャッチコピーを見ると「録音から既に長い年月が経過していますが、その間にリリースされた全集のどれと較べても、全体のムラのない完成度や、バランスの見事さ、響きの美しさといった点で、いまだに優れた内容を誇り得る全集だと言えるでしょう。」と書いています。
CDプレーヤーでお皿を回しているときは、この「バランスの見事さ、響きの美しさ」と言う評価には全く同意できなかったです。ただし、今のシステムならば十分に納得のいくものとなっています。
そして、それとほぼ同じ事がこの若き日の録音にもいえるのです。
1953年から1954年と言えば、バックハウスやケンプが現役バリバリで活躍していた時代でした。彼らのようなドイツの巨匠によるベートーベンは、シュナーベルやフィッシャーなどから引き継がれてきたドイツ的なベートーベン像でした・・・おそらく・・・。
そして、それ故に彼らのソナタ全集は多くの聞き手から好意的に受け入れられ、その結果としてメジャーレーベルから華々しく発売されることになったのです。
そう言う巨匠達の演奏と較べれば、このグルダのベートーベンは全く異なった時代を象徴するような演奏でした。
もしもバックハウスの演奏が「絶対的」なものならば、このグルダの演奏は明らかに異質な世界観のもとに成り立っています。
全体としてみれば早めのテンポで仕上げられていて、シャープと言っていいほどに鋭敏なリズム感覚で全体が造形されています。そして、ここぞと言うところでのたたみ込むような迫力は効果満点です。この、「ここぞ!」というとところでのたたき込み方は67年のAMADEOでのステレオ録音よりもこの50年代のモノラル録音の方が顕著です。
つまりは、それだけ覇気にあふれていると言うことなのでしょう。
ですから、バックハウスのようなベートーベンを絶対視する人から見れば、この演奏を「軽い」と感じる人もいることは否定しません。
たとえば、グルダの演奏を「音楽の深さや重さを教えているものではなく、極めて口当たりの良い軽い音で、しかも気軽に聞けるように作り直している」と評価している人もいたほどでした。それは、67年の録音に対してのものでしたから、それとほぼ同じスタンスで演奏した50年代の初頭の録音ならば(それは結局は陽の目を見なかったのですが)、大部分の人がそのような「否定的」な感想を持ったのだろうと思います。
しかし、ベートーベンはいつまでもバックハウスやケンプを模倣していないと悟れば、このグルダの録音は全く新しいベートーベン像を呈示していることに気づかされます。
つまり、シュナーベルから引き継がれてきたドイツ的(何とも曖昧な言葉ですが・・・^^;)なベートーベン像だけが絶対的な「真実」ではないと悟れば、このグルダが提供するベートーベン像の新しさは逆に大きな魅力として感じ取れるはずです。何故ならば、重く暑苦しい演奏は数あれど、ここまで見晴らしのいい爽快で新鮮でしかも深いベートヴェンはこれが初めてかもしれないのです。
そう言う意味で、録音から50年が経過して、著作権の軛から解放されてこの演奏が陽の目をみることが出来たことは喜ばなければなりません。
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