チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.35
(Vn)エリック・フリードマン:小澤征爾指揮 ロンドン交響楽団 1965年12月8日録音
Tchaikovsky:Violin Concerto in D major Op.35 [1.Allegro moderato - Moderato assai]
Tchaikovsky:Violin Concerto in D major Op.35 [2.Canzonetta. Andante]
Tchaikovsky:Violin Concerto in D major Op.35 [3.Finale. Allegro vivacissimo]
これほどまでに恵まれない環境でこの世に出た作品はそうあるものではありません。

まず生み出されたきっかけは「不幸な結婚」の破綻でした。
これは有名な話のなので詳しくは述べませんが、その精神的なダメージから立ち直るためにスイスにきていたときにこの作品は創作されました。
チャイコフスキーはヴァイオリンという楽器にそれほど詳しくなかったために、作曲の課程ではコテックというヴァイオリン奏者の助言を得ながら進められました。
そしてようやくに完成した作品は、当時の高名なヴァイオリニストだったレオポルド・アウアーに献呈をされるのですが、スコアを見たアウアーは「演奏不能」として突き返してしまいます。
ピアノ協奏曲もそうだったですが、どうもチャイコフスキーの協奏曲は当時の巨匠たちに「演奏不能」だと言ってよく突き返されます。
このアウアーによる仕打ちはチャイコフスキーにはかなりこたえたようで、作品はその後何年もお蔵入りすることになります。そして1881年の12月、親友であるアドルフ・ブロドスキーによってようやくにして初演が行われます。
しかし、ブドロスキーのテクニックにも大きな問題があったためにその初演は大失敗に終わり、チャイコフスキーは再び失意のどん底にたたき落とされます。
やはり、アウアーが演奏不能と評したように、この作品を完璧に演奏するのは当時の演奏家にとってはかなり困難だったようです。
しかし、この作品の素晴らしさを確信していたブロドスキーは初演の失敗にもめげることなく、あちこちの演奏会でこの作品を取り上げていきます。やがて、その努力が実って次第にこの作品の真価が広く認められるようになり、ついにはアウアー自身もこの作品を取り上げるようになっていきました。
めでたし、めでたし、と言うのがこの作品の出生物語と世に出るまでのよく知られたエピソードです。
しかし、やはり演奏する上ではいくつかの問題があったようで、アウアーはこの作品を取り上げるに際して、いくつかの点でスコアに手を加えています。
そして、原典尊重が金科玉条にようにもてはやされる今日のコンサートにおいても、なぜかアウアーによって手直しをされたものが用いられています。
つまり、アウアーが「演奏不能」と評したのも根拠のない話ではなかったようです。
ただ、上記のエピソードばかりが有名になって、アウアーが一人悪者扱いをされているようなので、それはちょっと気の毒かな?と思ったりもします。
ただし、最近はなんと言っても原典尊重の時代ですから、アウアーの版ではなく、オリジナルを使う人もポチポチと現れているようです。
でも、数は少ないです。クレーメルぐらいかな?
<追記:2018年2月>
アウアーのカットと原典版の違いが一番よく分かるのは第3楽章の繰り返しだそうです。(69小節~80小節・259小節~270小節・476小節~487小節の3カ所だそうな・・・)
それ以外にも第1楽章で管弦楽の部分をカットしていたりするのですが、演奏技術上の問題からのカットではないようなので、そのカットは「演奏不能」と評したアウアーを擁護するものではないようです。
ちなみにノーカットの演奏を録音したのはクレーメルが最初のようで、1979年のことでした。
ただし、それを「原典版」と言うのは少し違うようです。
なぜならば、通常の出版譜でもカッとされる部分がカットされているわけではなくて、「カット可能」と記されているだけだからです。
そして、その「カット」は作曲家であるチャイコフスキーも公認していたものなので、どちらを選ぶかは演奏家にゆだねられているというのが「捉え方」としては正しいようなのです。それ故に、79年にクレーメルがノーカット版で録音しても、それに追随するヴァイオリニストはほとんどあらわれなかったのです。
ある人に言わせれば、LP盤の時代にこのノーカット版を聞いた人は「針が跳んだのかと思った」そうです。(^^;
ただし、最近になって、本家本元(?)のチャイコフスキーコンクールではノーカットの演奏を推奨しているそうですから、今後はこのノーカット版による演奏が増えていくのかもしれません。
小沢自身も学ぶことが多かった録音
小澤征爾は1965年8月と12月にピアニストの「レナード・ペナリオ」、ヴァイオリニストの「エリック・フリードマン」の伴奏者としてロンドン響を指揮して録音する機会を得ています。その直前の6月にはシカゴ響を指揮して、同世代のピアニストである「ピーター・ゼルキン」とバルトークのピアノ協奏曲を録音しています。
おそらく、小沢にとってはメジャーレーベルにおいて、世界的レベルのオケを指揮して録音した一番最初の経験でしょう。
ピーター・ゼルキンについてはまた別の機会に詳しく述べたいと思います。
レナード・ペナリオとエリック・フリードマンは今となっては知るも少ないようですが、当時のアメリカにおいてはそれなりのビッグネームでした。
エリック・フリードマンは数少ないハイフェッツの弟子として、一部では「ハイフェッツの後継者」と呼ばれることもありました。
レナード・ペナリオもまたハイフェッツが共演を希望した数少ないピアニストとして高い評価を受けていました。
まずはここで紹介しているのは小沢とフリードマンによるメンデルソーンとチャイコフスキーの協奏曲です。
些か意地悪な見方かもしれませんが、こういう録音を聞くと、レーベルとしては次第に活動の範囲を狭めてきていたハイフェッツの後継者がどうしても必要だったのかな、等と勘ぐってしまいます。
その背景には期待していた若手のヴァイオリニストが次々と駄目になっていくとういう当時の事情があったことは無視できないでしょう。
フェラスは飛び降り自殺、レビンは薬物中毒、そして、リッチは我が道を貫くというスタイルを崩しませんでした。
そこで白羽の矢がったのが「エリック・フリードマン」だったのでしょう。
ニューヨーク・タイムズがフリードマンのことを「巨匠ヴァイオリニスト。誰にでもフリードマンと判る、個性的なスタイルで演奏する名手」と評したのは、結果として褒め殺しになったようです。この録音を聞けば分かるように、今の耳からすれば何処にでもいそうなそれなりに指のまわるヴァイオリニストとしか思えません。そこには、ハイフェッツが持つ「凄み」のようなものは全く感じられません。
それにもかかわらず「ハイフェッツの後継者」とか「巨匠ヴァイオリニスト」などと持ち上げられる事は、彼にとっては迷惑以外の何ものでもなかったはずです。
そして、その事はその後の録音歴を見ればよく分かります。
70年代にはいると殆ど録音はなくなり、1980年には自動車事故で左手と腕を負傷して演奏家としてのキャリアは終わってしまいます。ですから、彼の録音活動は実質的にはほぼ60年代で終了しているのですが、それは彼自身がそう言う「録音」というものを意図的に嫌ったためかもしれません。
ただし、それを小沢の側から見れば、それほど灰汁が強いわけでもなく、それなりに正統派のスタイルで演奏するソリストは有り難かったはずです。そして、いつもは音楽が「軽く」なりがちな小澤なのですが、音楽の主導権があくまでもフリードマンにあるためにその「軽さ」がそれほど表面化しないというプラスの作用も働いています。
メンデルスゾーンもチャイコフスキーも、それに相応しい落ちついたテンポで(それはおそらくフリードマンのテンポだったはずです)、オケの響きもロンドン響の優れた特性を引き出して豊かなものになっています。
小澤という人は、オケの側から見れば指揮技術が安定していて、さらには五月蠅いことも言わないのでやりやすい相手だったのでしょう。とりわけ管楽器のソロパートなどはぞれぞれが結構やる気になって実に美しい響きを生み出しています。
おそらく、こういう録音を通して小沢自身も学ぶことが多かったことでしょう。
なお、小澤は1966年にジョン・ブラウニングとチャイコフスキーのピアノ協奏曲もロンドン響と録音しているのですが、この録音の初出は1968年まで塩漬けされていたようです。そのために、残念ながらパブリックドメインからはスルリとこぼれ落ちてしまいました。しかし、録音からリリースまで2年も塩漬けされていたというあたりに、小澤とジョン・ブラウニングの当時の立ち位置が示されていたのかもしれません。
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