ベートーベン:弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調 Op.135
ブダペスト弦楽四重奏団 1940年9月9日~10日録音
Beethoven:String Quartet No. 16 in F major, Op. 135 [1.Allegretto]
Beethoven:String Quartet No. 16 in F major, Op. 135 [2.Vivace]
Beethoven:String Quartet No. 16 in F major, Op. 135 [3.Lento assai e cantante tranquillo]
Beethoven:String Quartet No. 16 in F major, Op. 135 [.Grave ma non troppo tratto - Allegro]
ベートーベンの心の内面をたどる
ベートーベンの創作時期を前期・中期・後期と分けて考えるのは一般的です。ハイドンやモーツァルトが築き上げた「高み」からスタートして、その「高み」の継承者として創作活動をスタートさせた「前期」、そして、その「高み」を上り詰めた極点において真にベートーベンらしい己の音楽を語り始めた「中期」、やがて語り尽くすべき己を全て出力しきったかのような消耗感を克服し、古典派のスタイルの中では誰も想像もしなかったような深い瞑想と幻想性にあふれる世界に分け入った「後期」という区分です。
ベートーベンという人はあらゆるジャンルの音楽を書いた人ですが、交響曲とピアノソナタ、そして弦楽四重奏はその生涯を通じて書き続けました。とりわけ、弦楽四重奏というジャンルは第10番「ハープ」と第11番「セリオーソ」が中期から後期への過渡的な性格を持っていることをのぞけば、その他の作品は上で述べたそれぞれの創作時期に截然と分類することができます。さらに、弦楽四重奏というのは最も「聞き手」を意識しないですむという性格を持っていますから、それぞれの創作時期を特徴づける性格が明確に刻印されています。
そういう意味では、彼がその生涯において書き残した16曲の弦楽四重奏曲を聞き通すと言うことは、ベートーベンという稀代の天才の一番奥深いところにある心の内面をたどることに他なりません。
<前期の6作品>
弦楽四重奏曲という形式を完成させたのは言うまでもなくハイドンでありモーツァルトです。彼らは、単なるディヴェルティメント的な性格しか持っていなかったこの形式を、個人の心の内面を語る最もシリアスな音楽形式へと高めていきました。ベートーベンがこの形式の創作のスタートラインとしたのは、このハイドンやモーツァルトが到達した終着点だったのです。
ベートーベンがこのジャンルの作品を初めて世に問うたのは30才になろうとする頃です。この時までに、彼は室内楽の分野では多くのピアノ・トリオと弦楽三重奏曲、三つのヴァイオリン・ソナタ、二つのチェロ・ソナタ、さらに様々な楽器の組み合わせによる四重奏や五重奏を書いています。ですから、作品番号18として6曲がまとめられている最初の弦楽四重奏曲は、その様な作曲家としての営為の成果を問うものとして、まさに「満を持して」発表されました。
弦楽四重奏曲第1番 ヘ長調 OP.18-1
全6曲の中ではおそらく2番目に創作されたものだと言われています。しかし、第1楽章の堂々たる音楽を聞けば、何故にベートーベンがこの作品を「第1番」とナンバリングしたのかが分かります。
最初の2小節で提示される動機を材料にして緊密に全体をくみ上げていく手法は後のベートーベンのすすみ行く方向性をはっきりと暗示しています。また、深い情緒をたたえた第2楽章も「ぼくはロメオとジュリエットの墓場の場面を考えていた」と述べたように、若きベートーベンの憂愁をうかがわせるものであり、まさにこのジャンルのスタートを飾るに相応しい作品に仕上がっています。
弦楽四重奏曲第2番 ト長調 OP.18-2「挨拶」
全6曲の中では3番目に完成されたものだと言われています。第1楽章の主題がまるで「挨拶」をかわしているかのように聞こえるために、それが作品のニックネームとなっています。
弦楽四重奏曲第3番 ニ長調 OP.18-3
ベートーベンが完成させた最初の弦楽四重奏曲だと言われています。全6曲の中では最も明るさと幸福感に満ちた作品ですが、それは、ウィーンに出てきて音楽家としての新たなスタートを切った青年ベートーベンの希望に満ちた心象風景の反映だろうと言われています。
弦楽四重奏曲第4番 ハ短調 OP.18-4
作品番号18の6曲の中では最も最後に完成された作品だと言われています。そして、最後だからと言うわけではないのですが、疑いもなくこの全6曲の中では最も高い完成度を誇っているのがこの作品です。
モーツァルトにとってト短調というのが特別な意味を持った調性だったように、ベートーベンにとってはハ短調というのは特別なものでした。ベートーベンがこの調性を採用するときは音楽は劇的な性格の中に悲劇的な美しさを内包するものとなりました。そして、おそらくはこの調性に彼が求めていたものを初めてしっかりとした形で実現したのがこの作品だったと言えます。
弦楽四重奏曲第5番 イ長調 OP.18-5
全6曲の中では4番目に作曲されたものですが、聞けば分かるようにモーツァルトの音楽を連想させるような音楽で、とりわけ第2楽章のメヌエットはまるでモーツァルト聴いているかのような錯覚に陥ります。そういう意味では最もベートーベンらしくない作品なのですが、聞いていて実に楽しい気分させてくれると言うことでは悪くない作品です。
弦楽四重奏曲第6番 変ロ長調 OP.18-6
全6曲の中では5番目の作品というのが痛切ですが、番号通り最後の作品と見る人もいます。全体としては初期作品に共通する「明るさ」が全曲を支配しているのですが、第4楽章の冒頭に「ラ・マリンコニア(メランコリー)」と題された長大な序奏がつくのが特徴です。
<中期の5作品>
ラズモフスキー四重奏曲
作品番号18で6曲の弦楽四重奏曲を完成させた後、このジャンルにおいてベートーベンは5年間の沈黙に入ります。その5年の間に「ハイリゲンシュタトの遺書」で有名な「危機」を乗り越えて、真にベートーベン的な世界を切り開く「傑作の森」の世界に踏みいります。交響曲の分野では「エロイカ」を書き、ピアノソナタでは「ワルトシュタイン」や「アパショナータ」を書き、ヴァイオリン・ソナタの分野では「クロイツェル」を書き上げます。そして、交響曲の4番・5番・6番という彼の創作活動の中核といえるような作品が生み出されようとする中で、「ラズモフスキー四重奏曲」と呼ばれる3つの弦楽四重奏曲が産み落とされたのです。
この5年は、弦楽四重奏曲のジャンルにおいてもベートーベンを大きく飛躍させました。ハイドンやモーツァルトの継承者としての姿を明確に刻印していた初期作品とはことなり、ここではその様な足跡を探し出すことさえ困難です。特にこのラズモフスキー四重奏においては、モーツァルトやハイドンが書いた弦楽四重奏曲とは全く異なったジャンルの音楽を聞いているかのような錯覚に陥るほどに相貌の異なった音楽が立ち上がっています。
そして、それ故にと言うべきか、これらの作品は初演時においてはベートーベンの悪い冗談だとして笑いがもれるほどに不評だったと伝えられています。
では、何が6つの初期作品とラズモフスキーの3作品を隔てているのでしょうか?
まず誰でも感じ取ることができるのはその「ガタイ」の大きさでしょう。ハイドンやモーツァルト、そして初期の6作品はどこかのサロンで演奏されるに相応しい「ガタイ」ですが、ラズモフスキーはコンサートホールに集まった多くの聴衆の心を揺さぶるに足るだけの「ガタイ」の大きさを持っています。そして、その「ガタイ」の大きさは作品の規模の大きさ(7番の第1楽章は400小節に達します)だけでなく、作品の構造が限界まで考え抜かれた複雑さと緻密さを持っていることと、それを実現するために個々の楽器の表現能力を限界まで求めたことに起因しています。その結果として、4つの弦楽器はそれぞれの独自性を主張しながらも響きとしてはそれらの楽器の響きが緻密に重ね合わされることで、この組み合わせ以外では実現できない美しくて広がりのある響きが実現していることです。ただし、この「響き」はオーディオ装置ではなかなかに再現が難しくて、特にこのラズモフスキーなどでは時にエキセントリックに響いてしまうのですが、すぐれたカルテットの演奏をすぐれたホールで聞くと夢のように美しい響きに陶然とさせられます。
弦楽四重奏曲第7番 ヘ長調 OP.59-1「ラズモフスキー第1番」
壮麗で雄大な第1楽章と悲哀の思いと強い緊張感に満たされた第3楽章の対比が印象的な作品です。ラズモフスキーの3曲の中では最も規模の大きな作品であり、音楽の性格も外へ外へと広がっていくような大きさに満ちています。
弦楽四重奏曲第8番 ホ短調 OP.59-2「ラズモフスキー第2番」
この作品はラズモフスキーの第1番とは対照的に内へ内へと沈み込んでいくような雰囲気に満ちています。特に、モルト・アダージョと題された第2楽章はベートーベン自身が「深い感情を持って演奏するように」と注意書きをしたためたように、人間の心の中に潜む深い感情を表現しています。
弦楽四重奏曲第9番 ハ長調 OP.59-3「ラズモフスキー第3番」
この作品の終楽章はフーガの技法が駆使されていて、これぞベートーベンといえる堂々たる音楽に仕上がっています。そして、その終結部はこの4つの楽器で実現できる最高のド迫力だと言い切っていいでしょう。
過渡期の2作品
この分野における「傑作の森」を代表するラズモフスキーの3曲が書かれるとベートーベンは再び沈黙します。おそらくのこの時期のベートーベンというのは「出力」に次ぐ「出力」だったのでしょう。己の中にたぎる「何者」かを次々と「音楽」という形ではき出し続けた時期だったといえます。
ですから、この「分野」においてはとりあえずラズモフスキーの3曲で全て吐き出し尽くしたという思いがあったのでしょう。しばらくの沈黙の後に作り出された2曲は、ラズモフスキーと比べればはるかにこぢんまりとしていて、音楽の流れも肩をいからせたところは後退して自然体になっています。しかし、後期の作品に共通する深い瞑想性を獲得するまでには至っていませんから、これを中期と後期の過渡期の作品と見るのが一般的となっています。
弦楽四重奏曲第10番 変ホ長調 OP.74「ハープ」
第1楽章の至る所であらわれるピチカートがハープの音色を連想させることからこのニックネームがつけられています。
この作品の一番の聞き所は、ラズモフスキーで行き着くところまで行き着いたテンションの高さが、一転して自然体に戻る余裕を聞き取るところにあります。ですから、ラズモフスキー第3番のぶち切れるような終結部を聞いた後にこの作品を続けて聞くと得も言われぬ「味わい」があったりします。(^^;
弦楽四重奏曲第11番 ヘ短調OP.95「セリオーソ」
第10番「ハープ」で縮小した規模は、この「セリオーソ」でさらに縮んでいきます。もうこの作品からは中期の「驀進するベートーベン」は最終楽章の終結部にわずかばかりかぎ取ることができるぐらいで、その他の部分はベートーベン自身が名付けた「セリオーソ」という名前通りにどこか「気むずかしい」表情でおおわれています。
<後期の孤高の作品>
己の中にたぎる「何者」かを吐き出し尽くしたベートーベンは、その後深刻なスランプに陥ります。そこへ最後の失恋や弟の死と残された子どもの世話という私生活上のトラブル、さらには、ナポレオン失脚後の反動化という社会情勢なども相まってめぼしい作品をほとんど生み出せない年月が続きます。
その様な中で、構築するベートーベンではなくて心の中の叙情を素直に歌い上げようとするロマン的なベートーベンが顔を出すようになります。やがて、その傾向はフーガ形式を積極的に導入して、深い瞑想に裏打ちされたファンタスティックな作品が次々と生み出されていくようになり、ベートーベンの最晩年を彩ることになります。これらの作品群を世間では後期の作品からも抽出して「孤高期の作品」と呼ぶことがあります。
「ハンマー・クラヴィーア」以降、このような方向性に活路を見いだしたベートーベンは、偉大な3つのピアノ・ソナタを完成させ、さらには「ミサ・ソレムニス」「交響曲第9番」「ディアベリ変奏曲」などを完成させた後は、彼の創作力の全てを弦楽四重奏曲の分野に注ぎ込むことになります。
そうして完成された最晩年の弦楽四重奏曲は人類の至宝といっていいほどの輝きをはなっています。そこでは、人間の内面に宿る最も深い感情が最も美しく純粋な形で歌い上げられています。
弦楽四重奏曲第12番 変ホ長調 OP.127
「ミサ・ソレムニス」や「第9交響曲」が作曲される中で生み出された作品です。形式は古典的な通常の4楽章構成で何の変哲もないものですが、そこで歌われる音楽からは「構築するベートーベン」は全く姿を消しています。
変わって登場するのは幻想性です。その事は冒頭で響く7つの音で構成される柔らかな和音の響きを聞けば誰もが納得できます。これを「ガツン」と弾くようなカルテットはアホウです。
なお、この作品と作品番号130と132の3作はロシアの貴族だったガリツィン侯爵の依頼で書かれたために「ガリツィン四重奏曲」と呼ばれることもあります。
弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調 OP.130
番号では13番ですが、「ガリツィン四重奏曲」の中では一番最後に作曲されたものです。ベートーベンはこの連作の四重奏曲において最初は4楽章、次の15番では5楽章、そして最後のこの13番では6楽章というように一つずつ楽章を増やしています。特にこの作品では最終楽章に長大なフーガを配置していましたので、その作品規模は非常に大きなものとなっていました。しかし、いくら何でもこれでは楽譜は売れないだろう!という進言もあり、最終的にはこのフーガは別作品として出版され、それに変わるものとして明るくて親しみやすいアレグロ楽章が差し替えられました。ただし、最近ではベートーベンの当初の意図を尊重すると言うことで最終楽章にフーガを持ってくる事も増えてきています。
なお、この作品の一番の聞き所は言うまでもないことですが、「カヴァティーナ」と題された第5楽章の嘆きの歌です。ベートーベンが書いた最も美しい音楽の一つです。ベートーベンはこの音楽を最終楽章で受け止めるにはあの「大フーガ」しかないと考えたほどの畢生の傑作です。
「大フーガ」 変ロ長調 OP.133
741小節からなる常識外れの巨大なフーガであり、演奏するのも困難、聞き通すのも困難(^^;な音楽です。
弦楽四重奏曲第14番 嬰ハ短調 OP.131
孤高期の作品にあって形式はますます自由度を増していきますが、ここでは切れ目なしの7楽章構成というとんでもないとところにまで行き着きます。冒頭の第1ヴァイオリンが主題を歌い、それをセカンドが5度低く応える部分を聞いただけでこの世を遠く離れた瞑想の世界へと誘ってくれる音楽であり、その様な深い瞑想と幻想の中で音楽は流れきては流れ去っていきます。
ベートーベンの数ある弦楽四重奏曲の中でわたしが一番好きなのがこの作品です。
弦楽四重奏曲第15番 イ短調 OP.132
「ガリツィン四重奏曲」の中では2番目に作曲された作品です。この作品は途中で病気による中断というアクシデントがあったのですが、その事がこの作品の新しいプランとして盛り込まれ、第3楽章には「病癒えた者の神に対する聖なる感謝のうた」「新しき力を感じつつ」と書き込まれることになります。さらには、最終楽章には第9交響曲で使う予定だった主題が転用されていることもあって、晩年の弦楽四重奏曲の中では最も広く好まれてきた作品です。
弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調 OP.135
第14番で極限にまで拡張した形式はこの最後の作品において再び古典的な4楽章構成に収束します。しかし、最終楽章に書き込まれている「ようやくついた決心(Der schwergefasste Entschluss)」「そうでなければならないか?(Muss es sein?)」「そうでなければならない!(Es muss sein!)」という言葉がこの作品に神秘的な色合いを与えています。
この言葉の解釈には家政婦との給金のことでのやりとりを書きとめたものという実にザッハリヒカイトな解釈から、己の人生を振り返っての深い感慨という説まで様々ですが、ベートーベン自身がこの事について何も書きとめていない以上は真相は永遠に藪の中です。
ただ、人生の最後を感じ取ったベートーベンによるエピローグとしての性格を持っているという解釈は納得のいくものです。
ブダペスト弦楽四重奏団の「全体像」を愛でようと思えば古いSP盤の録音も視野に入れる必要がある
ブダペスト弦楽四重奏団が残したベートーベンの弦楽四重奏曲の録音は、クラシック音楽の20世紀の録音史に輝く金字塔であることを否定する人はいないでしょう。ただし、彼らのどの時代の録音をもって「金字塔」とするかに関しては意見が分かれるかもしれません。
一般的には、1958年から1961年にかけてステレオ録音された「全集」を持ってその業績を代表するのでしょうが、1951年から1952年にかけてモノラルで録音された全集の方を高く評価する人もいるでしょう。
確かに、この二つの録音は性質がかなり異なっています。
モノラル録音の方はカミソリのごとき切れ味でベートーベンを造形していて、そこでは「峻厳」という言葉ですらも物足りないほどの厳しさと切れ味が魅力です。それに対して、ステレオ録音の方にはそこまでの峻厳さは後退して、それよりはゆったりとした余裕を感じさせる音楽に仕上がっています。
モノラル録音を評価する人からすればそれは「緩い」と感じるでしょうし、ステレオ録音を評価する人からすれば、モノラル録音はあまりにも肩に力の入りすぎた窮屈さを感じるのかもしれません。
しかしながら、ベートーベンの音楽は様々なアプローチを許す巨大な存在であり、そう言う存在に対して異なったアプローチによって頂を目指したカルテットというのは他には思い当たりません。ですから、モノラルかステレオかなどと言う了見の狭い「価値判断」はひとまずは脇において、その様な様々なアプローチでベートーベンに迫ったブダペスト弦楽四重奏団の全体像をこそ愛でるべきなのかもしれません。
ただし、彼らがステレオによる全集を完成させた60年代というのは、ジュリアード弦楽四重奏団に代表されるような、より即物的で機能的な演奏スタイルへと変わっていった時代でした。
ですから、おかしな話なのですが、モノラル録音よりもステレオ録音の方がスタイル的には古さを感じさせ、結果としてはその「古さ」のようなものが、他に変わるもののない魅力を持った演奏になっているのです。
実は、あのステレオ録音を紹介したときには、個人的にはモノラルの方を高く評価していたので「このステレオによる録音ならば、これに変わる演奏はいくらも思い当たります。4人の奏者が対等な関係で音楽を築いていく演奏は今では常識ですし、これ以上に緊密なアンサンブルを成し遂げているカルテットはいくつも存在するでしょう」などと書いてしまいました。
率直に言って、これは己の不明を恥じねばなりません。
もちろん、この時代にファースト・ヴァイオリン主導の古いスタイルの演奏が聴けるはずもないので、ここで言っている「古さ」とはその様な類のものではありません。そうではなくて、このステレオ録音によるブダペスト四重奏団の演奏では、楽器の響きも、そして、それが描き出すラインも何処か丸みを帯びたスタイルになっているのです。
そこを、かつての私は「緩さ」と感じたのですが、考えてみればそれこそがこの「全集」が持っている「他に変わるもののない魅力」だったのです。つまりは、即物性と機能性ではこれを上回る演奏はいくらでもあるのですが、それとは違うところで彼らはもう一度ベートーベンの弦楽四重奏曲を見つめ直したのであって、その意義を正確に聞き取ることが出来ていなかったのです。
そして、そう言うブダペスト弦楽四重奏団の「全体像」を愛でようと思えば、もう一つ、1940年代の前半に録音された古いSP盤の録音も視野に入れる必要がある事にも気づかされます。
今さら言うまでもないことですが、このカルテットは1936年以降はほぼメンバーが固定しています。
- ファースト・ヴァイオリン:ヨーゼフ・ロイスマン(Josef Roismann):1932年 - 1967年
- セカンド・ヴァイオリン:アレクサンダー・シュナイダー(Alexander Schneider):1932年 - 1944年&1955年 - 1967年
- ヴィオラ:ボリス・クロイト(Boris Kroyt):1936年 - 1967年
- チェロ:ミッシャ・シュナイダー(Mischa Schneider):1930年 - 1967年
セカンド・ヴァイオリンのアレクサンダー・シュナイダーが途中で10年ほど脱けているので、モノラルの全集ではジャック・ゴロデツキーに変わっている程度でしょうか。往々にして、カルテットというのは頻繁にメンバーが替わりますから、それを縦の時系列で比較しても意味のないことが多いのですが、ブダペスト弦楽四重奏団に関しては縦の時系列で比較することに意味があるのです。
すでに、あちこちでも触れているのですが、著作権法の改訂で向こう20年にわたって新しくパブリック・ドメインとなった音源を追加することがなくなってしまったのですが、その見返りとして、今まではフォローしきれなかったこのような古い録音にも手が回るようになりました。もちろん、そんな古い録音なんか願い下げだという人もいるでしょうし、それによって愛想づかしもされるかもしれませんが、なあに、そんなことは知ったことではないのです。(^^;
どんなに古い録音でも、紹介する価値があると信じるものはどんどん紹介していくのです。
このSP盤による録音を聞いてすぐに分かることは、彼らはすでにファースト・ヴァイオリン主導の古いスタイルから抜け出していることです。そこでは、すでに4人の奏者が対等な関係で音楽を築いていくスタイルが確立されています。これは、同時代のカルテットと較べてみると画期的なことだったはずです。
しかし、モノラル録音による全集のような切れ味抜群の音楽にはなっていません。そう感じる一番の理由は、個々の楽器の響きがSP盤の時代に相応しい妖艶さも湛えているからでしょう。しかしながら、その演奏スタイルはステレオ録音の時のような丸みをおびた余裕のある造形とは異なっています。ならば、モノラル時代のスタイルに近いのかと言えば、基本的にはその通りなのですが、作品によっては何処かギクシャクとした感じがつきまとう「不思議なスタイル」なのです。具体的に言えば、歌えるべき場所、もしくは歌うべき場所が今ひとつ歌いきれていない雰囲気が拭いきれないのです。
そうなってしまった理由として、SP盤の時代によくあった「時間合わせ」という制限がよく指摘されます。リーダーのロイスマンも40年代の録音では時間あわせのために苦労したと述懐しています。
SP盤というのは片面に5分程度しか収録できませんから、その時間内におさまる小品以外はその切れ目の部分を上手く処理する必要がありました。そして、その「処理」は時には音楽的必然性よりも優先されることが多かったのです。
例えば、あるフレーズが終わったところで盤面を切り替えたいときには、そのフレーズが盤面におさまるように演奏を切り上げる必要が生じてしまうのです。SP盤時代の録音を聞いていると、時々とんでもないテンポ設定の演奏に出会うことがあって、それを爆裂演奏として珍重される方もいるのですが、種を明かせばただの時間あわせに過ぎないと言うこともよくあるのです。
言うまでもないことですが、その様な「時間合わせ」を優先すれば、音楽的には何処かギクシャクとした感じになってしまうのです。
しかしながら、例えば第6番のように、そう言う不自然さをほとんど感じない演奏もあります。この第6番のアダージョ楽章は7分近くかけて演奏しているのですが、この演奏時間はSP盤的に言えばかなり不都合な演奏時間です。50年代に入ってテープ録音によるカッティング技術が生み出されて6分を超える収録が可能になるのですが、それでもこの7分近い演奏を片面に収めるのは不可能だったはずです。そして、そのゆったりとしたアダージョは、それに続くスケルツォ楽章との兼ね合いで言えば、そのテンポ設定はどちらもピタリとツボにはまっています。
そして、終楽章は8分を超える演奏なのですが、こちらはほぼ中間部で「La Malinconia. Adagio → Allegretto quasi Allegro」と切り替わりますので、時間制限からは全く自由に演奏できていることは明らかです。
ところが、それが14番のような大曲になると、何とも言えず収まりの悪いぎこちなさを感じるのです。ただし、第6番では収録時間との兼ね合いで不都合が生じそうな歌い回しを行っている場面もありますから、ここでも同じ事がやれたのではないかとも思えるので、それは不思議と言えば不思議です。勘ぐれば、この時代の一つのチャレンジとして取り組んだ、機械的とも言えるほどの即物的な演奏に対する申し開きとして、後になってからロイスマン「時間合わせ」と言うことを持ち出したのかもしれません。
とは言え、注目すべきは、20世紀の前半において彼らがすでに後の時代の主流となる新しい演奏スタイルを身につけていて、それを意味あるものにするだけの機能性も身につけていたという事実です。
つまりは、あの恐ろしいまでの、時代の制約をはるかに超えたようなモノラル録音による「全集」は突然変異のようにあらわれたわけではなかった事を、このSP盤時代の録音は教えてくれるのです。
そして、もう一つ思い出しておきたいのは、第2次大戦下においても、アメリカは敵国ドイツの音楽を躊躇いもなく演奏し、録音していたことです。そして、国民の多くはその事に何の疑問も感じることなくレコードを購買していたのです。
その懐の広さは同時代の日本と較べてみれば、そしてユダヤ人の音楽を徹底的に排除したナチス・ドイツと較べてみても、十分に称賛に値するものです。
その様なアメリカが、今や自国第一主義を声高に叫んで懐の広さを失いつつあるのは実に残念な話です。もちろん、日本もまた同じような偏狭さにとらわれているわけですから他人のことは言えたものでもありません。
攻撃的な「偏狭」さは時には勇ましく思えるのですが、結果としてその様な勇ましさは、穏やかで理知的な「寛容」さを凌駕することは出来ないのです。
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