ベートーベン:ピアノソナタ第1番 ヘ短調 作品2の1
(P)フリードリヒ・グルダ 1953年10月8日~9日録音
Beethoven: Piano Sonata No.1 In F Minor, Op.2 No.1 [1. Allegro]
Beethoven: Piano Sonata No.1 In F Minor, Op.2 No.1 [2. Adagio]
Beethoven: Piano Sonata No.1 In F Minor, Op.2 No.1 [3. Menuetto (Allegretto)]
Beethoven: Piano Sonata No.1 In F Minor, Op.2 No.1 [4. Prestissimo]
ハイドンに献呈されたピアノソナタ
ハイドンと若きベートーベンの確執については色々なエピソードが残っています。ハイドンに学んでいるときに訂正してもらった楽譜にたくさんの誤りがあって、「ハイドンからは何も学ぶことがなかった」と失望した話や、「作品1」として発表したピアノ三重奏曲の中で最も自信のあったハ短調の作品を出版しないように忠告されてひどく感情を害した、などです。
しかし、そんなハイドンに対して作品の2として書き上げた三曲のピアノソナタを献呈しているのですから、その行き違いはそれほど深刻なものではなかったようです。
片方はヨーロッパに威名をとどろかせていた大作曲であり、かたやウィーンに出てきたばかりの駆け出しなのですから、喧嘩になる方が難しかったのかもしれません。それに、なんといっても人格破綻者の多いクラシック音楽の世界では、ハイドンは珍しいほどの人格者ですから、そんな尖ったベートーベンに対してやんわりと対応して、その才能を評価することにもやぶさかではなかったのですから、やはり喧嘩になるのは難しかったのでしょう。
実際、ベートーベンにしてみても、落ち着いて考えてみればハイドンはやはり偉大な音楽家であり、自分の才能を見いだしてウィーンへの道を切り開いてくれた恩人であることは間違いないので、こういう形で謝意を表したのでしょう。
ピアノソナタ第1番 ヘ短調 作品2の1
第1楽章 アレグロ ヘ短調
冒頭の第1主題を聞いてどこかで聞いたことがあるような気がした人は鋭い!!
この出だしの部分はモーツァルトのト短調シンフォニーの終楽章との類似性がよく指摘されていました。おそらく、偶然ではなくてベートーベン自身も強く意識してのことだったと思われます。
ベートーベンという人は、同時代、もしくは先駆ける時代の作曲家と比べると短調の作品の割合が多いように思われます。この3つのソナタから作品2でも、冒頭の1番にイ短調のソナタを持ってきています。そう言う意味では、音楽に強い劇的な感情を持ち込んだベートーベンの萌芽がこういうところにも垣間見ることが出来そうです。
そして、これもよく指摘されることですが、この後音楽が長調に移っても臨時記号で一貫して短調の雰囲気が保持されています。そして、最後はそのような色づけの中で明らかにヘ短調に舞い戻ってそのまま終結を迎えます。
第2楽章 アダージョ ヘ長調
この楽章は18世紀的なオペラ的なアリア様式の音楽になっています。形式としては、アリアの両端、つまりは提示部と再現部だけで真ん中の展開部が欠けたような構造になっています。いわゆる、カヴァティーナ形式と呼ばれるものです。
音楽の最後も主調のヘ長調で完全終始するので、非常に静かに幕を閉じるような印象が残ります。
第3楽章 メヌエットア レグレット ヘ短調
伝統的なABA形式で書かれていますが、トリオの部分には挿入句を入れて少し工夫が為されているようです。
第4楽章 プレスティッシモ ヘ短調
まさにベートーベンの若さが持っている激しさが爆発したような音楽になっています。作品2の3曲のソナタの中では最も独創的で大胆な音楽だという人もいます。(私ならば、第3番のアダージョ楽章を取りたい。)
至る所にフォルティッシモの指定があるのも、後のベートーベンを彷彿とさせる楽章です。
見晴らしのいい爽快で新鮮でしかも深いベートヴェン
ブレンデルのソナタ全集を紹介したときにグルダの全集に関しても少しばかりふれました。
一般的にグルダによるベートーベンのピアノ・ソナタ全集は1967年に集中的に録音されたAmadeoでのステレオ録音と、1954年から1958年にかけてモノラル・ステレオ混在で録音されたのDecca録音の二つが知られていました。しかし、最近になってその存在が知られるようになったのがここで紹介しているた1953年から1954年にかけてウィーンのラジオ局によってスタジオ収録された全曲録音です。
この録音は、きちんとセッションを組んで以下のような順番で全曲が録音されたようです。
- 1953年10月8&9日録音:1番~3番
- 1953年10月15&16日録音:4番~7番&19番~20番
- 1953年10月22日録音:8番~10番
- 1953年10月26日録音:11番
- 1953年10月29日録音:12番~13番&15番
- 1953年11月1日録音:14番
- 1953年11月6日録音:16番~18番&21番
- 1953年11月13日録音:22番&24番~25番
- 1953年11月20日録音:23番&27番
- 1953年11月26日録音:30番~31番
- 1953年11月27日録音:26番&32番
- 1954年1月11日録音:28番~29番
グルダは年代順にベートーベンのピアノ・ソナタを全曲録音するという構想を立てていて、それを実際に行ったのは1953年のことでした。その年に、グルダはなんとオーストリアの6都市でベートーベンのピアノ・ソナタ全曲演奏会を行うことになるのですが、おそらくはその集大成として1953年10月8日から1954年1月11日にかけて、セッション録音を行ったのでしょう。
しかしながら、その全曲録音が終了した1954年からグルダはDeccaで同じような全曲録音を開始するのです。
この1953年から1954年にかけて録音を行ったウィーンのラジオ局は、当時は依然としてソ連の管理下にあったこともあってか、結局は一度も陽の目を見ることもなく「幻の録音」となってしまったようなのです。
それでは、その「幻の録音」が何故に今頃になって陽の目を見たのかと言えば、録音から50年が経過しても未発表だったのでパブリック・ドメインとなったためでしょう。そう考えてみると、著作権というのは創作者の権利を守るとともに、一定の期間を過ぎたものはパブリック・ドメインとして多くの人に共有されるようにすることには大きな意味があるといえるのです。
さて、私事ながら、ベートーベンのピアノ・ソナタ全曲の「刷り込み」はグルダのAMADEOでのステレオ録音でした。つまりは、全曲をまとめて聴いたのがその録音だったのです。
理由は簡単です。その当時、AMADEOレーベルから発売されていたこの全集が一番安かったからです。(それでも1万円ぐらいしたでしょうか。昔はホントにCDは高かった)
ただ、買ってみて少しがっかりしたことも正直に申し上げておかなければなりません。なぜなら、その当時の私の再生装置では、なぜかピアノの響きが「丸く」なってしまって、それがどうしても我慢できなかったからです。
その後、CDプレーヤーは捨ててファイル再生に(PCオーディオ)へと移行していく中で、意外としゃっきりと鳴っていることに気づかされて、そのおかげでグルダの演奏の凄さが少しは分かるようになっていったものでした。音楽家への評価と再生装置の問題は意外と深刻な問題をはらんでいるのです。
当時のHMVのキャッチコピーを見ると「録音から既に長い年月が経過していますが、その間にリリースされた全集のどれと較べても、全体のムラのない完成度や、バランスの見事さ、響きの美しさといった点で、いまだに優れた内容を誇り得る全集だと言えるでしょう。」と書いています。
CDプレーヤーでお皿を回しているときは、この「バランスの見事さ、響きの美しさ」と言う評価には全く同意できなかったです。ただし、今のシステムならば十分に納得のいくものとなっています。
そして、それとほぼ同じ事がこの若き日の録音にもいえるのです。
1953年から1954年と言えば、バックハウスやケンプが現役バリバリで活躍していた時代でした。彼らのようなドイツの巨匠によるベートーベンは、シュナーベルやフィッシャーなどから引き継がれてきたドイツ的なベートーベン像でした・・・おそらく・・・。
そして、それ故に彼らのソナタ全集は多くの聞き手から好意的に受け入れられ、その結果としてメジャーレーベルから華々しく発売されることになったのです。
そう言う巨匠達の演奏と較べれば、このグルダのベートーベンは全く異なった時代を象徴するような演奏でした。
もしもバックハウスの演奏が「絶対的」なものならば、このグルダの演奏は明らかに異質な世界観のもとに成り立っています。
全体としてみれば早めのテンポで仕上げられていて、シャープと言っていいほどに鋭敏なリズム感覚で全体が造形されています。そして、ここぞと言うところでのたたみ込むような迫力は効果満点です。この、「ここぞ!」というとところでのたたき込み方は67年のAMADEOでのステレオ録音よりもこの50年代のモノラル録音の方が顕著です。
つまりは、それだけ覇気にあふれていると言うことなのでしょう。
ですから、バックハウスのようなベートーベンを絶対視する人から見れば、この演奏を「軽い」と感じる人もいることは否定しません。
たとえば、グルダの演奏を「音楽の深さや重さを教えているものではなく、極めて口当たりの良い軽い音で、しかも気軽に聞けるように作り直している」と評価している人もいたほどでした。それは、67年の録音に対してのものでしたから、それとほぼ同じスタンスで演奏した50年代の初頭の録音ならば(それは結局は陽の目を見なかったのですが)、大部分の人がそのような「否定的」な感想を持ったのだろうと思います。
しかし、ベートーベンはいつまでもバックハウスやケンプを模倣していないと悟れば、このグルダの録音は全く新しいベートーベン像を呈示していることに気づかされます。
つまり、シュナーベルから引き継がれてきたドイツ的(何とも曖昧な言葉ですが・・・^^;)なベートーベン像だけが絶対的な「真実」ではないと悟れば、このグルダが提供するベートーベン像の新しさは逆に大きな魅力として感じ取れるはずです。何故ならば、重く暑苦しい演奏は数あれど、ここまで見晴らしのいい爽快で新鮮でしかも深いベートヴェンはこれが初めてかもしれないのです。
そう言う意味で、録音から50年が経過して、著作権の軛から解放されてこの演奏が陽の目をみることが出来たことは喜ばなければなりません。
よせられたコメント
2024-04-21:小林 正樹
- グルダのレガートが大好きなのです。この響きは恐らくウィーンの名器ベーゼンドルファーを巧みに扱うグルダ名人のセンスかと思われますが・・。楽譜を見ながら聴いてると何やワクワクする感興が起こる。この快感がたまりまへんわ。若きグルダも素敵でございます、いやほんま!貴重な記録を心からおおきにですユング様!
ところでユング様おっしゃる「音楽家への評価と再生装置の問題は意外と深刻な問題をはらんでいるのです」のくだりは、めっちゃめっちゃ、もひとつめっちゃ!大正論と思います。ウィーンの街のように毎晩(大劇場2つ、大ホール2つ、その中にまた分かれて5つほどの会場が最小単位(!)で存在し)年間300日ほど公演を行っていれば、家で装置で、クラシックを聴くなどは(余りの音の差異に)耳がしんどい時もありました。我が国の根本的に異質なクラシックのライヴ感覚の中では、装置に頼るしかないことも多いのが現実やぁ、と思いながらも、悲しく嬉しく感謝しつつ耳を研ぎ澄まして生を謳歌しとります!
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