シェーンベルク:弦楽四重奏曲第1番 ニ短調 作品7
ジュリアード弦楽四重奏団:1952年5月26日&27日録音
Schoenberg:String Quartet No.1 in D minor, Op.7 [1st movement in 1st sections]
Schoenberg:String Quartet No.1 in D minor, Op.7 [1st movement in 2nd sections]
Schoenberg:String Quartet No.1 in D minor, Op.7 [1st movement in 3rd sections]
Schoenberg:String Quartet No.1 in D minor, Op.7 [1st movement in 4th sections]
ツェムリンスキーとの出会い
思うに、シェーンベルクの偉かったのは、あんな訳の分からない無調の音楽を書きながらも、その気になればマーラーでさえも裸足で逃げていきそうなほどに精緻で巨大な後期ロマン派風の音楽も書けたことです。
それは、どこかピカソに似ています。
ピカソもまた、その気になれば、しっかりとしたデッサンと美しい色調で、誰もが惚れ惚れと見とれるような絵を描くことが出来ました。
そして、この二人は、既存の価値観に安住していれば、誰からも認められる「大家」になれたであろうに、それを投げ捨てて新しい道へと分け入ったところに共通点を感じます。
ただ、正直に言って、その新しい道が成功したのかどうかは分かりません。
ピカソに関しては、彼の名を冠した美術館で彼の代表作をまとめて見たときに、何故に彼がこのような道に進まざるを得なかったのが直感的に理解できました。そこにあったのは、途方もないエネルギーの放出でした。
そして、この怪物のようなエネルギーを放出する男にとって、既存の絵画のスタイルは狭すぎることは私のような愚であっても容易に理解できました。
しかし、それに追随した凡百の絵描きの作品をポンピドー美術館で見たときには、頭が痛くなりました。そこにあったのは、ピカソの巨大なエネルギーの放出とは正反対の、いじましいまでの小賢しい小細工でした。
偏見かもしれませんが、あのピカソの獰猛さに対抗できているのは唯一マチスだけでした。
そして、ルオーやシャガールは全く違った道で、己のアイデンティティを確保していました。
シェーンベルクもまた巨大なエネルギーを持った音楽家だったと思うのですが、音楽自体がすでに極限までに巨大化しているという事情が絵画とは異なっていたのでしょうか。彼は、巨大化の果てに収まりきらないエネルギーを、今度は凝縮させることで結実化させようとしたように見えます。もちろん、私は音楽の専門家ではありませんから、それは全くの個人的な感想の域を出ません。
しかし、シェーンベルクの無調の音楽は、決して無機的でもなければ非人間的でもなく、どこか人の心に届く響きを持っています。そして、その響きの中には、マーラーのシンフォニーをも凌駕するような巨大なものが極限にまで凝縮されて詰め込まれているような凄みを感じてしまいます。
ただし、ピカソの後継者の大部分が小賢しい小細工の中で窒息していったように、シェーンベルクの後継たる無調の、または12音の音楽の大部分もまた凝縮させるべき巨大なエネルギーを持たなかったが故に、結果として訳の分からない、ただの無機的で非人間的なノイズへと堕していきました。
しかし、そんな先の話はひとまず脇においておきましょう。ここで聞くべきはシェーンベルクの音楽です。
世間言われるほどに、彼の無調の音楽は訳の分からない音楽ではありません。少なくとも、彼の音楽は人の心の奥に届く「何か」を持っていることは間違いありません。
そして、とりわけこの弦楽四重奏曲というジャンルは、彼の創作活動の全体を覆っていますので、わずか4曲でシェーンベルクとは何者であったのかを教えてくれます。
シェーンベルクかー!!(>□<〃)ギャ・・・という人も多いかとは思いますが、是非一度くらいは虚心坦懐に耳を傾けてください。
弦楽四重奏曲第1番 ニ短調 作品7
靴屋を営むユダヤ人のもとに生まれシェーンベルクは16歳で父を亡くしています。そこで、彼は一家の生計を支えるために学校を中退して銀行の窓口で紙幣を数える日々を過ごします。ですから、この一代の革命児である音楽家は、音楽学校において専門的な教育は一切受けていません。彼が音楽を学んだのは、銀行員の時代に楽しんだ仲間達との合奏やアマチュア・オーケストラにおける演奏を通してでした。
そして、彼はこのアマチュア・オーケストラで指揮活動を行っていたツェムリンスキーと出会い、彼を通して作曲を学ぶようになります。
ツェムリンスキーはシェーンベルクとほぼ同年代の青年だったのですが、シェーンベルクとは対照的にウィーン音楽院を優秀な成績で卒業した新進気鋭の作曲家兼指揮者として認められていました。さらに、彼は当時のウィーンでは絶対的な存在であった晩年のブラームスからも認められていました。
しかし、彼もまたウィーンの伝統的な音楽の基礎はしっかりと身につけながらも、それだけで満足することなく、若者達の中でわき上がりつつあった進歩派の作風や美学にも関心をもっていました。
やはり人生には「運」が必要なようです。
もちろん、シェーンベルクにはその様な「運」を引き寄せ、その「運」をものにする才能と努力はあったのでしょうが、そう言う才能を持っている連中は他にもいたはずです。才能や努力は自分の努力で磨くことは出来ても、運だけはどうしようもなく、そしてそう言う運にほほ笑んでもらわないと何も始まらないことを考えれば、やはり彼には運があったのでしょう。
まさに、この時この場所でツェムリンスキーと出会い、作曲を学ぶことが出来たのはまさに彼の運でした。
そして、このツェムリンスキーのもとで作曲を学んでいるときに手がけられたのが弦楽四重奏曲ニ長調でした。
この作品は完成すると、ブラームスを名誉会長とするウィーン音楽芸術家協会の会員演奏会で取り上げられました。初演はそれなりに好意を持って受け入れられたようで、翌年には再演されています。しかし、この成功に気をよくして(?)リヒャルト・デーメルの詩に基づいた書き上げた弦楽六重奏曲「浄められた夜」は協会から拒否されてしまいます。
ブラームスが絶対だった協会は弦楽四重奏のような純粋器楽はウェルカムでも、「浄夜」のような標題音楽、それも不道徳きわまりない物語を下敷きにした音楽などは到底認められなかったのでしょう。
しかし、シェーンベルクは「浄夜」は拒否されたものの、この後も、発表のあても無いままに交響詩「ペレアスとメリザンド」や「グレの歌」のような後期ロマン派音楽の集大成となるような音楽に取り組んでいきます。
そして、そう言う不遇の時代の中で取り組んだのが作品番号7を与えられた弦楽四重奏曲第1番ニ短調でした。
この作品は、1楽章構成ながらも、演奏時間が40分を超えるという異形な姿を持っています。その意味では、狂言まで膨張して恐竜のように滅びの時を目前した典型的な後期ロマン派の音楽でした。
しかしながら、単1楽章ではあるのですが、細かく見れば4つの部分に分かれていて、4楽章構成のソナタが持つ要素は全て詰め込まれています。
最初に第1主題と第2主題が登場して展開されるソナタ形式の部分があります。そして、これに続いてスケルツォに相当する音楽が配置されて、さらに緩徐楽章に当たる部分が登場します。そして、最期はロンド形式によ終楽章が最後を締めくくるという雰囲気です。
ただし、シェーンベルクはその様な古典的な4楽章構成ではなくて、単一楽章に詰め込んだのは、従来にはない統一感を音楽にもたらしたかったのでしょう。
この時期のシェーンベルクは未だにしっかりとした調性に基づいた音楽を書いているのですが、「伝統は怠惰の別名だ」と言い切ったマーラーの知遇も得、さらには終生の仲間となるウェーベルンはベルクとも出会い、新しい道を模索していた若きシェーンベルクの姿がここにははっきりと刻み込まれています。
作品の真価を伝えようとする熱さ
ジュリアード弦楽四重奏団はバルトークの弦楽四重奏曲の全曲録音を3回も行っています。それに対して、私が知る限りでは、シェーンベルクの弦楽四重奏曲はこの古いモノラル録音の一回だけです。
残された資料によると、彼らは1949年に最晩年のシェーンベルクをロサンジェルスに訪問して、弦楽四重奏曲の解釈について熱心と意見を交換したようです。さらに翌年にはシェーンベルクの前で実際に演奏を行って、作曲家自身の意見も聞いています。
その時の様子を、リーダーであったロバート・マンは「シェーンベルクの予想した以上に、私たちの解釈はワイルドでした。そして、私たちが彼のために最初のカルテットを演奏すると、彼はそれが自分の予想もしていなかった解釈であると明かしました。」と述べています。この作曲家の反応は彼らにとっては大きな戸惑いであったようですが、シェーンベルクは笑い出して「でも、そのように演奏してください、それでいいのです」と付け加えたようです。
シェーンベルクにしてみれば、多少は意に沿わない部分があったとしても、ここでだめ出しをして録音が世に出ないよりはましだと判断したのではないかと思います。ただし、世間ではこの出来事を持って彼らの演奏は作曲家のお墨付きを得た「スタンダード」の地位を確保したことになっているのですが、実際に聞いてみれば、それは少し違うような気がするのです。
私の駄耳がこの演奏を聴いて感じたのは、彼らの一番最初のバルトークを聞いたときとほぼ同じです。
世間では、この演奏はきわめて過激な演奏であり、その過激さ故にシェーンベルクは違和感を感じたと言うことになっているのですが、どう聞いてみても、精緻さよりは作品の真価を伝えようとする熱さと、その熱さに由来する人肌の温もりみたいなものを感じてしまいます。そして、その熱さが私には魅力的なのです。
楚々手、彼のモノラルによるバルトーク演奏を聴いたときに感じたことが、そのままそっくりあてはまります。
「確かに、作品のたたずまいからいって、もっとクールに、もっと精緻に演奏されてこそ作品はその魅力をよりいっそう輝やかせることは否定できません。しかし、あまりにもクールに、そして精緻に演奏しすぎると、ただでさえ聞く人を拒絶するような側面がある作品だけに、はじめてこの作品に接する人には厳しすぎる事も事実です。それに対して、ジュリアード弦楽四重奏団によるこの一番最初のモノラル録音は、それが持つ人肌の温もりの故に聞く人にとって「優しい演奏」と言えるかもしれません。」
ただし不思議なのは、これほど熱心にシェーンベルクの作品と向き合ったにもかかわらず、たった1回しか録音しなかった、それも古いモノラル時代の1回だけだったことです。
バルトークに関してはさらに演奏の精密度を上げた録音を60年代に行い、さらにはデジタル時代に入った80年代にももう1回録音していることを考えれば、「どうしてだろう?」とは考えてしまいます。
おそらくは、「売れない」という判断がレーベルの方ではたらいたのかもしれません。ただでさえ室内楽は売れませんから、グールドみたいに本人が演奏したいものならば何でも「O.K」とはいかなかったのでしょうか?
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