クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ベートーベン:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73 「皇帝」

(P)アルフレッド・ブレンデル ズビン・メータ指揮 ウィーン交響楽団 1961年録音





Beethoven:Piano Concerto No.5 in E flat Op.73 "Emperor" [1.Allegro]

Beethoven:Piano Concerto No.5 in E flat Op.73 "Emperor" [2.Adagio un poco mosso]

Beethoven:Piano Concerto No.5 in E flat Op.73 "Emperor" [3.Rondo. Allegro]


演奏者の即興によるカデンツァは不必要

ピアノ協奏曲というジャンルはベートーベンにとってあまりやる気の出る仕事ではなかったようです。ピアノソナタが彼の作曲家人生のすべての時期にわたって創作されているのに、協奏曲は初期から中期に至る時期に限られています。
第5番の、通称「皇帝」と呼ばれるこのピアノコンチェルトがこの分野における最後の仕事となっています。

それはコンチェルトという形式が持っている制約のためでしょうか。
これはあちこちで書いていますので、ここでもまた繰り返すのは気が引けるのですが、やはり書いておきます。(^^;

いつの時代にあっても、コンチェルトというのはソリストの名人芸披露のための道具であるという事実からは抜け出せません。つまり、ソリストがひきたつように書かれていることが大前提であり、何よりも外面的な効果が重視されます。
ベートーベンもピアニストでもあったわけですから、ウィーンで売り出していくためには自分のためにいくつかのコンチェルトを創作する必要がありました。

しかし、上で述べたような制約は、何よりも音楽の内面性を重視するベートーベンにとっては決して気の進む仕事でなかったことは容易に想像できます。
そのため、華麗な名人芸や華やかな雰囲気を保ちながらも、真面目に音楽を聴こうとする人の耳にも耐えられるような作品を書こうと試みました。(おそらく最も厳しい聞き手はベートーベン自身であったはずです。)
その意味では、晩年のモーツァルトが挑んだコンチェルトの世界を最も正当な形で継承した人物だといえます。
実際、モーツァルトからベートーベンへと引き継がれた仕事によって、協奏曲というジャンルはその夜限りのなぐさみものの音楽から、まじめに聞くに値する音楽形式へと引き上げられたのです。

ベートーベンのそうのような努力は、この第5番の協奏曲において「演奏者の即興によるカデンツァは不必要」という域にまで達します。

自分の意図した音楽の流れを演奏者の気まぐれで壊されたくないと言う思いから、第1番のコンチェルトからカデンツァはベートーベン自身の手で書かれていました。しかし、それを使うかどうかは演奏者にゆだねられていました。自らがカデンツァを書いて、それを使う、使わないは演奏者にゆだねると言っても、ほとんどはベートーベン自身が演奏するのですから問題はなかったのでしょう。
しかし、聴力の衰えから、第5番を創作したときは自らが公開の場で演奏することは不可能になっていました。
自らが演奏することが不可能となると、やはり演奏者の恣意的判断にゆだねることには躊躇があったのでしょう。

しかし、その様な決断は、コンチェルトが名人芸の披露の場であったことを考えると画期的な事だったといえます。

そして、これを最後にベートーベンは新しい協奏曲を完成させることはありませんでした。聴力が衰え、ピアニストとして活躍することが不可能となっていたベートーベンにとってこの分野の仕事は自分にとってはもはや必要のない仕事になったと言うことです。
そして、そうなるとこのジャンルは気の進む仕事ではなかったようで、その後も何人かのピアノストから依頼はあったようですが完成はさせていません。

ベートーベンにとってソナタこそがピアノに最も相応しい言葉だったようです 。

若きブレンデルのあふれるようなロマンティシズムが高い完成度で表白されている


ブレンデルの録音活動は「Philips」と強く結びついています。
何しろ、同じレーベルで2度もベートーベンのピアノ・ソナタの全曲録音を行っているのですから。一度目は1970年~1977年にかけて、2度目は1992年~1996年にかけてです。

しかしなら、ブレンデルはそれ以前にアメリカの新興レーベルである「Vox」においてベートーベンのピアノ・ソナタを全曲録音していて、さらに、協奏曲やバガテル、変奏曲などもほぼ全て録音していました。つまりは、彼は「Vox」において、ベートーベンのピアノ音楽をほぼ全てコンプリートしていたのです。
ただし、ブレンデルと言えばどうしても「Philips」との録音がメインで、この「Vox」での録音は確か1970年代にコロンビアの「ダイヤモンド1000シリーズ」という廉価盤で世に出回った事があるようなのですが、あまり陽の目は見なかったようです。

誰が言った言葉かは忘れましたが、あるピアニストが、聞き手からは高い人気と評価を得ているがプロのピアニストからの評価が低い人物としてバックハウスとブレンデルの名前を挙げていました。

しかし、私はその評価を目にしたときには驚かされました。
確かに、バックハウスに関しては(とりわけ晩年のステレオ録音)ある程度理解できる部分があるのですが、ブレンデルに関しては何故にそう言う評価が出てくるのかはよく分かりませんでした。

それどころか、どの作品を聞いても良く考え抜かれた演奏であって、技術的にも申し分なく些細な隙も見いだせないようなブレンデルの演奏は専門家からは高く評価されているだろうと思っていたのです。そして、逆に私のような一般的な我が儘な聞き手からすれば、何をやってもソツはないものの平均的な演奏を突き破る驚きにかけたピアニストだと感じていたのです。ですから「聞き手からは高い人気と評価を得ているがプロのピアニストからの評価が低い」という評価に出会ったときには「ほんまかいな!」と驚いてしまったわけです。

つまりは、私の中では「聞き手からは高い人気と評価を得ているがプロのピアニストからの評価が低い人物」ではなくて、真逆の「プロのピアニストからは高い人気と評価を得ているが聞き手からの評価が低い人物」だと感じていたのです。

ちなみにソナタ全曲を紹介したときにはそのピアニストの名前は上のような書き方で敢えて言葉を濁していたのですが(^^;、ここでは記しておきましょう。
そのピアニストとは清水和音氏です。
ただし、彼のブレンデルに対する評価の是非は聞き手の方々にお任せしましょう。

しかし、そう言う私のブレンデルへの評価はこの「Vox」での録音を聞いてみて大きく変化しました。
その演奏は平均的でソツがないどころか、実に叙情性にあふれた聞き手の心の琴線に触れてくる演奏だったのです。その事はピアノ・ソナタの録音を聞いたときもに感じたのですが、この一連の協奏曲の録音ではより強く感じさせられました。

確かに、ブレンデルのソツのない演奏はデュナーミクの拡大によって今までは考えられなかったような「巨大さ」を追求したような作品では物足りなさがあるかもしれません。しかし、何気なく聞き流していた細部に「こんなにも美しい場面が散りばめられているんだ」という事に気づかせてくれる演奏であることに大きな価値を感じます。
そして、柔らかくデリケートなブレンデのピアノの響きはそう言う美しさを描き出すのにピッタリのものであり、さらに言えばそれが決して押しつげがましくならないのが実に謙虚です。

つまりは、若きブレンデルのあふれるようなロマンティシズムが高い完成度で表白されているのがこの「Vox」でのベートーベンの協奏曲の録音なのです。これは聞き手を十分に満足させる演奏であり、それはおそらくプロの人々をも感心させるものだと信じます。

ただし、一つだけ贅沢を言わせてもらえれば、ピアノを支える指揮者やオーケストラが全5曲でバラバラなのが実に残念です。
とりわけ、第5番のメータが実にもって残念です。

メータは1959年にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して華々しいデビューを飾った期待の若手でした。ですから「Vox」にしてみれば期待をこめた起用だったのでしょうが、正直言っていささか残念な結果になっています。
途中から持ち直している感じはあるのですが、どこか「オレがオレが」みたいな押しつけがましさが拭いきれず、結果として威圧的でせっかちだと思わざるを得ないオケの運びになっているように思われるのです。
もちろん、それに対してブレンデルも食ってかかるようにピアノを響かせればよかったのかもしれませんが、ブレンデルの方はあくまでも繊細で柔和な音楽作りに徹しているようで、結果としていささか残念なことになっているのです。

そう言う意味では、全曲をハインツ・ワルベルク指揮のウィーン交響楽団で統一しておいて欲しかったです。ハインツ・ワルベルク等という指揮者は今となってはほとんど忘れ去られているのですが、こういう録音を聞かせてもらうと、若い頃から長きにわたってドイツ各地の歌劇場で叩き上げてきた熟練の技には何とも言えない安心感があります。
こういう何でもないように見えながらも手堅い指揮こそが繊細で柔和なブレンデルのピアノにはもっとも相応しいものだと思います。

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