クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

シューマン:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調, WoO 23

(Vn)ゲオルク・クーレンカンプ:ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1937年録音





Schumann:Violin Concerto in D minor, WoO 23 [1.In kraftigem nicht zu schnellem tempo]

Schumann:Violin Concerto in D minor, WoO 23 [2.Langsam]

Schumann:Violin Concerto in D minor, WoO 23 [3.Lebhaft doch nicht schnell]


晩年のシューマンを代表する異形の傑作

この作品はシューマンにとっては最晩年ともいえる1853年に作曲された作品です。すでに精神的に病みはじめていて常人とは言い難い状態が続いたそのあとに少しばかりの小康状態がやってきたのがこの1853年でした。
晩年のシューマンはヴァイオリンという楽器に強く惹かれていたようで、1851年から52年にかけて2曲のヴァイオリンソナタを作曲していますし、53年の春にはヨアヒムがソリストをつとめたベートーベンのヴァイオリン協奏曲に深く感動して「ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲」を書き、さらには新しいヴァイオリン協奏曲にもチャレンジをします。

シューマンが残した日記によるとその協奏曲は53年の9月21日に取り組みはじめ、10月3日にはオーケストレーションを仕上げて完成したことが記されてます。このロマン派のヴァイオリン協奏曲を代表するともいえるこの作品がそれほどの短時日で仕上げられたのには理由があります。それは、デュッセルドルフの管弦楽団で演奏してもらうことを期待していたからで、完成した楽譜は10月7に日はヨアヒムに送付されています。

ところが、それほどの思いを持って作曲に取り組み、楽譜も送付したにもかかわらずヨアヒムは予定されていた演奏会でこの作品を取り上げることはなく、送られた楽譜は握りつぶされて、いずこともなくお蔵入りすることになってしまいました。そして、シューマンは翌年の2月にライン川に身を投げて自死してしまいます。

そのために、ヨアヒムによって握りつぶされた楽譜が再発見されたのは80年以上の時が過ぎた1937年の事でした。発見された楽譜は草稿譜だったので、その後ヨアヒムが残した「写し」とピアノ・スコアなどを参考にしながら改訂を行って同年の6月に楽譜として出版されました。
そして、その事によってヨアヒムがこの協奏曲の演奏を行わなかった理由も理解できるようになってきました。

一言で言えばヴァイオリンのソロ・パートが異常に複雑で演奏困難なものであり、さらにはそのわりには全く演奏効果があがらない作品だったのです。
確かに演奏するには高い技術を必要とする作品は他にもたくさんありますが、その様な困難とは根本的に異なる困難がこの作品にはあるのです。おそらく、パガニーニの作品などはとても演奏困難なのですが、それでもその困難を乗りこえることにはソリストとしての快感が伴うような困難であり、さらにはその先には聴衆の絶大ななるブラボーが期待できるのです。
ところが、このシューマンの困難さは何処か人間の生理に反するような無理を強いられる困難であり、その困難を乗りこえても快感ではなくてどちらかと言えば苦痛を伴う類のものなのです。そして、そこまでの苦痛を乗りこえた結果がさっぱり聴衆には伝わらないとすれば、もう一度「書き直してくれよ!」と言いたくなるのも十分に理解できるのです。

そして、シューマンの作品にはこのヴァイオリン協奏曲だけに限らず交響曲など他の作品においても似たような傾向があるのです。
しかしながら、そう言う「不都合」の塊のような彼の作品を、その「不都合」を承知の上で演奏してみれば、そこにはシューマンだけが生み出すことが出来た幻想的な世界が広がるのです。それでも、「原典尊重」が錦の御旗になった時代にあっても、とりわけ交響曲などは「不都合」な部分は「訂正」して演奏する指揮者の方が多かったのです。

おそらく、この協奏曲のソリストとしての大変さは第1楽章の冒頭部分を聞くだけですぐに理解できるはずです。重音奏法に主題を奏したあとにそれを装飾風に転調していくのは本当に無理を強いられているというのが痛いほどに伝わってきます。ところが、その無理にはパガニーニに代表されるような華やかさは欠片もありません。そのあとも以下同文という感じです。

しかしながら、それこそがシューマンの世界であり、それが漸く多くの人に理解されるようになってきてから、録音も少しずつ増えてきたようです。
とは言え、ソリストにとっては難曲であることは間違いありませんが、あとの時代のものにとってはシューマンが最後の最後にこのようなヴァイオリンのための協奏曲を残してくれたことに感謝したいですし、例え初演を拒否したとしてもその創作の切っ掛けとなったのはヨアヒムなのですから、決して彼のことを悪く言うことは出来ないでしょう。

ちなみにヨアヒムは遺書の中でこの協奏曲のことにふれていて「この協奏曲はシューマンの死後100年経たないと演奏してはいけない」と書いていたという話も伝わっていますし、妻であるクララもこの曲を「決して演奏してはならない」と家族に語っていたと伝えれているそうです。
つまりは晩年のシューマンを代表する異形の傑作と言うことなのでしょう。


シューマンの自筆譜のままでは演奏不可能


1937年に再発見されたこのシューマンのヴァイオリン教曲は当時のナチスにとってはドイツ文化の優位性を誇示するための絶好の「獲物」と見えたようです。
初演は草稿譜が発見された1937年2月にイェリー・ダラーニというヴァイオリニストがロンドンで行っています。しかし、必要な改訂を行った楽譜に基づく初演はナチスにとっては絶対に譲れない案件でした。彼らは、ヒトラーも臨席するナチのプロパガンダ演奏会でこの作品の「世界初演」を行い、その演奏会の様子を全世界に向けて短波放送で流す事を計画します。

そのナチスの計画に割って入り込んできたのがメニューヒンでした。しかしながら、「世界初演」だけはぜったに譲れないナチスは「このコンチェルトに関する諸々の権利はドイツにあったのでこの曲の初演を外国で行うことは許されない」と指令をしてメニューヒンがサンフランシスコで予定していた演奏会を妨害します。

そして、結局は1937年11月26日に、クーレンカンプがカール・ベームが指揮するベルリンフィルとの共演で「世界初演」を行います。
しかし、この世界初演には面白い裏話が伝えられています。

それは、初めて楽譜を見たクーレンカンプは即座に「シューマンの自筆譜のままでは演奏不可能」と判断したのです。
そこで、「世界初演」に向けて演奏可能なように大幅な改訂を行うのです。そして、その改訂作業のパートナーに選んだのがヒンデミットだったのです。

ヒンデミットは「画家マチス」をめぐって「ヒンデミット事件」を引き起こした人物ですから、ナチスから見れば札付きのお尋ね者です。そんなヒンデミットが偉大なるドイツ文化の昇華としてのシューマンの作品を改訂するなど許されるはずもなかったのですが、そう言うことを平気でしてしまうのがクーレンカンプという男だったのです。
もちろん、その両者による改訂作業は秘密裏に行われたことになっているのですが、ナチス・ドイツのような独裁国家でその様なことが秘密裏に行えるはずはありません。おそらく、ほぼ100%、ナチスはその事を知っていたはずなのですが、それでも相手がクーレンカンプでは黙認するしかなかったのです。

そして、その両者による改訂作業によって仕上げられた改訂版は「改作」に近いほどの変更でした。
クーレンカンプはカール・フレッシュにあてた手紙中で「オリジナルのままでは演奏は不可能・・・シューマンはヨアヒムにこの曲を演奏するように何度も頼んでたみたいだけど、オリジナルで演奏されなくてよかった」とまで書いていたようです。
そして、クーレンカンプはイッセルシュテットの指揮でこの書援護にスタジオ録音を行っています。それがここで紹介している演奏なのですが、聞いてみれば分かるようにかなり大胆な改変(^^;が行われていて、とりわけ最終楽章はほぼ「改作」に近いほどの変更です。

なお、ナチスの妨害によって「世界初演」を妨害されたメニューヒンは1937年12月23日にシューマンのオリジナル版で演奏を行っています。ある意味では、これこそが本当の「世界初演」といえるのかもしれません。
そして翌年にはバルビローリ&ニューヨークフィルとスタジオ録音を行っています。

クーレンカンプのナチスに対する姿勢も見事なものですが、若きメニューヒンの根性も見上げたものです。

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