ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調, Op.61
(Vn)ヤッシャ・ハイフェッツ:アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団 1940年3月11日録音
Beethoven:Violin Concerto in D major, Op.61 [1.Allegro ma non troppo]
Beethoven:Violin Concerto in D major, Op.61 [2.Larghetto]
Beethoven:Violin Concerto in D major, Op.61 [3.Rondo]
忘却の淵からすくい上げられた作品
ベートーベンはこのジャンルの作品をこれ一つしか残しませんでした。しかし、そのたった一つの作品が、中期の傑作の森を代表するする堂々たるコンチェルトであることに感謝したいと思います。
このバイオリン協奏曲は初演当時、かなり冷たい反応と評価を受けています。
「若干の美しさはあるものの時には前後のつながりが全く断ち切られてしまったり、いくつかの平凡な個所を果てしなく繰り返すだけですぐ飽きてしまう。」
「ベートーベンがこのような曲を書き続けるならば、聴衆は音楽会に来て疲れて帰るだけである。」
全く持って糞味噌なけなされかたです。
こう言うのを読むと、「評論家」というものの本質は何百年たっても変わらないものだと感心させられます。
しかし、もう少し詳しく調べてみると、そう言う評価の理由も何となく分かってきます。
この協奏曲の初演は1806年に、ベートーベン自身の指揮、ヴァイオリンはフランツ・クレメントというヴァイオリニストによって行われました。
作品の完成が遅れたために(出来上がったのが初演の前日だったそうな)クレメントはほとんど初見で演奏しなければいけなかったようなのですが、それでも演奏会は大成功をおさめたと伝えられています。
しかし、この「大成功」には「裏」がありました。
実は、この演奏会では、ヴァイオリン協奏曲の第1楽章が終わった後に、クレメントの自作による「ソナタ」が演奏されたのです。
今から見れば無茶苦茶なプログラム構成ですが、その無茶草の背景に問題の本質があります。
そのクレメントの「ソナタ」はヴァイオリンの一本の弦だけを使って「主題」が演奏されるという趣向の作品で、その華麗な名人芸に観客は沸いたのでした。
そして、それと引き替えに、当日の目玉であった協奏曲の方には上で述べたような酷評が投げつけられたのです。
当時の聴衆が求めたものは、この協奏曲のような「ヴァイオリン独奏付きの交響曲」のような音楽ではなくて、クレメントのソナタのような名人芸を堪能することだったのです。彼らの多くは「深い精神性を宿した芸術」ではなくて、文句なしに楽しめる「エンターテイメント」を求めたいたのです。
そして、「協奏曲」というジャンルはまさにその様な楽しみを求めて足を運ぶ場だったのですから、そう言う不満が出ても当然でしたし、いわゆる評論家達もその様な一般の人たちの素直な心情を少しばかり難しい言い回しで代弁したのでしょう。
それはそうでしょう、例えば今ならば誰かのドームコンサートに出かけて、そこでいきなり弦楽四重奏をバックにお経のような歌が延々と流れれば、それがいかに有り難いお経であってもウンザリするはずです。
そして、そういう批評のためか、その後この作品はほとんど忘却されてしまい、演奏会で演奏されることもほとんどありませんでした。
この曲は初演以来、40年ほどの間に数回しか演奏されなかったと言われています。
その様な忘却の淵からこの作品をすくい上げたのが、当時13才であった天才ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムでした。
1844年のイギリスへの演奏旅行でこの作品を取り上げて大成功をおさめ、それがきっかけとなって多くの人にも認められるようになったわけです。
- 第一楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ
冒頭にティンパニが静かにリズムを刻むのですが、これがこの楽章の形を決めるのは「構築の鬼ベートーベン」としては当然のことでしょう。ただし、当時の聴衆は協奏曲というジャンルにその様なものを求めていなかったことが不幸の始まりでした。
- 第二楽章 ラルゲット
この自由な変奏曲形式による美しい音楽は当時の聴衆にも受け入れられたと思われます。
- 第三楽章 ロンド アレグロ
力強いリズムに乗って独奏ヴァイオリンと管弦楽が会話を繰り返すのですが、当時の聴衆は「平凡な個所を果てしなく繰り返す」と感じたのかもしれません。
汗の一滴も感じさせない
ハイフェッツの手になるベートーベンとかブラームスとかメンデルスゾーンなどの大物協奏曲と言えば、50年代のステレオ録音でもって代表するのが常識です。もちろん、それらは全て素晴らしい演奏であり、それでもって代表させられても何の不都合もありません。
しかし、ヴァイオリン協奏曲というのはソリストにとってはかなり過酷ながんばりを要求します。
何故ならば、オーケストラというのは基本的には弦楽合奏が骨格を為していて、そこに管楽器や打楽器などが加わると言うものだからです。つまり分厚い弦楽器の響きが骨格を作っていて、それらと全く同質の響きを持ったわずか一挺のヴァイオリンでその分厚い響きに対抗しなければいけないからです。
ソロのヴァイオリンは分厚い弦楽器群の響きに埋没しそうになりながらも、そこを死力を振り絞って乗りこえていかなければいけないのです。
多くのソリストがストラディヴァリウスなどの特別な楽器を求めるのは、そう言う弦楽器群の分厚い響きを乗りこえていく特別な響きを持っているからです。もちろ、ヴァイオリン協奏曲が持つそう言う困難さは作曲家も分かっていますから、ソロ・ヴァイオリンの響きを尊重してオーケストラの弦楽器群が被さってくることのない様に配慮している作品も数多く存在します。
しかし、そう言う配慮は音楽をある種の枠にとどめることになってしまいますから、ベートーベンやブラームスなんかになるとそう言うことには無頓着とまでは言いませんが、それほどの配慮はせずに「ソリストの人頑張ってね」みたいな態度を取ります。
そして、贅沢な聞き手はそう言う「がんばり」をソリストに期待してコンサート会場に向かうわけです。
若い頃なら体力も気力も充実しているので「それならば勝負してやろうじゃないか!」と舞台に登場するのでしょうが、年を重ねると、何もそこまで無理して頑張らなくてもいいのではないかと思うようになっていくものです。
そして、その事はハイフェッツほどのヴァイオリニストでも避けがたいことで、晩年は室内楽の演奏がメインになっていきました。実際のコンサートではほとんど協奏曲は演奏しなくなったのではないでしょうか。
それは、ピニストでも同様で、ピアノのように一台でオーケストラに対抗できる楽器であっても、晩年は協奏曲から離れていくピアニストが大多数ですから、ヴァイオリニストならば何をかいわんやです。
ですから、30年代や40年代に録音したハイフェッツの協奏曲の録音は、極めて優れたステレオ録音が存在して言えても敢えて聞く価値があるのです。
それらを聞いていてまず感じるのは、ヴァイオリンという楽器はこんなにも軽々と演奏できるものなのかという驚きです。そこには一滴の汗すらも感じさせません。そして、軽々とそのヴァイオリンは涼しい顔をしてオーケストラの上を駆け抜けていくのです。
そう言えば、50年代のステレオ録音を聞いて、悪くはないけれども、ハイフェッツの凄みはそう言う大物の協奏曲よりは小品の方にこそあらわれているという声をよく聞きます。実際、私もそう感じるひとりです。
しかし、こういう30年代から40年代の録音を聞けば、そう言う言葉は絶対に出てこないでしょう。
ハイフェッツの凄さを本当に味わいたいのならば、この時代の協奏曲の録音は絶対に外せないのです。
よせられたコメント
2022-11-10:yk
- 此処でこの録音が未だアップされていなかった・・・と言うのがむしろ驚きです。
昔、クラシック音楽を聴き始めたころヴァイオリン協奏曲に凝っていた時期があった。その当時、”一番エライ”と言う形容詞で何でも単純化して見ていた私にとって、もちろん”一番エライ”作曲家はベートーヴェンだったし、”一番エライ”ヴァイオリニストはハイフェッツだったので、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を買うのならレコードは当然ハイフェッツのものと決めていた。で、レコード屋に行って探してみると、指揮者がミュンシュのものとトスカニーニのものが置いてあって少し迷ったのだけれど、トスカニーニが”一番エライ”指揮者だと覚えていたのでこのLPを意気揚々と買った。
一番エライヴァイオリニストと一番エライ指揮者による一番エライ作曲家の協奏曲の演奏なのだから、もとより悪いはずがない。録音はもちろんSP期の録音だが、どちらかと言えばデッドな音響のNBCスタジオ8Hでの録音は結構明快(・・・過ぎ?)な音で聴くことが出来る。ハイフェッツとトスカニーニと言う組み合わせだけでも大体想像がつくようなものだけれど、それにしても緊張感の異様に高い演奏だと思う・・・・・それも、ライブ演奏の緊張などと言うのとはちょっと違う、どちらかと言えば機械的な雰囲気のある閉鎖的・密室的なスタジオのなかで皆が息を殺しているような緊張感が漲っていて、ハイフェッツもトスカニーニも素人耳にでさえテンポが上擦っているように聞こえるようなところもある。
このレコード以来、色々ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲も聴いたけれど、この演奏ほど引き締まった気迫辺りを払うような印象を与える演奏は未だにないと思う。黒澤映画の「椿三十郎」でノホホンとした家老の奥方が主人公を評して「あなたはギラギラしてまるで抜き身の刀みたいだけれど、本当にいい刀は鞘に収まってるものですよ」と言う場面があったが、この演奏でのハイフェッツもトスカニーニも、将に抜き身の刀みたいにギラギラ光っている。”鞘に収まる”余裕がないと言ってしまえばそうかもしれない、冷たい刀身よりも生身の温もりが音楽には必要かもしれない・・・・・が、日本刀の切っ先が発する異様な輝きには其れ独特の魅力があって、この演奏も(今の私の”好み”とは必ずしも一致している訳ではないけれど)やはり歴史的録音の名に恥じない偉大な演奏だったと思う。
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