クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

セルゲイ・プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第1番 変ニ長調, Op.10

(P)スヴャトスラフ・リヒテル:カレル・アンチェル指揮 プラハ交響楽団 1954年5月24日録音





Prokofiev:Piano Concerto No.1, Op.10 [1.Allegro brioso-2.Andante assai-3.Allegro scherzando]


楽想と表現の両方の点において私の最初の成熟した作品

「彼はピアノの前に座ると、鍵盤をはらうともつかず、検査するともつかないことをはじめ、高い音や低い音を出した。それに加えて、鋭い、激しい打撃。聴衆はさっぱり分からない。・・・一組の夫婦は席を立って出口へと急ぎ、『こんな音楽では気が狂ってしまう』といった。」という感じで、さらに罵倒の言葉が続いたのが彼のピアノ協奏曲第2番初演時の新聞に載った記事でした。
そして、この罵倒の言葉の標的となった第2番の協奏曲の少し前に書かれたのが第1番の協奏曲でした。ともに、ペテルブルグ音楽院の学生時代の作品です。

そして、激しい罵倒の言葉を浴びた第2番は1913年に初演されたのですが、第1番の協奏曲はその前年に初演されていて、その時は賛否両論に別れ、否定的な意見を持つ人たちからは「狂人の作品」とか「モティーフの寄せ集め」というような批判を浴びました。
つまりは、プロコフィエフは第2番の協奏曲において、その前の協奏曲で批判されたポイントをさらに一層先鋭化させた作品を書くことで、そう言う批判に対して真っ向から立ち向かったのです。

そして、そう言うプロコフィエフへの風向きが変わったのが、1914年に行われたペテルブルグ音楽院の卒業演奏会でこの第1番の協奏曲を自身の手で再演し、そこで多くの人から高く評価されるようになったことです。そして、その成功が作曲家プロコフィエフのキャリアを築き上げていくための第一歩となり、プロコフィエフの出世作と言われるようになるのです。

第2番の協奏曲への圧倒的な批判の中で「10年後、聴衆はこの若い作曲家の天才に相応しい万雷の拍手で、昨日の嘲笑の償いをしたくなるであろう」と彼を擁護した評論家のヴャチェスラフ・カラトゥイギンの言葉は、「10年後」という予想以外は全て正しかったのです。
何故ならば、1914年にこの作品を聞いたロシアバレエ団の主宰者ディアギレフはすぐにプロコフィエフの才能を認めてバレエ音楽の作曲を依頼し、「アラとロリー」が書かれることになったからです。

第2番の詳細については取り上げるときが来ればもう少し紹介したいと思いますが、ここでは第1番の協奏曲についてだけ簡単にふれておきます。
この作品は演奏時間にすれば15分程度の短いもので、さらには最初から最後まで続けて演奏されるので「単一楽章」の作品のように感じられます。しかし、少しばかり注意深く聞けば、この協奏曲はアレグロと短いアンダンテ、そして第1楽章を再現するアレグロという3部構成と言うべきか、3楽章構成と言うべきかは迷いますが、明確に「急ー緩ー急」という協奏曲の典型的なスタイルを持っていることには気づかれることでしょう。

冒頭のアレグロはどこか東洋的な雰囲気から始まるのですが、それはプロコフィエフが13歳の時に書いた習作からとられたものだと言うことです。その後はトッカータ風の軽快な第1主題をピアノが提示すると、後はピアノのとんでもない難技巧が求められる場面が次々と続き、それを支えるオーケストラもそのピアノのリズムを執拗に繰り返していきます。
つまりは、オーケストラはピアノの伴奏にとどまることは許されず、その二つは有機的に混ざり合って一つの音楽を作ることが要求されているのです。

そして続くアンダンテにはいると音楽は幻想的なものに変わり、ここではオーケストラが重要な役割をはたし、ピアノがそれを力強い和音で支えるという場面が多く登場します。
そして、最後のアレグロでは最初のピアノによる第1主題が回想され、いよいよ独奏ピアノの最大の見せ場へと突入していきます。その後もオケとピアノが絶妙に関わりあってラストへと向かい、最後はどこか東洋風の序奏部が回顧されて曲を閉じます。

プロコフィエフはこの作品には強い自信を持っていたようで、「楽想と表現の両方の点において私の最初の成熟した作品」と語っています。
確かに、後のプロコフィエフに特徴的な重厚でメカニカルなピアノの響きはすでに確立されていますし、それと同時に幻想的で叙情的な美しさも兼ね備えています。

もちろん、人によってはこの次の第2番と較べると「とんがり方がまだ甘い」と思うかもしれませんが、叙情的な美しさも兼ね備えたコンパクトな作品だけに、初めてプロコフィエフに接するには良い作品だと言えます。
あまり尖ったものから聞き始めると、私のように「相性の悪さ」を感じてしまって遠ざけてしまう恐れがあります。
ソ連帰国後に書かれた分かりやすいプロコフィエフで肩慣らしをした後は、このあたりからプロコフィエフの本丸に迫るのは悪いやり方ではないと思います。

リヒテル最初期の貴重なスタジオ録音


リヒテルと言えば、50年代は「鉄のカーテン」の向こうにいる「幻のピアニスト」と呼ばれていました。それは、当時のソ連当局が彼の西側諸国への渡航を許せばそのまま亡命してしまうことを恐れたためです。ですから、ソ連国外での演奏活動は東欧圏に限られ、1954年にSupraphonがまとまった録音を行ったのですが、そのレコードが西側諸国で販売されることはなかったようです。しかし、販売はされなくても少なくない好事家はその貴重なレコードを入手し、なんだか鉄のカーテンの向こうにリヒテルという凄いピアニストがいるようだという噂が広がっていったのです。

リヒテルと言えばダイナミックでありながら完璧にコントロールされた技巧の持ち主というのが通り相場です。そして、難しい技巧を要しない作品も数多く取り上げ、それらの作品が持っている豊かな情感を引き出すことも得意にしていました。
また、演奏をしていて興が乗ってくるととんでもない勢いで弾きとばしてしまうことでも有名でした。
ただし、それを後から録音として聞けば不都合に感じる部分も多いのかもしれませんが、ライブとしてその場にいた人にとってはたまらない経験となったことは間違いありません。

おそらく、彼は本質的にライブの人であり、スタジオに閉じこめられての録音には不向きだったピアニストだったのでしょう。
それ故に、リヒテルと言えば「録音嫌い」として有名ですが、そう言う彼の本性に照らし合わせてみれば仕方のないことだったのでしょう。

それだけに、このリヒテル最初期のスタジオ録音には興味をひかれます。
彼にとって国外ての初めてのスタジオ録音だと思われますから、そこで興にのって爆発的な演奏が繰り広げられるなんて事は起こるはずもありません。それどころか、後のリヒテルから思えば極めて端正で整った演奏に徹しています。

それにしても、この録音を行ったときのリヒテルはすでに40歳を目前にしていたのですから、考えようによっては随分と不当な扱いを受けていたものです。それは、彼とほぼ同期とも言うべきギレリスがすでに西側諸国でも活発に演奏活動を行い、ソ連を代表するピアニストとして認識されていたことと較べると、その扱いの違いは明らかです。

しかし、そういうリヒテルの国外での初録音にターリッヒとアンチェルが起用され、オーケストラにもチェコ・フィル等が起用されていたと言うことは、すでにその実力は東欧圏ではすでに認知されていた事を示しています。
Supraphonにとってはベストとも言えるメンバーを起用したのです。
そして、そう言う大物がバックにつくのですから、リヒテルの演奏は先にも述べたようにて端正で整った演奏になったのは仕方のないことかもしれません。しかし、それもまたリヒテルというピアニストの本質の一端でもあります。

バッハは言うまでもないことですが、チャイコフスキーの協奏曲でさえ、その端正さ故にどこか静けさのようなものが感じ取れる演奏になっています。そして、オーケストラ伴奏の方もそう言うリヒテルのピアノに合わせて、一切のあざとさ排した演奏になっています。

そう言えば、リヒテルは父親をソ連当局にによって銃殺されていますし、アンチェルはナチスによって家族を皆殺しにされています。もしかしたら、そんな過去を含めて深いところで共鳴し合うものがあったのかもしれません。
外連味を持って演奏すればそれなりに演奏効果が上がる作品なのですが、アンチェルもリヒテルもそんなものを音楽には求めていなかったと言うことです。

そして、ターリッヒとのバッハにしても、その頃はまだ主流であったロマン主義的なバッハと較べればその響きはかなりクールです。
つまりは音を縦に音を積み上げて濃厚に響かせるのではなくて、対位法の人としてのバッハに迫ろうという意志が感じ取れます。東欧系の音楽ではかなり民族色の強い演奏を行うターリッヒですが、バッハが相手となると随分と雰囲気が異なります。もっとも、それがまたターリッヒという人の多様性を形づくっているもう一つの重要な側面でもあるのですが、それがリヒテルのスタイルと上手くマッチングしています。

しかしながら、この54年のSupraphonでの録音の中でもっとも興味をひかれるのは、プロコフィエフの協奏曲第1番の演奏です。
よく知られているように、リヒテルは1927年にプロコフィエフのピアノ協奏曲第5番に触れて深く感動し、それ以後プロコフィエフの作品への関心を深めていくことになったことは有名な話です。そして、プロフィエフがソ連に復帰するとこの二人の関係は親密なものとなり、リヒテルはプロコフィエフの作品の初演も担うようになっていきます。

そして、初演時には「狂人の作品」とまで酷評されたものの、後には彼の作曲家としてのキャリアを築く第一歩ともなった出世作である第1番の協奏曲を見事に演奏しています。
極めて難易度の高い部分も余裕で弾きこなしているだけでなく、そう言う難しさの中に含まれている幻想的で叙情的な世界も見事なまでに描ききっています。
そして、この協奏曲ではオーケストラは伴奏をするだけでは役割を果たせないのですが、そのあたりもまたアンチェルが見事になバランスをとっています。

とは言え、どれをとってもリヒテル最初期の貴重なスタジオ録音である事は間違いありません。

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