ベートーベン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」 ハ短調 Op.13
(P)フリードリヒ・グルダ 1953年10月22日録音
Beethoven: Piano Sonata No.8 In C Minor, Op.13 "Pathetique" [1. Grave - Allegro di molto e con brio]
Beethoven: Piano Sonata No.8 In C Minor, Op.13 "Pathetique" [2. Adagio cantabile]
Beethoven: Piano Sonata No.8 In C Minor, Op.13 "Pathetique" [3. Rondo (Allegro)]
揺れ動くダイナミックな感情の表現に自らの進むべき道を見いだした
ピアノソナタという形式はベートーベンという稀代の音楽家の人生を辿る上での「道しるべ」のような役割を果たしてくれます。その視点からこの作品を眺めてみれば、これは「初期ソナタ」における一つの到達点という位置にあります。
そして、その事は、ベートーベン自身がこのソナタに「Grande Sonate Pathetique」というタイトルをつけて出版したことからも明らかです。
もちろん、これ以外のピアノソナタにもタイトルはついているのですが、その大部分はベートーベン以外の人が勝手につけたものです。
ベートーベン自身がタイトルを与えたのはこの「悲愴」と作品81aの「告別」だけです。
ベートーベンが初期ソナタの総決算として書いたこのソナタに「Pathetique(悲愴)」という感情的なタイトルをつけた背景には、ダイナミックに動き始めた社会の変化があったことは明らかです。
人々は与えられた封建的な秩序の中で静かに美しい均衡を保って生きていく事を否定し、さらにはその秩序に異議申し立てを行ってそれを破壊し、よりダイナミックに揺れ動く率直な感情を大切にし始めたのです。
そして、ベートーベンもまた一連の初期ソナタの到達点として、スタティックな古典的均衡よりは、揺れ動くダイナミックな感情の表現に自らの進むべき道を見いだしたのです。
そう考えれば、彼がこのソナタに自分の手で「Grande Sonate Pathetique」とタイトルをつけたと言うことは、それは一つの「宣言」であった事が分かります。
冒頭の一度聞いたら絶対に忘れることのない動機がこの楽章全体の基礎になっていることは明らかです。この動機をもとにした序奏部が10小節にわたって展開され、その後早いパッセージの経過句をはさんで核心のソナタ部へ突入していきます。
悲愴、かつ幻想的な序奏部からソナタの核心へのこの一気の突入はきわめて印象的です。
その後、この動機は展開部やコーダの部分で繰り返しあらわれますが、それが結果としてある種の悲壮感が楽章全体をおおうこととなります。
それがベートーベン自身がこの作品に「悲愴」という表題をつけたゆえんです。
続くAdagio楽章は、それまでに彼が書いた数多くの緩徐楽章の中ではもっとも優美な音楽であり、ベートーベン自身によって冒頭に「cantabile」と指示が為されています。
しかし、この指示を忠実に守って演奏するのはそれほど容易くはないようです。
それは、その優美さを実現するためにはフレージングの豊かさが必要であり、それは音符の数が少ないからといって弾きとばしてしまえば、さらには自分勝手な思い入れだけで演奏したのでは台無しになってしまうからです。
ここに聞ける悲壮感は後期の作品における、心の奥底を揺さぶるような性質のものではありません。
長い人生を生きたものが苦さと諦観の彼方に吐き出す悲しみではなく、それはあくまでも若者が持つところの悲壮感です。
しかしながら、後期のベートーベンの作品は後期のベートーベンにしか書けなかったように、この作品もまた若きベートーベンにしか書けなかった作品です。ここにあるのは疑いもなく「青春」というものがもつメランコリーであり、それ故に、年を重ねた人間にはかけない音楽です。
また、ローゼン先生の言によれば、出版社はベートーベンの「アクセント」と「スタカート」の指示を正確に読み取って区別する注意力を最後まで保持できなかったようです。
そして、このソナタの自筆譜が既に失われているために、出版譜に含まれている様々な不都合の訂正は演奏家の義務と言うことになります。それは、どれほど新しい版の楽譜が出版されたとしても、自筆譜が失われている以上は、それを頭から無批判に受け入れることは許されないのです。
なお、最後のアレグロ楽章は主調であるハ短調で書かれているのですが、それもまた中期以降の悲劇性をもつことはなく、どちらかといえば長調の雰囲気が濃厚です。
このソナタがいかに初期ソナタにおける一つの到達点であったとしても、ベートーベンは未だロンド形式に壮大さを与えるところまでには至っていないのです。
- 第1楽章:クラーヴェ - アレグロ・ディ・モルト・エ・コン・ブリオ ハ短調 (ソナタ形式)
- 第2楽章:アダージョ・カンタービレ 変イ長調 (3部形式)
- 第3楽章:アレグロ ハ短調 (ロンド形式)
見晴らしのいい爽快で新鮮でしかも深いベートヴェン
ブレンデルのソナタ全集を紹介したときにグルダの全集に関しても少しばかりふれました。
一般的にグルダによるベートーベンのピアノ・ソナタ全集は1967年に集中的に録音されたAmadeoでのステレオ録音と、1954年から1958年にかけてモノラル・ステレオ混在で録音されたのDecca録音の二つが知られていました。しかし、最近になってその存在が知られるようになったのがここで紹介しているた1953年から1954年にかけてウィーンのラジオ局によってスタジオ収録された全曲録音です。
この録音は、きちんとセッションを組んで以下のような順番で全曲が録音されたようです。
- 1953年10月8&9日録音:1番~3番
- 1953年10月15&16日録音:4番~7番&19番~20番
- 1953年10月22日録音:8番~10番
- 1953年10月26日録音:11番
- 1953年10月29日録音:12番~13番&15番
- 1953年11月1日録音:14番
- 1953年11月6日録音:16番~18番&21番
- 1953年11月13日録音:22番&24番~25番
- 1953年11月20日録音:23番&27番
- 1953年11月26日録音:30番~31番
- 1953年11月27日録音:26番&32番
- 1954年1月11日録音:28番~29番
グルダは年代順にベートーベンのピアノ・ソナタを全曲録音するという構想を立てていて、それを実際に行ったのは1953年のことでした。その年に、グルダはなんとオーストリアの6都市でベートーベンのピアノ・ソナタ全曲演奏会を行うことになるのですが、おそらくはその集大成として1953年10月8日から1954年1月11日にかけて、セッション録音を行ったのでしょう。
しかしながら、その全曲録音が終了した1954年からグルダはDeccaで同じような全曲録音を開始するのです。
この1953年から1954年にかけて録音を行ったウィーンのラジオ局は、当時は依然としてソ連の管理下にあったこともあってか、結局は一度も陽の目を見ることもなく「幻の録音」となってしまったようなのです。
それでは、その「幻の録音」が何故に今頃になって陽の目を見たのかと言えば、録音から50年が経過しても未発表だったのでパブリック・ドメインとなったためでしょう。そう考えてみると、著作権というのは創作者の権利を守るとともに、一定の期間を過ぎたものはパブリック・ドメインとして多くの人に共有されるようにすることには大きな意味があるといえるのです。
さて、私事ながら、ベートーベンのピアノ・ソナタ全曲の「刷り込み」はグルダのAMADEOでのステレオ録音でした。つまりは、全曲をまとめて聴いたのがその録音だったのです。
理由は簡単です。その当時、AMADEOレーベルから発売されていたこの全集が一番安かったからです。(それでも1万円ぐらいしたでしょうか。昔はホントにCDは高かった)
ただ、買ってみて少しがっかりしたことも正直に申し上げておかなければなりません。なぜなら、その当時の私の再生装置では、なぜかピアノの響きが「丸く」なってしまって、それがどうしても我慢できなかったからです。
その後、CDプレーヤーは捨ててファイル再生に(PCオーディオ)へと移行していく中で、意外としゃっきりと鳴っていることに気づかされて、そのおかげでグルダの演奏の凄さが少しは分かるようになっていったものでした。音楽家への評価と再生装置の問題は意外と深刻な問題をはらんでいるのです。
当時のHMVのキャッチコピーを見ると「録音から既に長い年月が経過していますが、その間にリリースされた全集のどれと較べても、全体のムラのない完成度や、バランスの見事さ、響きの美しさといった点で、いまだに優れた内容を誇り得る全集だと言えるでしょう。」と書いています。
CDプレーヤーでお皿を回しているときは、この「バランスの見事さ、響きの美しさ」と言う評価には全く同意できなかったです。ただし、今のシステムならば十分に納得のいくものとなっています。
そして、それとほぼ同じ事がこの若き日の録音にもいえるのです。
1953年から1954年と言えば、バックハウスやケンプが現役バリバリで活躍していた時代でした。彼らのようなドイツの巨匠によるベートーベンは、シュナーベルやフィッシャーなどから引き継がれてきたドイツ的なベートーベン像でした・・・おそらく・・・。
そして、それ故に彼らのソナタ全集は多くの聞き手から好意的に受け入れられ、その結果としてメジャーレーベルから華々しく発売されることになったのです。
そう言う巨匠達の演奏と較べれば、このグルダのベートーベンは全く異なった時代を象徴するような演奏でした。
もしもバックハウスの演奏が「絶対的」なものならば、このグルダの演奏は明らかに異質な世界観のもとに成り立っています。
全体としてみれば早めのテンポで仕上げられていて、シャープと言っていいほどに鋭敏なリズム感覚で全体が造形されています。そして、ここぞと言うところでのたたみ込むような迫力は効果満点です。この、「ここぞ!」というとところでのたたき込み方は67年のAMADEOでのステレオ録音よりもこの50年代のモノラル録音の方が顕著です。
つまりは、それだけ覇気にあふれていると言うことなのでしょう。
ですから、バックハウスのようなベートーベンを絶対視する人から見れば、この演奏を「軽い」と感じる人もいることは否定しません。
たとえば、グルダの演奏を「音楽の深さや重さを教えているものではなく、極めて口当たりの良い軽い音で、しかも気軽に聞けるように作り直している」と評価している人もいたほどでした。それは、67年の録音に対してのものでしたから、それとほぼ同じスタンスで演奏した50年代の初頭の録音ならば(それは結局は陽の目を見なかったのですが)、大部分の人がそのような「否定的」な感想を持ったのだろうと思います。
しかし、ベートーベンはいつまでもバックハウスやケンプを模倣していないと悟れば、このグルダの録音は全く新しいベートーベン像を呈示していることに気づかされます。
つまり、シュナーベルから引き継がれてきたドイツ的(何とも曖昧な言葉ですが・・・^^;)なベートーベン像だけが絶対的な「真実」ではないと悟れば、このグルダが提供するベートーベン像の新しさは逆に大きな魅力として感じ取れるはずです。何故ならば、重く暑苦しい演奏は数あれど、ここまで見晴らしのいい爽快で新鮮でしかも深いベートヴェンはこれが初めてかもしれないのです。
そう言う意味で、録音から50年が経過して、著作権の軛から解放されてこの演奏が陽の目をみることが出来たことは喜ばなければなりません。
よせられたコメント
2021-05-09:アドラー
- 一聴すると「若いグルダが楽譜を端正に弾いて、速めのテンポで仕上げている」と言われそうな演奏ですが、奥深いものを感じて、アップされて以来、何度も聴かせてもらっています。うまく表現できませんが、例えばこの曲の第1楽章に静寂があることを初めて感じたし、その静寂がわずか1,2小節程度の間に力強い情熱にまっしぐらに一変するさまは「悲愴」という曲の芯に初めて触れた気がします。曲としても大きな音楽であるのを感じました。Blue Sky Labelのケンプとバックハウスの1950年代録音の同じ曲を聴き比べてみました。これらはこれで感じさせられることが多くてとても良いのですが、グルダの真っすぐに入り込む演奏と比べると「さて、この曲をどう料理しようか」というような、この曲とのある種の距離があるように感じました。自分を投影して想像するのですが、ウィーンの音楽院の先生たちは入学してきたグルダに恐るべき才能を感じて驚いただろうと思います。
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