クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 作品15

(P)ゲイリー・グラフマン シャルル・ミンシュ指揮 ボストン交響楽団 1958年4月9日録音



Brahms:Piano Concerto No.1 in D minor Op.15 [1.Maestoso]

Brahms:Piano Concerto No.1 in D minor Op.15 [2.Adagio]

Brahms:Piano Concerto No.1 in D minor Op.15 [3.Rondo. Allegro non troppo ]


交響曲になりそこねた音楽?

木星は太陽になりそこねた惑星だと言われます。その言い方をまねるならば、この協奏曲は交響曲になりそこねた音楽だといえます。

諸説がありますが、この作品はピアノソナタとして着想されたと言われています。それが2台のピアノのための作品に変容し、やがてはその枠にも収まりきらずに、ブラームスはこれを素材として交響曲に仕立て上げようとします。しかし、その試みは挫折をし、結局はピアノ協奏曲という形式におさまったというのです。
実際、第1楽章などではピアノがオケと絡み合うような部分が少ないので、ピアノ伴奏付きの管弦楽曲という雰囲気です。これは、協奏曲と言えば巨匠の名人芸を見せるものと相場が決まっていただけに、当時の人にとっては違和感があったようです。そして、形式的には古典的なたたずまいを持っていたので、新しい音楽を求める進歩的な人々からもそっぽを向かれました。

言ってみれば、流行からも見放され、新しい物好きからも相手にされずで、初演に続くライプティッヒでの演奏会では至って評判が悪かったようです。
より正確に言えば、最悪と言って良い状態だったそうです。
伝えられる話によると演奏終了後に拍手をおくった聴衆はわずか3人だったそうで、その拍手も周囲の制止でかき消されたと言うことですから、ブルックナーの3番以上の悲惨な演奏会だったようです。おまけに、その演奏会のピアニストはブラームス自身だったのですからそのショックたるや大変なものだったようです。
打ちひしがれたブラームスはその後故郷のハンブルクに引きこもってしまったのですからそのショックの大きさがうかがえます。

しかし、初演に続くハンブルクでの演奏会ではそれなりの好評を博し、その後は演奏会を重ねるにつれて評価を高めていくことになりました。因縁のライプティッヒでも14年後に絶賛の拍手で迎えられることになったときのブラームスの胸中はいかばかりだったでしょう。

確かに、大規模なオーケストラを使った作品を書くのはこれが初めてだったので荒っぽい面が残っているのは否定できません。1番の交響曲と比較をすれば、その違いは一目瞭然です。
しかし、そう言う若さゆえの勢いみたいなものが感じ取れるのはブラームスの中ではこの作品ぐらいだけです。私はそう言う荒削りの勢いみたいなものは結構好きなので、ブラームスの作品の中ではかなり「お気に入り」の部類に入る作品です。


破綻しなかった人


藤圭子の育ての親である作詞家の「石坂まさを」が書いた「きずな」という本があります。何気に図書館で手に取って読み始めてみて、意外と面白かったので最後まで読んでしまいました。
ベースは石坂の自伝記という形をとっているのですが、そこに濃密に藤圭子との関係が語られているので、結果として藤圭子の物語にもなっています。

石坂と藤圭子との出会いから始まって、プロダクションという力を背景に持たない新人を売り出す事の大変さなど語られているのですが、それ以上に興味深かったのが「売れて」からの「あれこれ」でした。
とりわけ、日本コロンビアの有名なディレクターだった馬淵なる人物が石坂に語った言葉は考えさせられました。

「なぁ、お前。水前寺清子がなぜあんなに長く歌ってられるか知ってるか。」
私は答えにつまっていると、馬淵は続けた。
「それはな、レコードが30万枚を超えると、出荷をストップしてそれ以上売らないからだよ。水前寺にかぎらず息の長い歌い手は、みんなそうしてるぜ。」


このくだりを読んで、頭に浮かんだのがクライバーンであり、バイロン・ジャニスであり、ルジェーロ・リッチ、クリスチャン・フェラス等々でした。
そして、藤圭子も絶頂期はわずか2年で、その後は鳴かず飛ばずで伝説だけを残して消えてしまいました。

しかし、そこで私は考え込んでしまうのです。
実質的には実働2年だった藤圭子の残した世界にはある種の「絶対性」がありました。それは、五木寛之が指摘したように、日本という国に初めて登場した「怨歌」の世界であり、その「怨」を真のリアリティをもって表現できたのは彼女だけでした。
しかし、それは彼女の精神を破綻させ、そして、自分の娘を「天才」と確信させ、そしてかつての自分を石坂が売り出した時のようにわが娘を売り込み、「宇多田ヒカル」というもう一人の歌い手を生み出しました。

なぜ、こんなことを書いてきたのかというと、グラフマンという人もホロヴィッツの数少ない弟子のひとりということで、彼らのように若くしてキャリアを絶たれる危険視を内包した存在だったからです。
しかし、藤圭子の娘である宇多田が賢くも「休養」という形で潰れることを防いだように、グラフマンも微妙なバランスの中で演奏家、教育者として長いキャリアを全うしました。

それは、馬淵が語るところの「レコードが30万枚を超えると、出荷をストップ」する賢い歌い手たちと共通する生き方っだのかもしれません。
そして、それはそれでいいのだろうと思います。

譜面をしっかりと読み込んで、そこに託された作曲家の思いを正確に表現するグラフマンの腕に何の問題もありません。グラフマンはその音楽を早めのテンポでさっそうと表現しきっているのですから何の文句もありません。
そして、そういうグラフマンをサポートするミンシュとボストン響も万全といえるでしょう。

どこに文句があるんだ!と言われれば、いいえ、いいえ、何の問題もございませんと答えざるを得ないでしょう。

しかし、残酷な聞き手は「伝説」を求めるのです。
そして、グラフマンにしても宇多田にしても、そして「レコードが30万枚を超えると、出荷をストップした」賢明な歌い手たちも伝説にはなることはないのでしょう。そして、宇多田が「嵐の女神 あなたには敵わない」と歌ったのは何の衒いも演出もない本音だったことでしょう。

しかしながら、私も年を取りました。
それが分かりつつ、砕け散ることのできない自分を表現者として全うさせることも、それはそれで偉大なことではないかと思うようにもなってきました。
砕け散るのも美ならば、静かに尾を伸ばして消えていくのも美なのでしょう。

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