ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための協奏曲 イ短調 作品102(Brahms:Concerto for Violin and Cello and Orchestra in A major Op.102 "Double Concerto")
Ferenc Fricsay:(P)Geza Anda (Vn)Wolfgang Schneiderhan (Cell)Pierre Fournier Berlin Radio Symphony Orchestra Recorded on May-June, 1960
Brahms:Concerto for Violin and Cello and Orchestra in A major Op.102 "Double Concerto" [1.Allegro]
Brahms:Concerto for Violin and Cello and Orchestra in A major Op.102 "Double Concerto" [2.Andante]
Brahms:Concerto for Violin and Cello and Orchestra in A major Op.102 "Double Concerto" [3.Vivace non troppo]
ブラームス、最後の管弦楽作品
独奏楽器にヴァイオリンとチェロという豊かに旋律を歌える楽器を使用した協奏曲です。
こういう構成はバロック時代の合奏協奏曲を思い出させるのですが、聞いてみれば純然たる古典派以降の独奏協奏曲のスタイルです。
念のためにお復習いをしておきますが(^^;、「合奏協奏曲」とは、独奏楽器群(コンチェルティーノ)とオーケストラの総奏(リピエーノ)に分かれ、2群が交代しながら演奏する楽曲のことです。コレッリの合奏協奏曲などが有名です。ちなみに、コレッリの合奏協奏曲では、独奏楽器は2本のヴァイオリンと1本のチェロによって構成されるるのが基本です。
それに対して、一人の独奏楽器の奏者にオーケストラの総奏が対峙するのが通常の「協奏曲」で、「合奏協奏曲」との区別を明確にするために「独奏協奏曲」なんて言う言い方をします。
このブラームスの「二重協奏曲」と題されることもあるこの協奏曲は二つの独奏楽器が名人芸を発揮しながらオケと対峙する形を取っていますから、明らかに通常の「独奏協奏曲」です。
なお、古典派以降で、こういう二つ以上の楽器が独奏楽器として扱われる作品としてはモーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」やベートーベンの「ピアノ、ヴァイオリンとチェロと管弦楽のための三重協奏曲」があります。当然、そう言う作品の影響もあったでしょうが、それでもチェロとヴァイオリンという旋律を歌うことに長けた二つの楽器で独奏を担当するというのは異例の構成です。
なお、この作品は、つまらぬ事から不仲となったヨアヒムとの関係を修復しようとして作曲されたと言われていますので、クララは「和解の協奏曲」と呼んだそうです。
ただし、完成したこの作品に対してクララは終始否定的で、「作曲をする人にとっては興味のある作品だろうが、楽器が色彩的ではないから将来性を持つとは思わない」と述べていました。
この作品の初演は好意的に受け取られ、さらにはヨアヒム自身もブラームスの思いを受け止めて積極的にコンサートで取り上げたので、当初はかなりの話題作となったようです。しかし、そう言う世間での高評価を見てもクララの評価は変わることはなく、結果としてはブラームスのオーケストラ作品のなかでは最も地味なポジションに甘んじている現実を見れば、彼女の慧眼を褒めるべきなのでしょう。
なお、この作品の原型は4番目のシンフォニーに続く交響曲として構想されたものだったようです。
しかし、ヨアヒムとの不仲を回復しようという意図と、さらにはクララが見抜いたように、ヴァイオリンとチェロという二つの旋律楽器を使った協奏曲という形式に対する面白さもあって、当初の「交響曲案」はあっさりと破棄されてこの協奏曲になってしまいました。そして、結果としては、この後ブラームスの創作力は急激に衰えてしまい、再び管弦楽を使った大規模な作品を生み出すことはありませんでした。
そんな事を考えると、最初の予定通りに交響曲として仕上がってくれていたら良かったのに!と思う人も少なくないはずです。
なお、個人的には、この作品の終楽章からは、20世紀の音楽につながっていくような不思議な「新しさ」みたいなものが感じ取れて、昔から大好きでした。
フリッチャイの協奏曲伴奏
フリッチャイといえば白血病によって死線をさまよい、そのことが彼の音楽に大きな影響を与えたとよく言われます。
確かに彼自身もその経験について次のように語っていました。
何がよくて何が悪いか、なぜ自分は音楽家 になったか、他の人間を指揮するという課題は何を伴っているかということについて考える時間があったのである。 結局私は、これまでよりもいや増して真剣に、いっそうの責任感をもって自分の職業と使命とを把握しなければなら ないということを悟った。
一般的によく言われるのは、それまでの即物的な精緻さに重点を置いた音楽から、より主情的でスケールの大きな音楽に変わったということです。
確かに、そういう指摘は誤りではないと思うのですが、じっくりと彼の録音を聞き続けいると、ことはそれほど単純ではないということに気づかされます。それは、彼が白血病から一時的に寛解して音楽活動を再開した60年以降の音楽を聴いてみると、それらは確かにフリッチャイという指揮者の主情性がためらわずに吐露されていることは間違いはないのですが、それでも決してそれまでの精緻な音楽づくりは放棄していないということです。
当時は即物主義が全盛の時代でしたから、若手の指揮者だった時代は売れる、売れないという問題からは避けて通れなかったでしょう。しかし、一度生き死にの問題に直面してみればそんなことはどうでもよくなったのでしょう。
であったとしても、それでも彼の音楽は恣意的なデフォルメは決して良しとせず、音楽が持っている構造のようなものを精緻に描き出すことは彼の本質でもあったはずです。
ただし、白血病によって死線をさまよった経験は彼をそう言う世俗的な事柄から自由にしたことは間違いありません。
その意味では、彼の協奏曲の伴奏は興味を惹かれます。
特に面白いと思うのは、60年以降に録音されたブラームスのダブルコンチェルト、ベートーベンのトリプルコンチェルトなどです。
ベートーベンのトリプルコンチェルトといえば、真っ先にカラヤンがリヒテル、オイストラフ、ロストロポーヴィッチと録音した一枚を思い出します。あのレコードのジャケットにはその4人が和やかにそろって写っているのですが、あれはよく「奇跡の一枚」と呼ばれています。そう呼ばれるほどに録音の時は4人の関係は険悪だったことは有名な話です。
協奏曲なんてのはソリストが一人でも指揮者にとっては厄介ななのに、それが二人も三人もいれば指揮者の苦労は並大抵ではありません。
ところが、白血病からの一時的な寛解で体調が回復した後に、フリッチャイはこの厄介な二つの協奏曲を録音しているのです。それ以外にも、バルトークの協奏曲も全3曲を録音しています。
このバルトークの時に組んだ相手がゲザ・アンダなのですが、彼とはブラームスの第2番の協奏曲も録音しています。これもまた、指揮者にとっては骨の折れる仕事です。
ちなみに、ベートーベンのトリプルではヴォルフガング・シュナイダーハンとピエール・フルニエ、ブラームスのダブルではフルニエの代わりにヤーノシュ・シュタルケルを起用しています。
おそらく、気の合う相手とじっくりディスカッションをして、お互いがともに納得のいくような音楽づくりをしたのでしょう。
それらの一連の協奏曲ではソリストの持ち味が十全に引き出され、オケもまた音楽の重要な一部としてその存在を示しています。
ついでに、白血病前の録音としてはアニー・フィッシャーとのベートーベンの3番があります。これなどは、完璧主義者のフィッシャーに対してよく献身していると思われる演奏です。
協奏曲の伴奏といえば基本的にはわき役なのですが、こうしてあれこれ聞いてみると、そこにはフリッチャイという指揮者の一つの素顔が刻み込まれtりうように思えてきます。
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