ベートーベン:ピアノソナタ第2番 イ長調 作品2-2
(P)クラウディオ・アラウ 1964年3月録音
Piano Sonata No.2 in A major, Op.2-2 [1.Allegro vivace]
Piano Sonata No.2 in A major, Op.2-2 [2.Largo appassionato]
Piano Sonata No.2 in A major, Op.2-2 [3.Scherzo: Allegretto]
Piano Sonata No.2 in A major, Op.2-2 [4.Rondo: Grazioso]
ハイドンに献呈されたピアノソナタ
ボン時代にベートーベンはハイドンと知り合います。イギリスに招かれての行き帰りの時です。
若きベートーベンの才能を認めたハイドンはウィーンに出てきて自分のもとで学ぶようにすすめます。喜んだベートーベンは選定侯の支援もあって飛ぶようにウィーンに向かいます。
ハイドンがイギリスからの帰りにベートーベンと出会い、ウィーン行きをすすめたのが1792年の7月です。そのすすめに応じてベートーベンがウィーンに着いたのが同じ年の11月10日です。当時の社会状況や準備に要する時間を考えれば、ベートーベンがどれほどの期待と喜びをもってウィーンのハイドンのもとにおもむいたのかが分かります。
しかし、実際にウィーンについてハイドンのもとで学びはじめるとその期待は急速にしぼんでいきます。偉大な選手が必ずしも偉大なコーチになり得ないことはよくあることで、偉大な作曲家ハイドンもまた教師に向いた人ではなかったようです。
おまけにベートーベンの期待があまりにも大きく、そして、ベートーベン自身もすでに時代を越え始めていました。
ハイドンの偉大さは認めつつも、その存在と教えを無批判に受け入れるというのはベートーベンには不向きなことでした。それよりは、自分が必要と思うものだけを飽いてからクールに受け取れる存在の方がよかったようです。
そこで、ベートーベンはサリエリ(映画アマデウスのおかげで凡庸な作曲家というイメージが定着してしまいました)やアレブレヒツベルガーなどから作曲理論を学ぶようになり、結局は翌年の春にはハイドンのもとを去ることになります。
この作品番号2としてまとめられている3曲のピアノソナタは、そのような若き時代の意気軒昂たる姿がうかがえて興味深い作品です。
そして、世上噂されるハイドンとの不和も、これらの3曲がハイドンに献呈されていることを考えると、決定的なものではなかったようです。
ちなみに、この3曲が完成したのは1795年と言われているのですが、作品の着想そのものはボン時代にまでさかのぼるそうです。そして、イギリスでの大成功をおさめてウィーンに帰ってきたハイドンに謝意を示すために一気に完成されたと言われています。
ピアノソナタ第2番 イ長調 作品2-2
バロックから古典派にかけての時代は6つ、もしくは3つの作品をまとめて発表することが多かったようです。ベートーベンがはじめて世に問うたこのピアノソナタも作品番号2として3曲がまとめられています。そして、これらのセット作品のお約束として、それぞれが対照的な性格を持つ事が要求されます。
それは作曲家の力量と特徴を世に知らしめらためには、同じような雰囲気の作品をまとめても意味がないからです。
ですから、この作品番号2の3作品には、劇的で哀愁に満ちた短調作品である第1番、人なつっこさと親しみあふれた第2番、そして輝かしさにあふれた第3番という特徴付けが為されています。
そして、モーツァルトへのオマージュが第1番だったとすれば、この第2番の作品で明らかにそのオマージュはハイドンに捧げられています。
- 第1楽章 Allegro vivace イ長調
この楽章の主題は前半と後半の二つの部分からなる複雑なスタイルをとっているのですが、ある種の人懐っこさを感じるフレーズです。そして、経過句を経て登場する第2主題もこの主題の上昇音階から引っ張り出されいて、すでにベートーベンが統一感のある形で音楽を構成する力がかなりのものだったことを示しています。
そして、それに続く展開部でもハイドン風の3部構成のモデルが採用されています。それが結果として、この時代のソナタとしてはかなり規模大きな展開部に仕上がっています。
- 第2楽章 Largo appassionato ニ長調
この楽章は低声部のピチカートのような音型の上で賛美歌的に歌われるのですが、その後それは捨てられて中間部ではソプラノとテノールの二重唱からなる表情豊かなテクスチャに取って代わられます。
そして、この楽章が通常の緩徐楽章と大きく隔たっているのは、ABAと言う通常の3部形式の後に長大な終結部を持つことです。このように終結部が拡大するやり方もまたハイドンの作例にならったものです。
- 第3楽章 Scherzo, Allegretto イ長調
ベートーベンがはじめてスケルツォを用いた楽章ですが、基本的にはその後のスケルツォのような激しさはなくて、基本的には3部形式のメヌエットを突き抜けるものではありません。
しかし、この軽妙で軽みに満ちた音楽はこの作品全体の性格を決める上で大きな役割を果たしています。
- 第4楽章 Rondo, Grazioso イ長調
ローゼン先生はこの楽章は伝統的な「Allegretto」よりもやや遅く演奏すべきだと述べています。そして、この楽章の特徴である「弛緩した雄大さ」を実現するためにはレガートで演奏するのが困難な部分でも、レガートであるかのように聞かせることのできるディテールの繊細さに依存するとも述べています。
その背景には優雅さだけでなくピアノの技巧を駆使して表現の幅を広げようとするベートーベンの姿があります。
アラウという人はドイツの「型」を色濃く「伝承」しているピアニストと言えそうです
日本の伝統芸能の世界には「芸養子」なる制度があります。能や歌舞伎の役者に子供がいない場合には、能力がある弟子を実際の子供(養子)として認めて育てていくシステムのことです。
芸事というのは、大人になってから学びはじめては遅い世界なので、芸事の家に生まれた子供は物心が付く前から徹底的に仕込まれることでその芸の世界を次に繋いでいきます。ですから、伝えるべき子供がいないときには、「芸養子」を迎えてその芸を継がせるのです。
アラウという人の出自を見てみると、彼もまた「芸養子」みたいな存在だと思わせられました。
彼は幼くしてリストの弟子であったクラウゼの家に住み込み、そのクラウゼからドイツ的な伝統の全てを注ぎ込まれて養成されたピアニストです。ですから、出身はアルゼンチンですが、ピアニストとしての系譜は誰よりも純粋に培養されたドイツ的なピアニストでした。
まるでドイツという国の「芸養子」みたいな存在です。
彼の中には、良くも悪くも、「伝統的なドイツ」が誰よりも色濃く住み着いています。
言うまでもないことですが、楽譜に忠実な即物主義的な演奏はドイツの伝統ではありません。ですから、アラウの立ち位置はそんなところにはありません。
おそらく、伝統的なドイツから離れて、そう言う新しい波に即応していったのはどちらかと言えばバックハウスの方でした。
こんな事を書けば、バックハウスやケンプこそがドイツ的な伝統を受け継いだ正統派だと見なされてきたので、お前気は確かか?と言われそうです。
しかし、60年代の初頭に一気に録音されたアラウのベートーベン、ピアノソナタ全集をじっくり聞いてみて、なるほど伝統的なドイツが息づいているのはバックハウスではなくてアラウなんだと言うことに気づかされるのです。
言うまでもないことですが、芸事の伝統というのは学校の勉強のようなスタイルで伝わるものではありません。そうではなくて、そう言う伝統というのは劇場における継承として役者から役者へ、もしくは演奏家から演奏家へと引き継がれるものです。
そして、その継承される内容は理屈ではなくて一つの「型」として継承されていきます。そして、その継承される「型」には「Why」もなければ「Because」もないのが一般的です。
特に、その芸事の世界が「伝承芸能」ならば、「Why」という問いかけ自体が「悪」です。何故ならば、「伝承芸能」の世界において重要なことは「型」を「伝承」していくことであって、その「型」に自分なりのオリジナリティを加味するなどと言うことは「悪」でしかないからです。
それに対して、「伝統芸能」であるならば、取りあえずは「Why」という問いかけは封印した上で「型」を習得し、その習得した上で自分のオリジナリティを追求していくことが求められます。
「伝統芸能」と「伝承芸能」はよく同一視されるのですが、本質的には全く異なる世界です。
そして、西洋のクラシック音楽は言うまでもなく「伝統芸能」の世界ですから、「型」は大事ですが「型」からでることが最終的には求められます。
しかし、「伝承」の色合いが濃い演奏家というのもいます。
そう言う色分けで言えば、アラウという人はドイツの「型」を色濃く「伝承」しているピアニスト言えそうなのです。
この事に気づいたのは、チャールズ・ローゼンの「ベートーベンを読む」を見たことがきっかけでした。
このローゼン先生の本はピアノを実際に演奏しないものにとってはかなり難しいのですが、丹念に楽譜を追いながらあれこれの録音を聞いてみるといろいろな気づきがあって、なかなかに刺激的な一冊です。
そして、ローゼン先生はその著の中で、何カ所も「~という誘惑を演奏者にもたらす」という表現を使っています。
そして、そう言う誘惑にかられる部分でアラウはほとんど躊躇うことなく誘惑にかられています。
例えば、短い終止が要求されている場面では音を伸ばしたい要求にとらわれます。そうした方が、明らかに聞き手にとっては「終わった」と言うことが分かりやすいので親切ですし、演奏効果も上がるからです。
アラウもまた、そういう場面では、基本的に音を長めに伸ばして演奏を終えています。
例えば、緩徐楽章では、その悲劇性をはっきりさせるために必要以上に遅めのテンポを取る誘惑にかられるともローゼン先生は書いています。その方が悲劇性が高まり演奏効果が上がるからです。
アラウもまた、そう言う場面ではたっぷりとしたテンポでこの上もなく悲劇的な音楽に仕立てています。
そして、そうやってあれこれ聞いていてみて、そう言う誘惑にかられる場面でバックハウスは常に禁欲的なので驚かされました。
そして、なるほど、これが戦後のクラシック音楽を席巻した即物主義というものか、と再認識した次第です。
逆に言えば、そう言う演奏効果が上がる部分では、「楽譜はこうなっていても実際にはこういう風に演奏するモンなんだよ」というのが劇場で継承されてきた「型」、つまりは「伝統」なのだとこれまた再認識した次第なのです。
そして、バックハウスは「型」を捨ててスコアだけを便りにベートーベンを構築したのだとすれば、アラウは明らかに伝統に対して忠実な人だったと言わざるを得ないようなのです。
そして、クラシック音楽の演奏という行為は「伝承芸能」ではないのですから、そう言う「型」を守ることはマーラーが言ったような「怠惰の別名」になる危険性と背中合わせになります。
このアラウの全集録音が、そう言う危険性と背中合わせになりながらもギリギリのところで身をかわしているのか、それともかわしきれていないのかは聞き手にゆだねるしかありません。
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