ベートーベン:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73 「皇帝」(Beethoven:Piano Concerto No.5 in E flat Op.73 "Emperor")
(P)ヴィルヘルム・ケンプ:フェルディナント・ライトナー指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1961年7月録音(Wilhelm Kempff:(Con)Ferdinand Leitner Berlin Philharmonic Orchestra Recorded on July, 1961)
Beethoven:Piano Concerto No.5 in E flat Op.73 "Emperor" [1.Allegro]
Beethoven:Piano Concerto No.5 in E flat Op.73 "Emperor" [2.Adagio un poco mosso - 3.Rondo. Allegro]
演奏者の即興によるカデンツァは不必要
ピアノ協奏曲というジャンルはベートーベンにとってあまりやる気の出る仕事ではなかったようです。ピアノソナタが彼の作曲家人生のすべての時期にわたって創作されているのに、協奏曲は初期から中期に至る時期に限られています。
第5番の、通称「皇帝」と呼ばれるこのピアノコンチェルトがこの分野における最後の仕事となっています。
それはコンチェルトという形式が持っている制約のためでしょうか。
これはあちこちで書いていますので、ここでもまた繰り返すのは気が引けるのですが、やはり書いておきます。(^^;
いつの時代にあっても、コンチェルトというのはソリストの名人芸披露のための道具であるという事実からは抜け出せません。つまり、ソリストがひきたつように書かれていることが大前提であり、何よりも外面的な効果が重視されます。
ベートーベンもピアニストでもあったわけですから、ウィーンで売り出していくためには自分のためにいくつかのコンチェルトを創作する必要がありました。
しかし、上で述べたような制約は、何よりも音楽の内面性を重視するベートーベンにとっては決して気の進む仕事でなかったことは容易に想像できます。
そのため、華麗な名人芸や華やかな雰囲気を保ちながらも、真面目に音楽を聴こうとする人の耳にも耐えられるような作品を書こうと試みました。(おそらく最も厳しい聞き手はベートーベン自身であったはずです。)
その意味では、晩年のモーツァルトが挑んだコンチェルトの世界を最も正当な形で継承した人物だといえます。
実際、モーツァルトからベートーベンへと引き継がれた仕事によって、協奏曲というジャンルはその夜限りのなぐさみものの音楽から、まじめに聞くに値する音楽形式へと引き上げられたのです。
ベートーベンのそうのような努力は、この第5番の協奏曲において「演奏者の即興によるカデンツァは不必要」という域にまで達します。
自分の意図した音楽の流れを演奏者の気まぐれで壊されたくないと言う思いから、第1番のコンチェルトからカデンツァはベートーベン自身の手で書かれていました。しかし、それを使うかどうかは演奏者にゆだねられていました。自らがカデンツァを書いて、それを使う、使わないは演奏者にゆだねると言っても、ほとんどはベートーベン自身が演奏するのですから問題はなかったのでしょう。
しかし、聴力の衰えから、第5番を創作したときは自らが公開の場で演奏することは不可能になっていました。
自らが演奏することが不可能となると、やはり演奏者の恣意的判断にゆだねることには躊躇があったのでしょう。
しかし、その様な決断は、コンチェルトが名人芸の披露の場であったことを考えると画期的な事だったといえます。
そして、これを最後にベートーベンは新しい協奏曲を完成させることはありませんでした。聴力が衰え、ピアニストとして活躍することが不可能となっていたベートーベンにとってこの分野の仕事は自分にとってはもはや必要のない仕事になったと言うことです。
そして、そうなるとこのジャンルは気の進む仕事ではなかったようで、その後も何人かのピアノストから依頼はあったようですが完成はさせていません。
ベートーベンにとってソナタこそがピアノに最も相応しい言葉だったようです 。
この上もなく軽やかな(軽い?)ベートーベン
ソリストにはコンプリートする人としない人に別れるみたいな事を書いたことがあります。その二分法を適用すればケンプは典型的な「コンプリートする人」に分類されます。
しかし、そのコンプリートの仕方は一般的なコンプリートする人と較べれば随分と様子が異なっています。それは、誤解を恐れずに言えば、例えば世界で初めてベートーベンのピア・ソナタの全曲録音青したシュナーベルが「死ぬような思いをした」と吐露したような悲壮感がほとんど感じられないのです。
その事は、ほとんどの人がそれなりの時間をかけてコンプリートを完成させているのに対して、ケンプの場合は一気呵成に全曲録音をしているのです。
実際、ここで紹介しているベートーベンのピアノ協奏曲にしても1961年の6月から7月にかけて一気に録音を仕上げています。
ベートーベンのピアノ協奏曲の全曲録音ともなれば、普通はそれなりの意気込みというか気負いというか、そう言うものが漂うのが普通です。しかし、ケンプのこの全曲録音にはそう言う気負いのようなものは微塵も感じられません。
それどころか、どこにも力の入っていない、この上もない自然体で演奏に臨んでいます。結果として生み出される音楽は良く言えばかるみに溢れたベートーベンであり、悪く言えばあまりにも重量感に欠けた「軽いベートーベン」になっているのです。おそらく、ケンプ以外でこんなベートーベンを録音として世に出せる覚悟のあるピアニストはいないでしょう。
何度も繰り返して恐縮なのですが、ケンプは風に鳴る「エオリアンハープ」です。その風と「エオリアンハープ」は絶妙な調和を見いだしたときにはこの上もなく美しい世界を生み出します。そして、そう言う美しい瞬間はこの録音の中にいくつも見いだすことが出来ます。
しかし、それでも全体としてみれば、この演奏はあまりにも軽すぎて、そこに不満を感じる人がいても不思議ではありません。それよりも、オケの伴奏がそう言うケンプの軽やかさにピッタリと寄りそっていなければとても聞けたものでないことは容易に想像がつきます。
ですから、これはケンプだけでなく指揮を務めたフェルディナント・ライトナーとの合作と言ってもいいほどの演奏です。
協奏曲の魅力と言えばソリストとオケとの切った貼ったの勝負にあることも事実であり、事実そう言う文脈の中で多くの名演が生まれてきました。しかし、ここにあるのはそう言う切った貼ったの世界ではなくて、それとは真逆の方にあるソリストとオケとの完璧な調和の中で生み出される世界なのです。
そう言うことで、ケンプも凄いのですが、あらためてフェルディナント・ライトナーという指揮者の名人的な職人芸にも拍手を送りたいのです。
それから、最後に付け加えておきたいのは、この音源は中古レコードなのですが、盤面の状態があまりよろしくなくてかなりパチパチノイズが混ざります。さてどうしたものかと思ったのですが、賛否両論があっても、それなりに興味深い録音なので敢えてアップすることにしました。そのあたりの音質に関してはご容赦ください。
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