モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番 ト長調 K.216
(Vn)クリスチャン・フェラス:カール・ミュンヒンガー指揮 シュトゥットガルト室内管弦楽団 1954年録音
Mozart:Violin Concerto No.3 in G major, K.216 [1.Allegro]
Mozart:Violin Concerto No.3 in G major, K.216 [2.Adagio]
Mozart:Violin Concerto No.3 in G major, K.216 [3.Rondeau: Allegro]
断絶と飛躍
モーツァルトにとってヴァイオリンはピアノ以上に親しい楽器だったかもしれません。何といっても、父のレオポルドはすぐれたヴァイオリン奏者であり、「ヴァイオリン教程」という教則本を著したすぐれた教師でもありました。
ヴァイオリンという楽器はモーツァルトにとってはピアノと同じように肉体の延長とも言える存在であったはずです。
そう考えると、ヴァイオリンによるコンチェルトがわずか5曲しか残されていないことはあまりにも少ない数だと言わざるを得ません。さらにその5曲も、1775年に集中して創作されており、生涯のそれぞれの時期にわたって創作されて、様式的にもそれに見あった進歩を遂げていったピアノコンチェルトと比べると、その面においても対称的です。
創作時期を整理しておくと以下のようになります。
第1番 変ロ長調 K207・・・4月14日
第2番 ニ長調 K211・・・6月14日
第3番 ト長調 K216・・・9月12日
第4番 ニ長調 K218・・・10月(日の記述はなし)
第5番 イ長調 K219・・・12月20日
この5つの作品を通して聞いたことがある人なら誰もが感じることでしょうが、2番と3番の間には大きな断絶があります。
1番と2番はどこか習作の域を出ていないかのように感じられるのに、3番になると私たちがモーツァルトの作品に期待するすべての物が内包されていることに気づかされます。
並の作曲家ならば、このような成熟は長い年月をかけてなしとげられるのですが、モーツァルトの場合はわずか3ヶ月です!!
アインシュタインは「第2曲と第3曲の成立のあいだに横たわる3ヶ月の間に何が起こったのだろうか?」と疑問を投げかけて、「モーツァルトの創造に奇跡があるとしたら、このコンチェルトこそそれである」と述べています。そして、「さらに大きな奇跡は、つづく二つのコンチェルトが・・・同じ高みを保持していることである」と続けています。
これら5つの作品には「名人芸」というものはほとんど必要としません。
時には、ディヴェルティメントの中でヴァイオリンが独奏楽器の役割をはたすときの方が「難しい」くらいです。
ですから、この変化はその様な華やかな効果が盛り込まれたというような性質のものではありません。
そうではなくて、上機嫌ではつらつとしたモーツァルトがいかんなく顔を出す第1楽章や、天井からふりそそぐかのような第2楽章のアダージョや、さらには精神の戯れに満ちたロンド楽章などが、私たちがモーツァルトに対して期待するすべてのものを満たしてくれるレベルに達したという意味における飛躍なのです。
アインシュタインの言葉を借りれば、「コンチェルトの終わりがピアニシモで吐息のように消えていくとき、その目指すところが効果ではなくて精神の感激である」ような意味においての飛躍なのです。
さて、ここからは私の独断による私見です。
このような素晴らしいコンチェルトを書き、さらには自らもすぐれたヴァイオリン奏者であったにも関わらず、なぜにモーツァルトはこの後において新しい作品を残さなかったのでしょう。
おそらくその秘密は2番と3番の間に横たわるこの飛躍にあるように思われます。
最初の二曲は明らかに伝統的な枠にとどまった保守的な作品です。言葉をかえれば、ヴァイオリン弾きが自らの演奏用のために書いた作品のように聞こえます。(もっとも、これらの作品が自らの演奏用にかかれたものなのか、誰かからの依頼でかかれたものなのかは不明ですが・・・。)
しかし、3番以降の作品は、明らかに音楽的により高みを目指そうとする「作曲家」による作品のように聞こえます。
父レオポルドはモーツァルトに「作曲家」ではなくて「ヴァイオリン弾き」になることを求めていました。彼はそのことを手紙で何度も息子に諭しています。
「お前がどんなに上手にヴァイオリンが弾けるのか、自分では分かっていない」
しかし、モーツァルトはよく知られているように、貴族の召使いとして一生を終えることを良しとせず、独立した芸術家として生きていくことを目指した人でした。それが、やがては父との間における深刻な葛藤となり、ついにはザルツブルグの領主との間における葛藤へと発展してウィーンへ旅立っていくことになります。
その様な決裂の種子がモーツァルトの胸に芽生えたのが、この75年の夏だったのではないでしょうか?
ですから、モーツァルトにとってこの形式の作品に手を染めると言うことは、彼が決別したレオポルド的な生き方への回帰のように感じられて、それを意図的に避け続けたのではないでしょうか。
注文さえあれば意に染まない楽器編成でも躊躇なく作曲したモーツァルトです。
その彼が、肉体の延長とも言うべきこの楽器による作曲を全くしなかったというのは、何か強い意志でもなければ考えがたいことです。
しかし、このように書いたところで、「では、どうして1775年、19歳の夏にモーツァルトの胸にそのような種子が芽生えたのか?」と問われれば、それに答えるべき何のすべも持っていないのですから、結局は何も語っていないのと同じことだといわれても仕方がありません。
つまり、その様な断絶と飛躍があったという事実を確認するだけです。
清楚さのなかに色っぽさも十分含まれている
こういう、滴るような美音でモーツァルトを描ききったフェラスの演奏を聞かされると、「どうしてなんだ!」という思いがどうしても抑えきれません。
クリスチャン・フェラスと言えば、どうしても60年代にカラヤンと協演した録音でもって記憶されています。ところが、そう言うからヤンと協演した演奏と較べてみれば、これはもう別人の手になる演奏のように聞こえるのです。そして、その様な「変貌」はカラヤンに引きずり回された結果であり、その果てにに自宅アパートの10階から投身自殺せざるを得なかったとも言われます。もちろん、「それは違う」と言ってからヤンを擁護する向きもあって、それはそれで妥当性があるのです。
すでに何度もふれているので繰り返しは避けますが、時代は主観性を重んじるスタイルから客観性を重視するスタイルへと移り変わっていました。そして、フェラスというヴァイオリニストはカペーを師としたことからも分かるように、古い世代に属する音楽家でした。
しかし、カラヤンとの協演盤を聞くと、そう言う古い世代の音楽家から新しい音楽家へと変貌を遂げているのが分かります。そして、その「変貌」はカラヤンが求めたものであると同時に、フェラス自身も「求めた」ものであったのです。
しかし、時代はめぐって、その様な客観性に多くの人が飽き飽きしてきたときにこのような演奏を聞かされると、どうして変わる必要があったのだろうと思わずにはおれないのです。
それが最初に記した「どうしてなんだ!」の真意なのです。
ミュンヒンガーと言う人はバロック音楽御用達の指揮者のように思われるのですが、モーツァルトあたりまでならそれほど問題はなかったようです。
そう言えばこんなエピソードが残っています。
ミュンヒンガーのバロック音楽のレコードの売り上げはいつも上々なので、それを梃子にウィーンフィルとベートーベンを録音させろと要求したことがあるそうです。ミュンヒンガーの要求をむげにも出来なかった「Decca」は、それでは試しにと「序曲集」を録音したのですが、それはそれは酷い出来だったそうで、ウィーンフィルからも「二度とあんな奴を指揮者としてよこすな」と通告されたそうです。
ただし、これは「Decca」側からの言い分なので真偽のほどは確かではありませんし、その「序曲集」は一応はリリースされているのですから話は半分程度に聴いておいた方がいいかもしれません。
ここでのミュンヒンガーは実にゆったりとしたテンポでモーツァルトを描いていて、その上でソリストが自由に振る舞うには最適のステージを作りあげています。そして、フェラスという人はそう言う舞台を設えてもらって「後はご自由にどうぞ」と言われたときにもっとも力が発揮するタイプのようなのです。
ただし、滴るような美音と言ってもその美音は基本的には清楚です。思い入れたっぷりにヴィブラーとをかけまくると言うほど古いタイプではないのですが、それでもその清楚さのなかに色っぽさも十分含まれているところが素敵なのです。
それから、もう一つ記しておかなければいけないの、53年のモノラル録音とは思えないほどに、ふくよかで豊かな音が収められていることです。
この時代のツボにはまった「Decca」録音は凄いのです。
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