バッハ:半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV903
カークパトリック 1959年9月24~25日録音
Bach:半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV903 「Fantasy」
Bach:半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV903 「Fugue」
華やかで壮大なスケールをもった音楽
バッハの数あるクラヴィーア曲の中でも特に有名な作品です。その理由は聞いてみれば「一聴瞭然」、その華やかで壮大なスケールに誰もが魅了されることが了解されるはずです。
この作品は前半の「幻想曲」と後半の「フーガ」に分かれます。
幻想曲では、その名の通り、思いのおもむくままに自由に音楽が展開されていき、そのドラマティックな盛り上がりには圧倒されます。しかし、後半のフーガではきわめて厳粛な雰囲気で音楽が始まるので思わず襟を正されます。しかし、その厳粛な音楽も3声がからみ合う中で壮大な頂点を築き上げていきます。
まさに聴き応え満点の作品です。
そして、そう言う演奏効果に富んだ作品であったがゆえに、この作品にはたくさんの「写筆譜」が残されることになります。そして、困ったことに、そう言う「写筆譜」が細部において細かい違いがあるのです。そのために、この作品においてはバッハの真実のスコアが不明だと言って嘆く向きもあるようです。
しかし、私はそう言うとらえ方は戦後の「原典尊重主義」の悪弊だと思います。おそらくバッハの時代にあっては、バッハ自身が書いたスコアであっても、それは「絶対不変」のいかなる改変も認めないという「神聖」な存在ではなく、おそらくは演奏のたびに細かい改変がくわえられる存在だったのだろうと思われます。
あまり、そのような「細かいこと」に拘泥するのは無意味なことのように思われます。
チェンバロ演奏の結節点にいた人
カークパトリックという存在は今では少しずつ忘却の彼方に消えようとしているように見えます。今年は彼の生誕100周年なのですが、おそらく何の動きもないと思われます、残念ですが・・・。
もちろん、「ドメニコ・スカルラッティ」を著し、その作品群に「カークパトリック番号」を付した研究者としての「顔」は永遠に消えることはないでしょう。
しかし、演奏家としてのカークパトリックは少しずつ忘れ去られつつあるように見えます。50年代の後半にまとめて録音された一連のバッハ演奏を聴いてみると、そのどれもが魅力的で高い水準を維持しています。それでも、そのような演奏家としての業績は低くおとしめられたままのように見えます。
なぜか?
理由は簡単、それは彼が時代の制約から、今日ではいたって評判の悪い「モダン・チェンバロ」を使わざるを得なかったからです。そして、そう言う一事だけをもってして、聞くに値しない時代遅れの演奏と決めつけてしまう人のいることには驚かされます。
確かに、ピリオド楽器を使った昨今の演奏とくべてみれば、彼の演奏するバッハの響きはいいささか逞しすぎるのかもしれません。そして、その響きはいわゆる古楽器による演奏からバッハに入った若い人々にはずいぶん違和感を感じさせるのかもしれません。しかし、歴史というものは決して「阿呆の画廊」ではありません。
彼が生まれてからの100年を概観できる「今」から眺めてみれば、カークパトリックという人はチェンバロ演奏の結節点にいた人だったことが容易に理解できます。彼のすぐ前には古色蒼然たるヴィクトリア朝風のチェンバロ演奏が未だに生き残っていて、すぐ後ろには、完璧に復元されたピリオド楽器を使って演奏する若手が控えているのです。名前は「チェンバロ」という同じ言葉で括ることができても、その実態は別種の生き物かと思えるほどに違いのあるこの2つの存在は、カークパトリックという結節点を持つことでかろうじて接続されているのです。その意味では、一度はしっかり聞いておいて損はない演奏家だと思います。
よせられたコメント
2013-03-27:カンソウ人
- 演奏そのものは覇気に富んでいて素晴らしい。
前進するリズム、快い拍動、現代感覚、聞き終わっての曲の形が印象付けられている事。
その事は次の世代に受け継がれます。
しかし、歴史はその方向へは進みませんでした。
彼は、結節点の直前に居たのです。
結節点には居ない事を、強調したいと思います。
チェンバロを弾いていても、研究者+演奏者のカークパトリックの演奏よりも、曲の持つ意味を正確に表現する人が現れたのでした。
原点尊重主義は悪い事では無いのです。
恣意的に勝手気ままに読んでいた時代があったのです。
その反動としての、作曲者が書いた楽譜に戻ろうというのは、誰が考えても正しい。
そのうちに、音楽学は色んな事実をあばき出してきたのです。
その当時、楽譜をどのように読んだのか。
単純に、楽典通りには読まなかった事が、記録に残っていたのです。
ドルメッチの古い時代の音楽の本は、南九州の大学図書館にも、並んでいました。
それらを参考にして、楽譜を読んで演奏した人はいました。
説得力がある演奏をしたのは、グールドとレオンハルトです。
グールドは、チェンバロで弾くことで出す効果を、ピアノで出しました。
バッハ以外の曲は、異なる想念の表現として利用しました。
音楽を単に演奏するのではなくて、表現したい内容を、演奏で表現したのです。
ここには、深く拘らないで、先へ行きます。
レオンハルトのやり方は、(グールドのやり方は違いますが)チェンバロを演奏する人の規範となります。
それは、彼の勝利でもあり、彼の演奏が埋もれる原因にもなります。
感覚的に、レオンハルト以上の煌めきを感じさせる演奏者は、後から後から出てきます。
コープマンは当然として、日本人の曽根さんなんかも、そうです。
カーブを曲がったのは、グールドとレオンハルトでした。
グールドには、直接に追随する人はありません。
彼の演奏は創造的であり、曲の再評価のための再評価の試みでした
神から、再録音の時間が彼には与えられていなかったことは、残念と言う以外にはありません。
弟子もいないし、ゴールトベルク変奏曲の再録音だけが完成しました。
何人かのピアニストは、彼の業績を受け止めて、再評価に値する演奏をしています。
アンドラーシュ・シフ、アンジェラ・ヒューイットなどは、その代表者でしょうね。
見かけは違うでしょうが、ポリーニやバレンボイムも何がしかの影響を得ているでしょう。
バッハの録音は無くても、ジメルマンの演奏の突き詰めた感じには、その影響があると信じます。
レオンハルトには、コープマン、鍋島、鈴木、曽根等弟子が一杯居て、それぞれに素晴らしい。
追随者は多く優秀で、本人は長生きして演奏活動を続ける事が出来た。
ただ、グールドの演奏は、人類がバッハを聴く限り、朽ちる事は無いでしょう。
バッハ受容史としては、フィッシャー、ランドフスカ、リヒター、レオンハルト、誰か若いチェンバリスト、クラヴィコードに増幅を掛けてあたかもロックのように演奏してグルダ。
をここに載せて頂ければ嬉しいです。
カークパトリックはすでにあります。
残念な事に、グールドはお喋りしながら弾いていて、どう編集しても曲にならない。
本当にへそ曲がりだと思います。
2013-04-25:yukie
- 初めまして。とても良質なサイトを開いて下さっているのに驚きました。
カークパトリック。私は正直、カークパトリック番号の名付け親イメージしか
ありませんでした。
鍵盤作品に関してはグールドが入門でしたし…
ここへアクセスさせて頂いて、初めて
"カークパトリックなる昔の学者人の演奏"を聞く事が出来ました。
びっくりです。音質の上質さも大きく影響しているとは思いますが、
チェンバロの華やかさと繊細さと美しさを伝えてくれる。
しかもか細いバッハではなく骨太のバッハ。
今は色々な演奏があり、かつ"古楽"or"モダン"などと言う、
私などのようなド素人には、訳わからん多様の解釈と録音が聞ける時代となりました。
そんな中、今回のカークパトリックを聞かせて頂いた事に感謝しています。
色褪せているとは思いません。音質の良さもありますから、
間違いなく記念碑的(私的には愁眉を開かせてくれた)演奏だと思います。
最後に少し逸れるのですが、
貴サイトで半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV903を
ただいま聞きながら本文送信しております。大好きな曲でもあります。
私はこの曲をピアノでも何人かの演奏で聞いていますし、
チェンバロでもリヒターとランドフスカ、他何人かで聞いております。
そして今回貴サイトにてカークパトリックを聞かせて頂きました。
私が知らなかった貴重な音源を聞く事が出来て、とても嬉しいです。
そうですか…カークパトリックはランドフスカの弟子だったのですね。。。
知りませんでした。
何となく息吹を感じられるような気がします。
でも私の中ではランドフスカが一番肌に合っているのです。
今回聞かせて頂いたパトリックの豪奢感や、
リヒターのような高揚感とも少し違う。音源のせいなのでしょうか。
飾らない中にも秘めた意志。
それが半音階的幻想曲を聞いて私がイメージするのと
一番マッチするのがランドフスカなのです。
明け方ですね。
思わずこんな感想を書いてしまいました。
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