クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61

(Vn)レオニード・コーガン:コンスタンティン・シルヴェストリ指揮 パリ音楽院管弦楽団 1959年録音





Beethoven:Violin Concerto in D major, Op.61 [1.Allegro non troppo]

Beethoven:Violin Concerto in D major, Op.61 [2.Larghetto]

Beethoven:Violin Concerto in D major, Op.61 [3.Rondo. Allegro]


忘却の淵からすくい上げられた作品

ベートーベンはこのジャンルの作品をこれ一つしか残しませんでした。しかし、そのたった一つの作品が、中期の傑作の森を代表するする堂々たるコンチェルトであることに感謝したいと思います。

このバイオリン協奏曲は初演当時、かなり冷たい反応と評価を受けています。
「若干の美しさはあるものの時には前後のつながりが全く断ち切られてしまったり、いくつかの平凡な個所を果てしなく繰り返すだけですぐ飽きてしまう。」
「ベートーベンがこのような曲を書き続けるならば、聴衆は音楽会に来て疲れて帰るだけである。」

全く持って糞味噌なけなされかたです。
こう言うのを読むと、「評論家」というものの本質は何百年たっても変わらないものだと感心させられます。

しかし、もう少し詳しく調べてみると、そう言う評価の理由も何となく分かってきます。
この協奏曲の初演は1806年に、ベートーベン自身の指揮、ヴァイオリンはフランツ・クレメントというヴァイオリニストによって行われました。

作品の完成が遅れたために(出来上がったのが初演の前日だったそうな)クレメントはほとんど初見で演奏しなければいけなかったようなのですが、それでも演奏会は大成功をおさめたと伝えられています。
しかし、この「大成功」には「裏」がありました。

実は、この演奏会では、ヴァイオリン協奏曲の第1楽章が終わった後に、クレメントの自作による「ソナタ」が演奏されたのです。
今から見れば無茶苦茶なプログラム構成ですが、その無茶草の背景に問題の本質があります。

そのクレメントの「ソナタ」はヴァイオリンの一本の弦だけを使って「主題」が演奏されるという趣向の作品で、その華麗な名人芸に観客は沸いたのでした。
そして、それと引き替えに、当日の目玉であった協奏曲の方には上で述べたような酷評が投げつけられたのです。

当時の聴衆が求めたものは、この協奏曲のような「ヴァイオリン独奏付きの交響曲」のような音楽ではなくて、クレメントのソナタのような名人芸を堪能することだったのです。彼らの多くは「深い精神性を宿した芸術」ではなくて、文句なしに楽しめる「エンターテイメント」を求めたいたのです。
そして、「協奏曲」というジャンルはまさにその様な楽しみを求めて足を運ぶ場だったのですから、そう言う不満が出ても当然でしたし、いわゆる評論家達もその様な一般の人たちの素直な心情を少しばかり難しい言い回しで代弁したのでしょう。

それはそうでしょう、例えば今ならば誰かのドームコンサートに出かけて、そこでいきなり弦楽四重奏をバックにお経のような歌が延々と流れれば、それがいかに有り難いお経であってもウンザリするはずです。
そして、そういう批評のためか、その後この作品はほとんど忘却されてしまい、演奏会で演奏されることもほとんどありませんでした。
この曲は初演以来、40年ほどの間に数回しか演奏されなかったと言われています。

その様な忘却の淵からこの作品をすくい上げたのが、当時13才であった天才ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムでした。
1844年のイギリスへの演奏旅行でこの作品を取り上げて大成功をおさめ、それがきっかけとなって多くの人にも認められるようになったわけです。



  1. 第一楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ
    冒頭にティンパニが静かにリズムを刻むのですが、これがこの楽章の形を決めるのは「構築の鬼ベートーベン」としては当然のことでしょう。ただし、当時の聴衆は協奏曲というジャンルにその様なものを求めていなかったことが不幸の始まりでした。

  2. 第二楽章 ラルゲット
    この自由な変奏曲形式による美しい音楽は当時の聴衆にも受け入れられたと思われます。

  3. 第三楽章 ロンド アレグロ
    力強いリズムに乗って独奏ヴァイオリンと管弦楽が会話を繰り返すのですが、当時の聴衆は「平凡な個所を果てしなく繰り返す」と感じたのかもしれません。



アウアー門下には多様性を許容し、大切にする「血」が流れていたのかも知れません


コーガンは直接学んだわけではないのですが、「師弟関係」という血統ではハイフェッツと同様にアウアー門下と言うことになります。
そう言う意味では、とびきりのテクニックでもって作品が持つ本質をギリギリのところまで掘り下げて表現しつくすという共通点は、その様な共通の血統から来ているのかと考えてしまいます。

しかしながら、同じ門下からエルマンやミルシテインが出ている事を思い出せば、ことはそれほど簡単ではないことにも気づきます。
確かに、アウアーという人はヴァイオリン演奏に必要な基本的なスキルに関しては非常に厳格だったそうです。それはアウアーからハイフェッツに引き継がれた「音階練習」を思い出せば、その要求がいかほどに高いものであったか容易に知れようというものです。

しかし、ある作品に向き合ったときに生ずるテクニック上の問題については、アウアーは何の解決策も示さなかったと伝えられています。
ただし、そう言うスタンスは最初からそうだったのではなくて、始めの頃は随分と親切にアドバイスを与え、そしてそのアドバイスに基づいた演奏が出来るように厳格な要求を出していたようです。
しかしながら、その様なやり方ではある程度のレベルまで引き上げることは出来ても、それなりに名をなすようなヴァイオリニストは一人も生み出せなかったようです。

そこで、ある時、アウアーは指導方法を180度転換します。
あるパッセージをどのように演奏すればよいのかという困難に弟子が出会ったときには、その解決法を与えるのではなくて、そのパッセージを含んだ作品そのものがどのようにして成立し、さらにはどのような構造を持っているのかを考えさせたのです。
そして、その様に音楽そのものへの理解を深めさせ、その理解に基づいてそのパッセージをどのように演奏すべきかを考えさせたのです。

考えてみれば、聴衆は音楽を聞きに来るのであって、何もコンクールの審査員のように演奏技術の採点をしに来るわけではないのです。どれほど見事にあるパッセージを弾きこなしたとしても、それが音楽の中で息づいていなければただの軽業です。
ですから、そう言う困難に出会ったときには音楽そのものに立ち返り、その上に立って解決法を自分で見つけ出せなければ到底一人前のヴァイオリニストになどはなれるはずはないというスタンスを取るようになったのです。

そう考えてみれば、ハイフェッツもコーガンも、そしてエルマンやミルシテインも、その名前を聞くだけである一つのイメージが浮かぶほどの(あまり好きな言葉ではないのですが)個性があります。
いや、「個性」などと言う曖昧な言葉ではなくて、強いアイデンティティを持っていると言った方がいいのかも知れません。

そして、ハイフェッツとコーガンというのは非常に似通ったアイデンティティを持っていながら、コーガンには音楽というのは自分一人でやるものではないという思いが強かったのかも知れません。
それと比べれば、ハイフェッツはどこまで行っても自分のアイデンティティを貫き通しましたし、時には他の演奏家をもそこへ引きずり込む強さがありました。
しかし、その引きずり込むという行為によって、確かに他では聞けないような強烈な表現主義的な音楽になってしまうことがあって、その強烈さが時には聞き手に強い違和感を与えることもありました。

それと比べれば、コーガンは他者と共鳴します。
そして、その他者がバルシャイのような音楽家だと、恐ろしい方に共鳴してしまうこともあるのですが、他者が常識的な音楽家だと、それはそれなりに折り合うポイントを見つけてしまうのです。
音楽というのは決して自分一人でするものではないというのもまた、コーガンという音楽家のアイデンティティ形づくっていたのでしょう。

そして、アウアー門下という「血統」にはその様な多様性を許容するというか、大切にする「血」が流れていたと言うことなのかも知れません。

ですから、バルシャイとのコンビでモーツァルトのコンチェルトをあんなにも恐い音楽にすることもあれば、シルヴェストリとのコンビで実に豊かな響きで叙情的な音楽に仕上げることも出来るのです。
そして、シルヴェストリもまた世間で言われるような爆裂するだけの指揮者ではなかったのです。

こういうタイプの音楽家は、何か特徴的な演奏を一つ聞いただけで全てが分かったような気になると、それはとんでもない過ちを犯してしまうことになるのです。

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