ベートーベン:ヴァイオリンソナタ第5番 へ長調 Op.24
(P)アルトゥール・ルービンシュタイン (Vn)ヘンリク・シェリング 1958年12月31日録音
Beethoven:Violin Sonata No.5 in F major, Op.24 "Spring" [I. Allegro]
Beethoven:Violin Sonata No.5 in F major, Op.24 "Spring" [II. Adagio molto espressivo]
Beethoven:Violin Sonata No.5 in F major, Op.24 "Spring" [III. Scherzo. Allegro molto -Trio]
Beethoven:Violin Sonata No.5 in F major, Op.24 "Spring" [IV. Rondo. Allegro ma non troppo]
ベートーベンのヴァイオリンソナタの概要
ベートーベンのヴァイオリンソナタは、9番と10番をのぞけばその創作時期は「初期」といわれる時期に集中しています。9番と10番はいわゆる「中期」といわれる時期に属する作品であり、このジャンルにおいては「後期」に属する作品は存在しません。
ピアノソナタはいうまでもなくチェロソナタにおいても、「後期」の素晴らしい作品を知っているだけに、この事実はちょっと残念なことです。
ベートーベンはヴァイオリンソナタを10曲残しているのですが、いくつかのグループに分けられます。
作品番号12番の3曲
まずは「Op.12」として括られる1番から3番までの3曲のソナタです。この作品は、映画「アマデウス」で、すっかり悪人として定着してしまったサリエリに献呈されています。
3曲とも、急(ソナタ形式)-緩(三部形式)-急(ロンド形式)というウィーン古典派の伝統に忠実な構成を取っており、いずれもモーツァルトの延長線上にある作品で、「ヴァイオリン助奏付きのピアノソナタ」という範疇を出るものではありません。
しかし、その助奏は「かなり重要な助奏」になっており、とりわけ第3番の雄大な楽想は完全にモーツァルトの世界を乗り越えています。
- 『第1番 ニ長調』(op.12-1):習作的様相の強い「第2番」に比べると、例えば、ヴァイオリンとピアノの力強い同音で始まる第1主題からしてはっきりベートーヴェン的な音楽になっています。
- 『第2番 イ長調』(op.12-2):おそらく一番最初に作曲されたソナタと思われます。作品12の中でも最も習作的な要素が大きい。
- 『第3番 変ホ長調』(op.12-3):変ホ長調という調性はヴァイオリンにとって決してやさしい調性ではないらしいです。しかし、その「難しさ」が柔らかで豊かな響きを生み出させています。「1番」「2番」と較べれば、もう別人の手になる作品になっています。また、ピアノパートがとてつもなく自由奔放であり、演奏者にかなりの困難を強いることでも有名です
作品23と24のペア
続いて、「Op.23」と「Op.24」の2曲です。この二つのソナタは当初はともに23番の作品番号で括られていたのですが、後に別々の作品番号が割り振られました。
ベートーベンという人は、同じ時期に全く性格の異なる作品を創作するということをよく行いましたが、ここでもその特徴がよくあらわれています。悲劇的であり内面的である4番に対して、「春」という愛称でよく知られる5番の方は伸びやかで外面的な明るさに満ちた作品となっています
- 『第4番 イ短調』(op.23):モーツァルトやハイドンの影響からほぼ抜け出して、私たちが知るベートーベンの姿がはっきりと刻み込まれたさくいんです。より幅の広い感情表現が盛り込まれていて、そこにはやり場のない怒りや皮肉、そして悲劇性などが盛り込まれて、そこには複雑な多面性を持った一人の男の姿(ベートーベン自身?)が浮かび上がってきます。
- 『第5番 へ長調』(op.24):この上もなく美しいメロディが散りばめられているので、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタの中では最もポピュラリティのある作品です。着想は4番よりもかなり早い時期に為されたようなのですが、若い頃のメロディ・メーカーとしての才能が遺憾なく発揮された作品です。
作品30の3曲「アレキサンダー・ソナタ」
次の6番から8番までのソナタは「Op.30」で括られます。この作品はロシア皇帝アレクサンドルからの注文で書かれたもので「アレキサンダー・ソナタ」と呼ばれています。
この3つのソナタにおいてベートーベンはモーツァルトの影響を完全に抜け出しています。そして、ヴァイオリンソナタにおけるヴァイオリンの復権を目指したのベートーベンの独自な世界はもう目前にまで迫っています。
特に第7番のソナタが持つ劇的な緊張感と緻密きわまる構成は今までのヴァイオリンソナタでは決して聞くことのできなかったスケールの大きさを感じさせてくれます。また、6番の第2楽章の美しいメロディも注目に値します。
- 『第6番 イ長調』(op.30-1):秋の木漏れ日を思わせるような、穏やかさと落ち着きに満ちた作品です。ベートーベンらしい起伏に満ちた劇性は気迫なので演奏機会はあまり多くないのですが、好きな人は好きだという「隠れ有名曲」です。
- 『第7番 ハ短調』(op.30-2):ハ短調です!!ベートーヴェンの「ハ短調」と言えば、煮えたぎる内面の葛藤やそれを雄々しく乗り越えていく英雄的感情が表現される調性です。この作品もまたベートーヴェンらしい悲痛さと雄大さを併せもっているので、「春」「クロイツェル」に次ぐ人気作品となっています。
- 『第8番 ト長調』(op.30-3):7番の作曲に全力を投入したためなのか、肩の力が抜けてシンプルな作品に仕上がっています。ただし、そのシンプルさが何ともいえない美しさにつながっていて、人というのは必ずしも、何でもかんでも「頑張れ」ばいいというものでないことを教えてくれる作品です。
作品47
そして、「クロイツェル」と呼ばれる、ヴァイオリンソナタの最高傑作ともいうべき第9番がその後に来ます。
「ほとんど協奏曲のように、極めて協奏風に書かれた、ヴァイオリン助奏付きのピアノソナタ」というのがこの作品に記されたベートーベン自身のコメントです。
ピアノとヴァイオリンという二つの楽器が自由奔放かつ華麗にファンタジーを歌い上げます。中期のベートーベンを特徴づける外へ向かってのエネルギーのほとばしりを至るところで感じ取ることができます。
ヴァイオリンソナタにおけるヴァイオリンの復権というベートーベンがこのジャンルにおいて目指したものはここで完成され、ロマン派以降のヴァイオリンソナタは全てこの延長線上において創作されることになります。
- 『第9番 イ長調(クロイツェル)』:若きベートーベンの絶頂期の作品です。この時代には「交響曲第3番(英雄)」「ピアノ・ソナタ第21番(ワルトシュタイン》)「ピアノ・ソナタ第23番(熱情)」が生み出されているのですが、それらと比肩しうるヴァイオリンソナタの最高傑作です。
作品96
そして最後にポツンと創作されたような第10番のソナタがあります。
このソナタはコンサート用のプログラムとしてではなく、彼の有力なパトロンであったルドルフ大公のために作られた作品であるために、クロイツェルとは対照的なほどに柔和でくつろいだ作品となっています。
- 『第10番 ト長調』:「クロイツェル」から9年後にポツンと作曲された作品で、長いスランプの後に漸く交響曲第7番や第8番が生み出されて、孤高の後期様式に踏み出す時期に書かれました。クロイツェルの激しさとは対照的に穏やかな「田園的」雰囲気にみちた作品となっています。
幸福な出会い
シェリングとルービンシュタインの出会いについては有名なエピソードがあります。
シェリングと言う人は随分と変わった経歴を持ったヴァイオリニストでした。
最初はカール・フレッシュやジャック・ティボーに学び、1933年にはブラームスの協奏曲を演奏してソリストとしてデビューしています。普通なら、その後は順風満帆でキャリアを伸ばしていったのでしょうが、ユダヤ系ポーランド人という出自が彼の人生を大きく揺さぶります。言うまでもなくナチスドイツの台頭と第二次世界大戦の勃発です。
1939年のナチス・ドイツのポーランド侵攻により本国を追われたポーランド政府は亡命政府を組織するのですが、シェリングはその語学力を買われて亡命政府の通訳として働くことになるのです。もちろん、優れたヴァイオリニストでもあったので通訳の仕事以外にも、連合軍のために積極的に慰問演奏なども行いました。そんな演奏会のためにメキシコを訪れたときに当地の大学で職を得ます。
そして、戦後はメキシコ政府が多くのポーランド難民を受け入れたことに恩義を感じて、1946年にはメキシコに帰化し、メキシコのために演奏活動道よりは教育活動に専念することになりました。
そんなシェリングに大きな転機となったのがルービンシュタインとの出会いでした。
演奏旅行でメキシコを訪れたルービンシュタインは、当地の大学でポーランド出身のヴァイオリニストが教授を務めているという話を聞きます。
早速にそのポーランド人と会う手筈を整え、さらには共演する機会も設けたようです。
その演奏を聴いたルービンシュタインはそのヴァイオリニストがメキシコで音楽教師として埋もれてしまうような才能でないことをすぐに悟り、アメリカに帰るとその優れた才能を積極的に紹介していくことになるのです。これをきっかけにシェリングは20世紀を代表するビッグネームになっていくのですが、この出会いがなければ、間違いなく彼はメキシコの一音楽教師として生涯を終えていたはずです。
ルービンシュタインは室内楽のパートナーとしてシェリングを呼び寄せ、さらには1958年にはまとまった録音を行う機会を設けます。それが、ここで紹介している二つのベートーベンのヴァイオリンソナタです。おそらく、このコンビによる最初の録音だと思います。
- ベートーベン:ヴァイオリンソナタ第5番 へ長調 Op.24 1958年12月31日録音
- ベートーベン:ヴァイオリンソナタ第9番 イ長調 「クロイツェル」 Op.47 1958年12月30日録音
これを聞けば、シェリングはルービンシュタインに対して一歩も退かずに己を主張していることがはっきりと分かります。確かに、演奏の主導権はルービンシュタインにあることは否定しませんが、それでもルービンシュタインに対して唯々諾々とついて行っているだけの演奏でないことも事実です。
ヴァイオリンソナタというのは、正確に言えばピアノとヴァイオリンによる二重奏なのですが、まさにその通りの演奏になっています。ルービンシュタインによって見いだされて、再びソリストとしての活動をはじめた時点で、既にシェリングは同時代の名のあるヴァイオリニストと較べても何の遜色もない存在だったのです。
演奏の中味はこの初出のレコードのジャケットとは全く違うのです。
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