J.S.バッハ:ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調, BWV1015
(Vn)ラインホルト・バルヒェット:(Cembalo)ロベール・ヴェイロン=ラクロワ 1960年録音
J.S.Bach:Violin Sonata No.2 in A major, BWV 1015 [1.(Andante)]
J.S.Bach:Violin Sonata No.2 in A major, BWV 1015 [2.Allegro]
J.S.Bach:Violin Sonata No.2 in A major, BWV 1015 [3.Andante un poco]
J.S.Bach:Violin Sonata No.2 in A major, BWV 1015 [4.Presto]
歴史的に重要なポジションを占めるヴァイオリンソナタ
「通奏低音」という語感からなんとなく低声部でずっと鳴り続けている伴奏音みたいにしか思っていなかったのですが、それはどうやら大切な要素を見落としていたようです。お恥ずかしい。(^^;
「通奏低音」において重要なことは、鍵盤楽器奏者が与えられた低音の上に、即興で和音を補いながら伴奏声部を完成させると言うことです。そして、作曲家は演奏家が即興的に演奏するための助けとして数字だけを示しているのです。この数字というのは今の時代にあてはめれば「コードネーム」のようなものといえるかもしれません。
この手法は演奏家に自由と責任を押しつける一方で、作曲家には労力と厳格さを放棄させる面があります。
ですから、バロック音楽の象徴とも言うべき存在であるバッハは、この「通奏低音」という手法を好まなかったようです。彼は低声部を担当する鍵盤楽器にはきちんと左右両手に楽譜を示して、演奏者にはそれに従って厳格に演奏することを求めました。そのために、バッハでは独奏楽器と鍵盤楽器による音楽では低声部が2声、旋律楽器が1声の系3声の音楽になるのが一般的でした。
これが「通奏低音」の場合だと鍵盤楽器は片手は旋律線を引いてももう片方は和声を鳴らすだけなので、旋律楽器と合わせても2声の音楽にしかなりません。おそらく、その事もポリフォニーの音楽家だったバッハには我慢できなポイントだったのでしょう。
バッハはその生涯において3種類のヴァイオリンソナタを残しています。
一つは有名な無伴奏のソナタであり、もう一つは通奏低音を伴うソナタ、そしてチェンバロの音符がきちんと書き込まれたスタイルのものです。そして、ここでお聞きいただけるのは言うまでもなくチェンバロにもきちんと音符が書き込まれたスタイルのものです。
バッハはこれらの作品においてチェンバロの右手と左手のそれぞれの声部を与え、そこへヴァイオリンの声部を加えて3声による音楽を展開しました。もちろんこれは基本であって、ヴァイオリンが無伴奏ソナタで示されたように複数の声部を担当して全体としては4声や5声になることもありますし、また、対位法的な音楽で一貫するのではなく時にはチェンバロが伴奏的にふるまってその上でヴァイオリンが伸びやかに歌うこともあります。
その辺は実際に耳で確かめてください。
ですから、ベートーベン以後のヴァイオリンソナタのように、二つの楽器が対等の立場をとって音楽を展開していくという近代的な二重奏ソナタとは趣がかなり異なっています。しかし、コレッリやヴィヴァルディたちに代表されるような。通奏低音にのってヴァイオリンが歌うという古い形式とも明らかに異なっています。
それは、通奏低音を伴った古いスタイルのソナタから、近代的な二重奏ソナタへと移行していく過渡期の作品であり、その意味において、歴史的に重要な意味を持った作品だといえます。
第1番 ロ短調 BWV1014
6曲の中では一番最初に書かれたものだと言われています。アダージョと記された第1楽章は深い瞑想に沈んだような素晴らしい音楽です。
第2番 イ長調 BWV1015
悲愴な雰囲気が支配する第3楽章がこの作品を支配しています。残りの3つの楽章が明るく幸福な感覚に支配されているだけにそのコントラストが鮮やかです。
第3番 ホ長調 BWV1016
これ以降のソナタは形式的にかなり自由にふるまっています。第1楽章では3声の形式は守られずにチェンバロはかなり自由にふるまっていますし、第3楽章では冒頭4小節で示されるチェンバロの主題を繰り返すシャコンヌの形式がとられています。
悲痛さに満ちたスケールの大きな音楽が展開されています。
第4番 ハ短調 WV1017
妻との死別という出来事がこの4番と5番に反映されていると言われています。ラルゴと指定された第1楽章は「マタイ受難曲」の有名なアリア「わが神よ、哀れみたまえ」とそっくりです。また第2楽章では3声による壮大なフーガが展開されると言う実に充実した作品です。
第5番 ヘ短調 BWV1018
すべての楽章が短調で書かれているという、深い悲しみにいろどられた作品です。ラルゴと指定された第1楽章は最も規模の大きな楽章であり、8声のモテット「来たれ、イエス、来たれ。」の主題との密接な関係も指摘されています。
第6番 イ長調 BWV1019
この作品のみ5楽章構成であり、中間の3楽章がチェンバロのみによる演奏という特殊な形式を持っています。音楽的には4・5番にはなかった溌剌とした生気に満ちたものとなっています。
何かとても大切なものが聞き手の心の中に少しずつ積み上がっていく
バルヒェットという名前に初めてであったのは、彼が主宰するカルテットによるモーツァルトの弦楽四重奏曲の録音によってでした。その鄙びた素朴さの中にえもいわれぬロマンと気品が漂ってくる演奏にはすっかり心を奪われてしまいました。
そして、このバッハの録音は、まさにそのようなバルヒェットの魅力が堪能できる録音です。
ただし、「ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ」の方は申し分のない盤質なのですが、こちらのWV1014-BWV1019のヴァイオリン・ソナタの方がどうしてもとりきれないノイズがあります。しかし、そちらの方がよりバルヒェットの魅力にふれることが出来るので、いつも言っていることですがパチパチ・ノイズも味のうちと思ってください。
チェンバロのラクロワもそれなりのビッグ・ネームですが、この録音ではポイントははっきりとバルヒェットのヴァイオリンに焦点があてられています。
それは決して派手な演奏ではありません。華やかな美音を振りまくような演奏でも、最近主流となっているシャープな演奏とも異なります。しかし、なんだか暖かい春のぬくもりの中でほっこりとさせられるような気分にさせてくれる響きです。
非常に何気ない音色と演奏のようでありながら、不思議とこれと同じような思いにさせられるヴァイオリニストは他には思い当たらないのです。
そして、気づいたのは、彼はヴァイオリニストの系譜が途切れてしまったドイツの中で、ある意味では孤児のようにして育ったヴァイオリニストだったと言うことです。
ヴァイオリンというのはその演奏法が師から弟子へ、そしてそのまた弟子へと引き継がれていくものです。ある意味ではサラブレッドの系統のようなものです。
例えば、20世紀を代表するハイフェッツやミルシテインはアウアー門下という系統に入ります。
そして、ロシア革命で彼らが全て故国を去った後に登場したオイストラフもまた孤児になりそうだったのですが、かろうじてアウアーの系譜を継ぐ名教師ピョートル・ストリャルスキーに学ぶことでその系譜を引き継ぐことが出来ました。ちなみに、アウアーの先祖を辿ればベルギーのアンリ・ヴュータンに行き着きます。
しかし、ナチスのユダヤ人虐殺はドイツにおけるヴァイオリンの系譜を完全に根絶やしにしてしまいました。そして、その様なドイツにおいて、まさに孤児のように育ったのがバルヒェットだったのです。
おそらく、ミュンヒンガーの元でコンサート・マスターを務めて世に出るまでには大変な苦労があったと思われます。しかし、そう言う「あり得ない」苦労の中で育ったからこそ唯一無二の魅力を育むようになったのでしょう。
おそらく、誰にもお勧めできない教育方法でしょうが、その困難を乗り切ればバルヒェットのようなヴァイオリニストが現れるのかもしれません。ですから、逆説的に言えば、今後彼のようなヴァイオリニストが現れる可能性は限りなくゼロに近いということです。
それにしても不思議なのは、どこをどう切り取ってもこれと言った特徴を言語化できないほどに普通のバッハであるにもかかわらず、春のぬくもりだけでなく、さらに何かとても大切なものが聞き手の心の中に少しずつ積み上がっていくような演奏なのです。
それは、朝ドラ「カムカムエヴリバディ」で語られる「日向の道を歩いていきたい」を思い出させます。
おそらくそれを人は「崇高」というのでしょう。
「崇高」なんて言葉は安易に使っちゃいけないのですが、それでもバルヒェットほどこの言葉に相応しい演奏家はそういるものではありません。
ただし、だからといって何か特別なことをしているわけでもないのです。演奏の基本は至って真面目で楷書的であり、それでいてぬくもりがあります。
おそらく、人としてのぬくもりと真面目さを兼ね備えるのはバッハにとってはとても大切なことのようです。
1962年にドイツ・バッハ・ゾリステンのメンバーとして初来日しているのですが、その同じ年の7月5日に自動車事故によりシュトゥットガルトで急逝しました。わずか44歳の時でした。
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