リスト:ピアノソナタ ロ短調
(P)ニキタ・マガロフ:1951年録音
Liszt:Piano Sonata in B minor, S.178
謎を謎のままに今の時代まで残してしまった音楽
この作品は実につかみ所のない音楽と言えるようで、古今東西、多くのピアニストを悩ませ続けてきました。
しかしながら、その謎ゆえに多くのピアニストを惹きつけるのか、最も数多くの録音されたピアノ・ソナタであるという話も聞いたことがあります。
まずは、「ソナタ」と記されているものの全曲は切れ目無しに演奏されます。しかし、把握の仕方によっては3つの楽章を単一楽章に圧縮したものと考えられます。または、全体の構成を〔提示ー展開ー再現〕という一般的なソナタ形式にはめ込む分析もあるようです。
そして、そう言う二つの形式が重なり合った「二重機能形式」だとする考えもあります。
さらに、そう言う「ソナタ」という言葉からの呪縛を逃れて、これを一つの壮大な叙事詩としての「標題音楽」だと開き直る解釈もあります。
これに関して、強烈に印象に残っているのは恩田陸の「蜜蜂と遠雷」の中で語られるストーリーです。
ある謎の男の登場、そして一度聞けば耳から離れない美しいヒロインをあらわすメロディ、やがてそこで繰り広げられる一族の争いの中で、その謎の男の目的が自分の両親の命を奪った一族への復讐であることが明らかになっていく・・・と続く壮大な叙事詩です。
これはかなり強烈で、おそらく一般的なクラシック音楽の評論家や研究者からは到底受け入れられないものでしょう。何故ならば、彼らの多くはこの作品を純音楽としてその構造を解き明かしてその秘密を明らかにしなければ飯の種にならないからです。
もしも、この恩田陸のような解釈が許されるのならば、彼らの仕事は全て小説家に奪い取られることになります。
そして、ピアニストにしても、その様な叙事詩によって音楽を構築するなどと言うことは恐ろしい冒険であり、それよりは偉い先生の解き明かした構造に従って楽譜を再構築する方がはるかに安心感があることでしょう。
しかしながら、いささかオーバー・アクションに過ぎるとは思うのですが、それでも恩田陸の語る叙事詩には不思議な魅力があります。
おそらくは、そう言う謎を謎のままに今の時代まで残してしまったリストという音楽家の偉大さがこの作品に封じ込まれてると言うことなのでしょう。
壮大な叙事詩として歌い上げる
ニキタ・マガロフのリストにかんしては「パガニーニによる大練習曲」を少し前に紹介しました。
リストと言えば、何よりもピアニストとしての技巧を最大限に発揮し、聞き手はその技巧に拍手大喝采を送るというのが普通のスタイルです。
ところが、このマガロフの演奏からはその様な外連味は全く感じられませんでした。
もちろん、マガロフの技巧に問題があるのではありません。彼は、最晩年に至るまでほとんど「衰え」というものを感じさせない人でしたが、それでも「技巧」を前面に出す演奏とは最後まで無縁でした。
彼が、ここで実現しようとしているリストは大向こうを唸らせるための音楽ではなくて、その奥に秘められている瑞々しい叙情のようなものを引き出すことでした。
そう言えば、彼は常に「ピアノを叩くのではなく音をすくい上げる」と語っていました。つまりは技巧によって客を唸らせるのではなくて、その音楽に秘められている深い感情を救い出すことこそが重要だと言いたかったのでしょう。
そして、そういうマガロフの特徴がさらに上手く発揮されているのがこの「ロ短調ソナタ」です。
率直に言って、この作品は私にとっては謎でした。もっと正直に言えば、なんだか訳の分からない作品だったのです。
しかし、おそらくは「邪道」なのでしょうが、そう言う訳の分からない作品に手掛かりを与えてくれたのは「蜜蜂と遠雷」を書いた恩田陸の「妄想」でした。
あの壮大な叙事詩は敢えて「妄想」と呼びましょう。しかし、その「妄想」にひたることで、私はこの作品を聞く手掛かりを得ることが出来ました。
そして、そう言う叙事詩としての「ロ短調ソナタ」をマガロフがものの見事に語りきっていることに驚かされたのです。
「技巧によって客を唸らせるのではなくて、その音楽に秘められている深い感情を救い出す」という彼の基本的なスタンスが結果としてそう言う演奏になったのでしょう。
おそらく、これよりも派手に技巧をひけらかしたリストの「ロ短調ソナタ」はいくらでも存在します。
しかし、ここまで作品に内在する深い感情を引き出した演奏は他に思い当たりません。そう言う意味ではリスト演奏における唯一無二の録音と言っても言い過ぎではないと思います。
よせられたコメント 2020-10-11:yseki118 私もリストのロ短調ソナタに興味があって、少し調べたのですが、wikipediaには「標題にあたるような言葉をリスト本人は一切残していない。(中略)しかし標題的な読解がいくつも提案されており、特にヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの『ファウスト』と結び付ける解釈について、クラウディオ・アラウは「リストの弟子たちの間で承認されていた(granted)ことなのです」と述べている。」と書かれていました。
また、アラン・ウォーカーは「リスト伝」で、ロ短調のソナタの種々の標題的解釈のなかから主要なものとして次の4つをあげているそうです。
1.このソナタはファウスト伝説の音楽的描写であり、「ファウスト」、「グレートヒェン」、「メフィストフェレス」の各テーマが主な登場人物をあらわす。
2.このソナタは、自伝的内容をあらわしている。音楽のもつ対照的性格は、リスト自身の人間性のなかの対立からくるものだ。
3.このソナタは、神的なものと悪魔的なものに関するものである。それは、ミルトンの『失楽園』にもとづいている。
4.このソナタは、エデンの園の一連の寓話である。それは人間の堕落をあつかい、「神」、「ルチフェル」、「蛇」、「アダム」、「イヴ」のテーマを含んでいる。
更に、ピアニストのブレンデルは、『音楽のなかの言葉』の中で、
第1主題(レント、ソット・ヴォーチェ、ほぼト短調、1~7小節)第1主題は、音と沈黙を結びつける。音楽的には、主題は言葉や歌ではなく思考を表している。この冒頭の反復音は、作品全体にとって重要な動機を構成している。(どの主題も反復音から出発し、導かれる)。そのほかの重要な動機は7度と2度の音程、そして冒頭のリズム。
第2主題(アレグロ・エネルジコ、ロ短調、8-13小節)一人の役者が舞台へと登場する。その態度には挑戦と絶望と軽蔑が入り混じっている。ファウストになぞらえることができるだろうか。10小節目で怒れるオクターブの三連音が現れて、やっと主調をロ短調を認識することになる。
第3主題(マルカート、14-18小節)ファウストの問いかけと、主題独自の問いかけが対立する。堕落を先導する性格はメフィストフェレス的。ファウストとメフィストフェレスは15小節前後で重なりあう。交響的主要動機とも呼べるもの。
第4主題(グランディオーソ、ニ長調、105-113小節)リズムと旋律の内容を第1主題から借りている。この主題に先行して、一時的転調を行うペダル音が作品の提示するものを何でもつかみとろうとするかのようだ。グランディオーソ(堂々と)という言葉は、全能の神の確信を伝える主題にはまさに相応しい。
第5主題(カンタンド・エスプレッシーヴォ、二長調、153-170小節)第3主題の叙情的な変化形として始める。メフィストはグレートヒェンの幻に姿を変えている。9小節後にはファウストはグレートヒェンの虜になっている。主題の最初の8小節の低声部は、明らかに第1主題(7度の下行する音階)にもとづいている。
第6主題(アンダンテ・ソステヌート、嬰ヘ長調、331-346小節)独立しているようにみえるが、先行主題との関りがある。最初の部分にはグランディオーソ主題のクライマックスのパラフレーズがあり、はるかにかすむ彼方へと光を投げかける。あとには第1主題が上行する長調の7度音程に美しく飾られて登場する。
と書いています。
実は、私がこのソナタの解釈に興味を持ったのは、たまたまYouTubeで、ブレンデルがリストのロ短調ソナタを公開レッスンしている動画を見たことです。興味のある方は、「Piano masterclass on Liszt B minor sonata with Alfred Brendel at the Royal College of Music」で検索してみて下さい。
また、私のブログには、もう少し詳しいことが書いてあります。https://yseki118.exblog.jp/
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