ベートーベン:ピアノソナタ第26番 変ホ長調 作品81a 「告別」
(P)クラウディオ・アラウ 1966年4月録音
Beethoven:Piano Sonata No.26 in E-flat major, Op.81a "Les adieux" [1.Das Lebewohl. Adagio]
Beethoven:Piano Sonata No.26 in E-flat major, Op.81a "Les adieux" [2.Abwesenheit. Adante espressivo]
Beethoven:Piano Sonata No.26 in E-flat major, Op.81a "Les adieux" [3.Das Wiedersehen. Vivacissimamente]
大公にさえあの告別は捧げられていません。
ベートーベンのもっとも有力なパトロンであったルドルフ大公が、ナポレオンのオーストリア侵入のためにウィーンを離れなければならなくなり、それを契機として作曲されたソナタだと言われています。
戦争自体はすぐに集結して、やがて大公もウィーンに帰還したために、それぞれの楽章に「告別」「不在」「再会」と表題がつけられています。これらの表題は構成の人が勝手につけた物ではなくベートーベン自身がつけた物です。
ただし、本人もそのような表題を付すべきかどうかずいぶんと悩んだようです。
作品としては中期の作品らしく派手な技巧を披露していますが、それでいながらがむしゃらに驀進していく姿は影を潜めています。また、対話的な部分も多くてそこに愛の語らいを見る人もいます。
ベートーベン自身も「この作品は大公にさえ捧げられていません」と語っています。
そんなこんなで、これは誰への告別のソナタだったのかと想像をたくましくさせる作品でもあります。
ピアノソナタ第26番 変ホ長調 作品81a 「告別」
第1楽章 「告別」: アダージョーアレグロ 変ホ長調 4分の3拍子ー4分の2拍子 ソナタ形式
第2楽章 「不在」: アンダンテ・エスプレッシーヴォ ハ短調 4分の2拍子
第3楽章 「再会」: ヴィヴァチッシマメンテ 変ホ長調 8分の6拍子
分析的に聞くことの功罪
演奏に対する評価を聞き手の「主観」や今までの「経験」だけを頼りに述べることに対して否定的な態度をとる人がいます。とりわけ、それなりに音楽というものを「専門」的に学んだことがある人は、スコアをそれなりに分析できるので、その分析に基づいて疑問を感じる部分を発見すると、その事を持ってその演奏全体に駄目出しをする傾向があります。
特に、自分でも演奏する人が多い「ピアノ作品」に対して、その様なスタンスを取られる方が多いように見受けられます。
しかしながら、そうやって駄目出しをされている方の言を聞いたり、読んだりしていると、指摘されているのは全体から見ればごく一部であり、どう好意的に見てもその演奏全体を対象にして精緻に分析しているとは思えません。そして、そう言う物言いの背景には、「自分はスコアが読めて楽曲分析ができるんだ、そんな雰囲気だけで演奏の良し悪しを論じているような素人とは違うんだ」と言うことを言いたいだけのような気もしたりします。
しかし、そう言いつつも、私もここ最近、ローゼン先生の本なども参考にしながら、柄にもなくスコアを見ながらアラウとバックハウスの演奏を比較したりしてみました。そして、そう言う柄にもないことをやっていて気がついたのは、音楽を提供する側と受容する側が同じスタンスに立つ必要もないし、逆に同じスタンスを取ることで失うものが多いと言うことです。
「木を見て森を見ず」という言葉があります。
演奏家は作品という「森」を聞き手に提供するために、その森を構成する一歩一本の木の形を精緻に分析して然るべき場所に配置して森を形作る必要があります。
しかし、それを受容する側は、そうやって出来上がった森だけを眺めていればいいのです。
考えても見てください。
どれほどのピアニストであっても、自らのプログラムとして持ち歩いているのはごく限られた作品だけです。レパートリーならばもう少し持ってはいるのでしょうが、実際のコンサートで演奏できるまでに仕上げている作品となると本当に限られた数になるはずです。
それと比べれば、聞き手が受容する作品の数はその数十倍に達するでしょう。
その膨大な量の作品を演奏家と同じようなレベルで精緻に分析してその結果を受容しなければ音楽の本質が分からないというならば、そんなジャンルの芸術は滅びるしかありません。
そして、その不可能なことを無理してやろうとすれば、先の見えない木々の迷路の中に迷い込んで肝心の森の姿を見失うだけです。
これはどう考えても本末転倒であって、聞き手は提示された森の姿だけを眺め鑑賞すればいいのだと開き直るべきなのです。そして、そうやってアラウが示してくれる森とバックハウスが示してくれる森を聞き比べたりして楽しんでいればいいのでしょう。
そうしてみれば、結局はバックハウスという人はこのベートーベンという森を直線的なラインで立体的に描いていることが見えてきますし、アラウは随分と森を構成する一本一本の木を丁寧に描き込んでいることに気づくわけです。
そして、私ごときがそう言う二つの森を分析的に聞こうとしても、結局は繊細な表現を求めるようになった後期作品ではアラウの方がスコアに忠実に聞こえるけれど、直進的に前へ進んでいく初期作品ではバックハウスの方が忠実に聞こえるというだけの話であって、それをもってこの二人の演奏が分かったような気になって優劣をつけるとすれば、それは愚か以外の何ものでもないのです。
大切なことは、それぞれの演奏家が提示してくれる森の姿を受容すればいいのです。
そう言えば、ローゼン先生も別のところでこんな事を書いていました。
「明らかに間違っている馬鹿げたテンポの演奏が、曲の本質を明らかにして、なるほどと思わせることもあるし、聴く人を感動させ、輝かしい効果を生むのを目の当たりにした経験は誰しもあるものだ」
つまりは、大切なことは、仕上がった「森」なのです。
そして、例えばこの「告別ソナタ」ならば、「不在」から「帰還」への転換があざといまでに劇的に展開されるアラウが好ましいのか、素っ気ないまでに過ぎ去っていくバックハウスが好ましいのかは優劣の問題ではなく、いささか大袈裟な物言いを許してくれるならば、己の人生においてその時にどちらが必要なのかというレベルでの問題なのです。
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