クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

アルビノーニ:ヴァイオリンと通奏低音のための12の協奏曲 作品5より第1番&第3番

ルドルフ・バルシャイ指揮 モスクワ室内管弦楽団 1958年6月29日録音





Albinoni:12 Concerti a cinque, Op.5 [Concerto No.1 in B flat major]

Albinoni:12 Concerti a cinque, Op.5 [Concerto No.3 in D major]


モンティヴェルディ以降の系譜を受け継いだ偉大な音楽家としてのアルビノーニを正当に評価する必要がある

アルビノーニと言えば「アダージョ」がやたらに有名なのですが、今では全く別人の作品であることが確定しています。

アルビノーニの作品目録を作成したイタリアの音楽学者レモ・ジャゾット(Remo Giazotto)は、新しく発見されたアルビノーニの自筆譜の断片をもとに編曲したとしてあの「アダージョ」を発表したのですが、それは真っ赤な嘘だったのです。
彼は「アルビノーニのアダージョ」を「編曲」した人として有名になるのですが、その編曲のもととなった自筆譜の断片の公表を迫られて嘘がばれてしまいました。

ですから、あの音楽は20世紀に入ってからレモ・ジャゾットによって書かれたものであり、バロック音楽とは全く無縁の音楽だったのです。ですから、あのアダージョだけでアルビノーニのことを判断してしまうと大きな誤りを犯すことになるのです。

アルビノーニは「海の都」とよばれたヴェネチアの裕福な商人の子供として生まれ、育ちました。
幼い頃から音楽的な才能に恵まれていたので、彼はヴァイオリニストとして、さらには作曲家として名を挙げることを願っていたのですが、その事によってお金を稼ぐ必要は全くありませんでした。

当時のヴェネチアではオペラが全盛を極めていたので、アルビノーニもまた50曲前後のオペラ作品を創作し大きな成功をおさめるようになります。
それでも、彼は音楽によって「稼ぐ」必要はありませんでした。
アルビノーニは職業音楽家を凌ぐ業績を残しながら、死ぬまでアマチュア音楽家としてのポジションを貫いたのです。

考えてみれば、これほど贅沢で恵まれた人生はそうあるものではありません。

そして、もう一つ指摘しておかなければいけないのは、海の都と呼ばれたヴェネチアには世界中から多くの優れた音楽家が集まったことです。
そして、とりわけモンティヴェルディの到来によってオペラの文化が花開くことで、ヴェネチアは音楽世界の中心となりました。

アルビノーニやヴィヴァルディというのは、そう言うモンティヴェルディからつながる直系の音楽家であり、その中でも双璧とも言うべき存在だったのです。

残念なのは、先にも少しふれたように、彼らもまた数多くのオペラを書いているのですが、それらの大部分は失われてしまっていることです。
ですから、アルビノーニやヴィヴァルディと言えば器楽音楽の作曲家だと思われてしまっているのですが、決して彼らはその様な狭いジャンルだけの音楽家ではなかったのです。

とは言え、アルビノーニの作品の中で出版譜として残されているのはトリオ・ソナタや協奏曲などの室内楽作品だけです。先にもふれたように、50曲を超えるオペラの大部分は紛失していて、数曲のアリアだけが残されているだけです。
ただし、その残された出版譜の中でも、12曲をワンセットとして出版された幾つかの協奏曲集は注目に値します。

何故ならば、音楽史の中ではヴィヴァルディによって確立されたと言われる(そして、私もヴィヴァルディの項でその様に書いていたのですが)「急ー緩ー急」という協奏曲のスタイルが、既にアルビノーニの作品の中でも確立しているからです。

1707年に作曲されたと考えられている作品5の12の協奏曲では、その内の9曲が「急ー緩ー急」のスタイルを取っています。

そして、それより10年後に書かれた作品7の12の協奏曲では、2つのアレグロ楽章しか持たない第1番以外は全て「急ー緩ー急」のスタイルを採用しています。
ただし、その例外と思われる第1番にしても、二つのアレグロ楽章の間に連続する和音が記されています。
これは、おそらくはバッハのブランデンブルグ協奏曲の第3番と同じで、その和音の部分で即興的に演奏することが期待されていたのは明らかで、その即興演奏は「Adagio」もしくは「Largo」で演奏されたものと考えられます。そう考えれば、作品7の協奏曲集において、アルビノー美は既に「急ー緩ー急」のスタイルを確立していた言えるのです。

ですから、協奏曲という形式において「急ー緩ー急」というスタイルを確立したのはヴィヴァルディだけの功績ではなくて、アルビノーニの方が一歩先んじて重要な仕事をしていたことになるのです。実際、あの大バッハはヴィヴァルディだけでなくアルビノーニの業績にも大きな尊敬の念を持って学んでいるのです。

イ・ムジチによる「四季」の馬鹿売れでイタリア・バロックと言えばヴィヴァルディと同義語のようになってしまったのです。しかし、モンティヴェルディ以降の系譜を受け継いだもう一人の偉大な音楽家としてのアルビノーニの事も正当に評価する必要はあるでしょう。
いつまでも、アダージョだけのアルビノーニという捉え方では、音楽史における重要なリンクを見落としてしまうことになります。

なお、ここで紹介している作品5の第1番の協奏曲は「Allegro-Adagio-Allegro」というスッキリとしたスタイルですが、第3番の協奏曲は「Allegro-Adagio-Presto-Adagio-Allegro」という少しばかり変則的なスタイルになっています。

スチール写真を思わせるような高解像度な合奏は音楽を静止させるような錯覚に聞き手を導く


当たり前の話ですが、音楽というのは「時間芸術」です。ですから、その本質は「運動」にあります。
ところが、このバルシャイとモスクワ室内管弦楽団によるバロック音楽の演奏を聞いていると、それはまるで静止画を見ているような錯覚に陥ります。

もちろんそれは錯覚であり、音楽は間違いなく運動しています。
しかし、感覚的にはどこか「静止」しているような感覚がつきまとい、そしてその様な感覚はモーツァルトの音楽を聞いていたときにも感じていたことに気づかされるのです。
そして、その様な感覚がモーツァルトの時にはどこか軽い違和感を覚えさせていたのですが、こういうアルビノーニやヴィヴァルディみたいな音楽だと、それほど悪い気はしないのです。

どうしてその様な違いが私の中で起こるのだろうと考えたときに思い至るのは、モーツァルトが自分のピアノ作品を演奏するときに「油のように滑らかに」弾くことを要求していた事です。
モーツァルトの音楽というのは、その様な滑らか運動体として再現されないとその本質が大きく損なわれる音楽なのかもしれません。

ところが、バルシャイのモーツァルトは一瞬一瞬をまるで高解像度のスチール写真のような鮮明さで切り取っているので、そこでは「運動」よりは「一瞬の鮮明さ」に耳が引きつけられるのです。
ですから、そのような演奏スタイルはどこかでモーツァルトの本質的な部分と相容れない部分があるのかもしれません。

しかし、アルビノーニやヴィヴァルディの音楽というのは、そう言うモーツァルトのような音楽とは本質的に異なる部分を持っています。
彼らの音楽における「音」というものは、モーツァルトのように縦に積み重なって微妙なハーモニーを生み出す必要性は希薄ですし、多彩なデュナーミクを演出する構成要素になる必要もありません。

いってみれば、「音」は「それ自身の美しさ」だけで自立することが可能な音楽なのです。

モーツァルトの音楽は「音」がその様なエモーショナルな存在であるがゆえに、音楽を聞くために訓練されていない「耳」に対しても親切な音楽です。
聞く気のない耳が聞き流していても、その音楽はどこか遠くで美しく響いています。そして、言うまでもないことですが、聞く気のある耳に対しては十分な喜びを与えます。

それと比べてみれば、アルビノーニやヴィヴァルディの音楽は部分的には美しい旋律にあふれているので聞きやすいように思えるのですが、その内実は随分と無愛想であり、エモーショナルなものからは随分と距離を置いた「静かで乾いた音楽」です。
それ故に、長く聞き続けているとその無愛想さに飽きてしまうことも否定できないのですが、彼らの音楽の需要層が貴族や裕福な市民などを中心とした「訓練された耳」だったから、それはそれでよかったのでしょう。

その事は逆から見れば、例えばイ・ムジチのように、愛想よくヴィヴァルディを演奏することが相応しいのかという問いにも突き当たります。

そう考えれば、ミュンヒンガーが低体温の響きで演奏したり、シェルヘンがこの上もない無愛想さで四季を演奏したのは一つの見識でした。
そして、バルシャイはスチール写真のレベルで彼らの音楽の一瞬一瞬を切り取ってみせて、一切の愛想の良い運動から切り離してみせたのも一つの見識だったのでしょう。

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