ゲオルク・クリストフ・ヴァーゲンザイル:チェロ協奏曲イ長調
(Cell)エンリコ・マイナルディ:ミュンヘン室内管弦楽団 1957年6月17日~18日録音
Wagenseil :Cello Concerto in A Major [1.Allegro]
Wagenseil :Cello Concerto in A Major [2.Largo]
Wagenseil :Cello Concerto in A Major [3.Allegro moderato]
「ミッシング・リンク」にならざるを得ない宿命
このあたりのバロックから前期古典派の作曲家というのは今まで取り上げる機会がほとんどありませんでした。特に、バッハからハイドン、モーツァルトをつなぐ環となる前期古典派の作曲家に関してはほとんど取り上げることが出来ていませんでした。
「クラシック音楽の概観を把握する上ではかなり網羅的に目配りが出来ているものの、その辺りが少し弱いですね」というメールも少なくない方々からいただいています。
そうなってしまう理由の最たるものは、一言で言えば「そこまで手が回らない」と言うことに尽きます。しかし、幸か不幸かTPP11の発効に伴う著作権法の改訂でパブリック・ドメインとなる音源が向こう20年にわたって増えないという事態になりましたので、どうやらその辺りにも少しずつ手が回るようになってきました。
もっとも、そんな名前も聞いたことがないような作曲家の作品なんて興味がないという人もおられるでしょう。しかしまあ、自分でお金を払って聴くには躊躇いのあるようなものも気楽に聴けるのがこういうサイトの功徳ですので、どんなものかと一度くらいは聴いてやってみてください。
「ゲオルク・クリストフ・ヴァーゲンザイル」などと言う名前を聞いて具体的なイメージを結べる方は殆どいないでしょう。
1715年にウィーンで生まれてウィーンで音楽を学び、そして終生をウィーンの宮廷作曲家として過ごし、1773年にウィーンでその生を終えた音楽家です。つまりは、その生涯はほぼ「カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ」と重なり、存命中はウィーンだけでなく、国際的にも高い名声を獲得していた作曲家でした。
ヴァーゲンザイルは優れた鍵盤楽器の奏者であり、数多くの器楽作品を世に送り出しました。モーツァルトが父親によって与えられた練習帳の中にもヴァーゲンザイルの作品が含まれていました。
さらに、7歳のモーツァルトがマリア・テレジアの宮廷に招かれて演奏を披露したときに、このヴァーゲンザイルが譜めくりを担当したという話も伝わっています。
ですから、このようなチェロのための協奏曲というのは、彼にとっては本線の作品とは言いがたいものでした。また、彼の作品自体が古典派の音楽として一定の完成度を遂げているとは言いがたいものであり、それは何処まで行ってもバロックから古典派への橋渡しという域を出るものではありませんでした。
つまりは、この時代の作曲家というのは、「カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ」ほどの存在であっても、バッハとハイドン・モーツァルトという偉大な存在をつなぐ役割をであるがゆえに「ミッシング・リンク」にならざるを得ない宿命を負うのでしょう。
そして、何処か今ひとつ物足りなさを感じてしまうこのような作品を聞くと、それもまた仕方のないことだったのかなと思ってしまうのです。
手の中に入れることの難しさを感じてしまう演奏
「手の中に入っている」という表現があります。
「熟練している」事をあらわす言い回しなのですが、それは自分の「所有物」になることから転化した表現なのでしょう。
つまりは、そのものを隅から隅まで所有しているのであるならば、それを自由自在に解釈し、活用してみても、そのものの本質を損なうことがありません。
しかし、それが十分に自分の所有物になっていないのであれば、その活用や解釈によってものの本質が損なわれる危惧から自由になることが出来ません。もしも、その危惧に対して無頓着であれば、そこには「恣意」という危険が常に落とし穴のように口を開けています。
それ故にその「落とし穴」に落ちるのが嫌ならば、取りあえずはしっかりと視認できるアウトラインを忠実に辿るしかありません。
音楽におけるそのアウトラインとは、おそらく「楽譜」と言うことになるのでしょう。
取りあえずは、その書かれてある「楽譜」を忠実に「音」に変換しておけば「恣意」という「落とし穴」に落ちることは免れるかのように見えます。しかし、そう言う姿勢から一歩も前にでにないのであれば、その人はその作品を手の中に入れることは永遠に出来ないでしょう。
楽譜に忠実なだけの演奏が聞き手にとってつまらない結果になってしまう背景には、概ねその様な事情があるからでしょう。
何故、その様なことを急に書きだしたのかと言えば、バロック時代のマイナー作品を演奏したマイナルディの録音を聞いて、そこから春風のようなマイナルディらしさがあまり感じられなくて、その理由をあれこれ思案したからでした。
マイナルディは1957年から58年にかけてアルヒーフ(Archiv)レーベルで以下のチェロ協奏曲を録音しています。
- ゲオルク・クリストフ・ヴァーゲンザイル(1715-1777):チェロ協奏曲イ長調 1957年6月17日~18日録音
- ヴィヴァルディ:チェロ協奏曲RV.413 1958年10月27日~28日録音
- タルティーニ:チェロ協奏曲イ長調 1958年10月27日~28日録音
マイナルディほどのチェリストであっても、このようなマイナー作品になると彼の持ち味である「春風駘蕩」たる雰囲気が希薄になることを否定できないのです。
そして、あらためて気づかされたのは、レーベルから録音を依頼された作品のすべてを「手の中に入れる」事はそれほど簡単なことではないという、「当たり前」のことだったのです。
アルヒーフにしてみればカタログを充実させていくためには必要な録音だったのでしょうが、それを依頼されたマイナルディにしてみればどこまで共感を持って取り組めた作品であったかは疑問です。
ヴィヴァルディの録音からは、バッハやベートーベンで感じることが出来た春風のような雰囲気を幾ばくかは感じとることが出来るのですが、ヴァーゲンザイルのような作品になると実に生真面目な演奏で、いわゆる「マイナルディ」らしさはいたって希薄なのです。
そして、その事は、彼にとってバッハやベートーベンの音楽というものがどれほど深い愛着に裏打ちされていたかに気づかされるのです。
そして、その様にしっかりと手の中に入っ演奏をすでに聞いているが故に、十分に手の中に入っていないであろうマイナー作品へのアプローチに不満を感じてしまうのです。
言うまでもないことですが、これだけを単独で聞くならば、あまり聞く機会の少ない作品の姿を聞き手に伝える上では過不足のない立派な仕上がりです。
しかしながら、録音クレジットにマイナルディの名前を見てしまうと、それ以上のものを聞き手は期待してしまうのです。
言葉をかえれば、マイナルディのように手の中に入っているときの個性が際だっている人ほどその不満はより大きくなってしまうのです。
いつも言っていることですが、気楽な聞き手というのはどこまでも我が儘であり贅沢なことを言い立てる存在なのです。ただし、そう言う我が儘な連中がいるからこそ芸の世界は深まるともいえるのです。
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