ベートーベン:弦楽四重奏曲第10番 変ホ長調「ハープ」Op.74
パガニーニ四重奏団 1952年録音
Beethoven:String Quartet No.10 in E Flat major Op.74 "Harp" [1.Poco adagio - Allegro]
Beethoven:String Quartet No.10 in E Flat major Op.74 "Harp"[2.Adagio ma non troppo]
Beethoven:String Quartet No.10 in E Flat major Op.74 "Harp" [3.Presto]
Beethoven:String Quartet No.10 in E Flat major Op.74 "Harp" [4.Allegretto con variazioni]
ベートーベンの心の内面をたどる
ベートーベンの創作時期を前期・中期・後期と分けて考えるのは一般的です。ハイドンやモーツァルトが築き上げた「高み」からスタートして、その「高み」の継承者として創作活動をスタートさせた「前期」、そして、その「高み」を上り詰めた極点において真にベートーベンらしい己の音楽を語り始めた「中期」、やがて語り尽くすべき己を全て出力しきったかのような消耗感を克服し、古典派のスタイルの中では誰も想像もしなかったような深い瞑想と幻想性にあふれる世界に分け入った「後期」という区分です。
ベートーベンという人はあらゆるジャンルの音楽を書いた人ですが、交響曲とピアノソナタ、そして弦楽四重奏はその生涯を通じて書き続けました。とりわけ、弦楽四重奏というジャンルは第10番「ハープ」と第11番「セリオーソ」が中期から後期への過渡的な性格を持っていることをのぞけば、その他の作品は上で述べたそれぞれの創作時期に截然と分類することができます。さらに、弦楽四重奏というのは最も「聞き手」を意識しないですむという性格を持っていますから、それぞれの創作時期を特徴づける性格が明確に刻印されています。
そういう意味では、彼がその生涯において書き残した16曲の弦楽四重奏曲を聞き通すと言うことは、ベートーベンという稀代の天才の一番奥深いところにある心の内面をたどることに他なりません。
過渡期の2作品
この分野における「傑作の森」を代表するラズモフスキーの3曲が書かれるとベートーベンは再び沈黙します。おそらくのこの時期のベートーベンというのは「出力」に次ぐ「出力」だったのでしょう。己の中にたぎる「何者」かを次々と「音楽」という形ではき出し続けた時期だったといえます。
ですから、この「分野」においてはとりあえずラズモフスキーの3曲で全て吐き出し尽くしたという思いがあったのでしょう。しばらくの沈黙の後に作り出された2曲は、ラズモフスキーと比べればはるかにこぢんまりとしていて、音楽の流れも肩をいからせたところは後退して自然体になっています。しかし、後期の作品に共通する深い瞑想性を獲得するまでには至っていませんから、これを中期と後期の過渡期の作品と見るのが一般的となっています。
弦楽四重奏曲第10番 変ホ長調 OP.74「ハープ」
第1楽章の至る所であらわれるピチカートがハープの音色を連想させることからこのニックネームがつけられています。
この作品の一番の聞き所は、ラズモフスキーで行き着くところまで行き着いたテンションの高さが、一転して自然体に戻る余裕を聞き取るところにあります。ですから、ラズモフスキー第3番のぶち切れるような終結部を聞いた後にこの作品を続けて聞くと得も言われぬ「味わい」があったりします。(^^;
弦楽四重奏曲第11番 ヘ短調OP.95「セリオーソ」
第10番「ハープ」で縮小した規模は、この「セリオーソ」でさらに縮んでいきます。もうこの作品からは中期の「驀進するベートーベン」は最終楽章の終結部にわずかばかりかぎ取ることができるぐらいで、その他の部分はベートーベン自身が名付けた「セリオーソ」という名前通りにどこか「気むずかしい」表情でおおわれています。
ラテン的な明晰さと優雅さに貫かれている
数年ほど前のことですが、オーディオ仲間の間でベートーベンの弦楽四重奏曲を聴くならばどのカルテットで聞きたい?と言うことが話題になりました。まあ、この手の話はよくあることですが、その集まりの年齢層が相対的に高い(^^;事もあって、出てくる団体はブッシュとかブダペストとか、バリリみたいな感じで、不思議に全員が一致したのが世間では評判の高いアルバン・ベルク四重奏団では聞きたくないということでした。
さすがにカペーやレナーは古すぎると言うことでしたし、スメタナやジュリアードもいろいろ意見の分かれるところでした。
とは言え、どうって事のないちょとした与太話みたいなものなのですが、その時にある人が「私の知り合いがパガニーニ弦楽四重奏団こそが一番のお気に入りだと言っていた」という話がでました。
ところが、恥ずかしながら、その時に集まっていたメンバーで実際にパガニーニ弦楽四重奏団のベートーベンを聞いたことがある人はいませんでした。
でも、こういうのって意外とあるんですよね。ほとんど誰も知らない録音を持ち出してきて、それって意外といいよね!と言うやり口は。
当然の事ながら、私もその録音は聞いたことはなかったのですが、念のために音源だけは買い込んでいた事が記憶の片隅をよぎりました。実際、このカルテットの録音はほとんどカタログに存在しませんし、その大部分が廃盤になっています。
ただし、こういうサイトをやっているためか、そう言う珍しい音源を見つけると取りあえずは「確保」しておくという習慣が身についているので、その後家に帰って探し回ってみると彼らの録音が奥の方から出てきました。
ついでに、その音源に関する販売元の宣伝文も出てきたので、パガニーニ弦楽四重奏団と言う名前が、かつてパガニーニが所有していたヴァイオリン(1680年&1727年製)、ヴィオラ(1731年製)、チェロ(1737年製)を使用していることに由来していることも分かりました。言うまでもなく、その全てがストラディヴァリウスです。
ただし、「ブッシュ弦楽四重奏団、カルヴェ弦楽四重奏団、レナー弦楽四重奏団、ブダペスト弦楽四重奏団 といった戦前の歴史的な弦楽四重奏団と、ジュリアード弦楽四重奏団といった戦後のアンサンブル団体のちょうど間にあたり、ベートーヴェンの弦楽四重奏という非常に重要な室内楽作品の、解釈の歴史の貴重な記録ともいえるでしょう。」という一文はいただけません。
ブダペスト弦楽四重奏団を戦前の歴史的な弦楽四重奏団と一括で括るのは大間違いですし、その一括した弦楽四重奏とジュリアード弦楽四重奏の間にパガニーニ弦楽四重奏団をもって来るというのも明らかに間違っています。
言うまでもないことですが、50年代初頭にブダペスト弦楽四重奏団が録音したモノラルによる全集は真っ直ぐにジュリアード弦楽四重奏団につながっていくものですし、彼らが戦前に録音したSP盤の演奏もそう言う方向性をはっきり示していました。
調べてみると、さすがにこの表現はまずいと思ったのでしょうか、最近のページではこの一文は削除されています。
ただし、パガニーニ弦楽四重奏団の事を「メンバーのうち3人はベルギーで学んでおり、アメリカで生まれたカルテットながら、『ベルギー宮廷の四重奏団』と称されたプロ・アルテ弦楽四重奏団の流れを汲む四重奏団とも言われます。」という一文は非常に重要であり、この団体の方向性を示唆してくれています。
残念ながら1947年から始まったパガニーニ弦楽四重奏団によるベートーベンの録音は5曲を残して1953年に打ち切られてしまったようなので全集にはなっていないようです。おそらく、そうなってしまった背景には、彼らの演奏様式がプロ・アルテ弦楽四重奏団の流れを汲むスタイルだったからでしょう。
言うまでもなく、50年代のアメリカは即物主義の時代へ突入していくのであって、その最先端とも言うべき録音がブダペスト弦楽四重奏団による全集でした。
そう言う流れの中に彼ら演奏をおいてみれば、それは何ともいえず中途半端なベートーベンに聞こえてしまった可能性は否定できません。つまりは、売れなかったので途中で「打ち切り」になったのかもしれません。
しかし、「売れない演奏」が「つまらない演奏」であることと同義ではありません。それどころか、時を経てみれば、それは他にかえがたい魅力を持っていたことが見直されることがよくあります。ヨハンナ・マルティのバッハの無伴奏なんかはその典型でしょう。
プロ・アルテ弦楽四重奏団の録音は、ハイドンの弦楽四重奏曲しか聴いたことがありません。
しかし、その演奏を聞くと、なるほど「ベルギー宮廷の四重奏団」と称されるだけのことはあると納得させられる「優雅」さにあふれています。確かに、宮廷のサロンで「重い」音楽は嫌われます。ブッシュのような重量感溢れる音楽やブダペストのような尖った演奏は敬遠したいところでしょう。
かといって、そう言う「重さ」を「優雅」さに置き換えた結果として「軽薄」になっては権威が保てません。プロ・アルテ弦楽四重奏団の演奏は、重くはならなくても作品の構成はしっかりと把握していて造形が崩れることはありません。しかし、その造形感をゴリゴリと前面に押し出すような「野暮」な演奏は絶対にしません。
そして、その演奏スタイルをベートーベンに適用すればおそらくこうなるだろうなと思わせてくれるのがパガニーニ弦楽四重奏団によるベートーベンの録音なのです。
まず何よりも魅力的なのは、歌うべき部分における優雅な歌い回しの見事さです。この「歌う」能力の素晴らしさはまさにプロ・アルテ弦楽四重奏団からの系譜を強く感じます。そして、もう一つ忘れてはいけないのは、そう言う優雅さ故に細部を弾きとばすという事はなく、各声部の絡み合いがこの上もない明晰さで表現されていることです。
つまりは、彼らのアンサンブル能力は極めて高いのですが、その高さをブダペストのような即物性に奉仕させるのではなく歌に奉仕させているのです。それ故に、ラズモフスキー以前の初期作品はこれに変わるものがないと思うほどに素晴らしい演奏です。残念なのは、その初期作品では3番と6番が欠落していることです。
そして、ラズモフスキーの3曲に関してはもう少し激しさがほしいと思う人がいるかもしれませんし、後期の作品群(11番~13番が欠落)に関してもいささか小ぶりな感じがする人がいるかもしれません。
しかし、彼らはあくまでも眦を決してゴリゴリと、もしくはキリキリと演奏するつもりはないのですから、それが彼らにとってのベートーベンなのだと言うことは納得しておく必要があるかもしれません。
そして、これに近い演奏と言えばフランスのパスカル弦楽四重奏団の演奏が思い浮かびますから、いささか安直なまとめ方かもしれませんが、彼らのベートーベンはブッシュやブダペストでもないもう一つのラテン的な明晰さと優雅さに貫かれたもう一つの道といえるのかもしれません。
ですから、これが気に入ってしまうと、我がオーディオ仲間の知人のように「ベートーベンはパガニーニ弦楽四重奏団」というのも分かるような気がします。
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