ベートーベン:ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 作品37
(P)ゲイリー・グラフマン ワルター・ヘンドル指揮 シカゴ交響楽団 1959年5月5日録音
Beethoven:Piano Concerto No.3 in C minor, Op.37 [1.Allegro con brio]
Beethoven:Piano Concerto No.3 in C minor, Op.37 [2.Largo]
Beethoven:Piano Concerto No.3 in C minor, Op.37 [3.Rondo. Allegro - Presto]
悲愴でもあり情熱的でもあるコンチェルト
この作品の初演はベートーベン自身の手によって1803年に行われましたが、その時のピアノ譜面はほとんど空白だったと言われています。ベートーベン自身にしか分からない記号のようなものがところどころに書き込まれているだけで、かなりの部分を即興で弾きこなしたというエピソードが伝わっています。
偉大な作曲家にはこのような人を驚かすようなエピソードが多くて、その少ない部分が後世の人の作り話であることが多いのですが、この第3番のピアノ協奏曲に関するエピソードはどうやら事実だったようです。
この作品は残された資料から判断すると1797年頃から手を着けられて、1800年にはほぼ完成を見ていたようです。ところが、気に入らない部分があったのか何度も手直しがされて、とうとう初演の時に至っても完成を見なかったためにその様なことになってしまったらしいのです。
結局は、翌年に彼の弟子に当たるリースなる人物がウィーンでピアニストとしてデビューすることになり、そのデビューコンサートのプログラムにこの協奏曲を選んだために、他人にも分かるように譜面を完成させなければいけなくなってようやくにして仕上がることになりました。
ヒラーは手紙の中で「ピアノのパート譜は完全に仕上がっていなかったので、ベートーベンが自分のためにはっきりと分かるように書いてくれた」とうれしそうに記していたそうです。
そんなこんなで、随分な回り道をして仕上がったコンチェルトですが、完成してみると、これは実にもう堂々たるベートーベンならではのダイナミックでかつパセティックな音楽となっています。過去の2作に比べれば、オーケストラははるかに雄弁であり、ピアノもスケールが大きく、そして微妙なニュアンスにも富んだものとなっています。
ただし、作品全体の構成は伝統的なスタイルを維持していますから1番や2番の流れを引き継いだものとなっています。ところが内容的には4番や5番に近いものをもっています。そう言う意味において、この3番のコンチェルトは過渡期の作品であり、ベートーベンが最もベートーベンらしい作品を書いた中期の「傑作の森」の入り口にたたずむ作品だと言えるかもしれません。
楷書体の演奏
グラフマンという人は今も存命であり、特に教育者として大きな尊敬を受けているのですが、指の故障で演奏家としての第一線から身を引いて40年近い時間が経過してしまうと、さすがに「過去の人」になってしまいます。
そう言う「過去の人」がいかにシカゴ響といえども、指揮者があの「ワルター・ヘンドル」というのではまったく忘却の彼方にある録音となってしまうのも仕方のないことです。
ワルター・ヘンドルという人は、ハイフェッツ専属みたいな指揮者でした。
言うまでもないことですが、ヴァイオリンという楽器は、オケの側の配慮がなければ潰されてしまいます。そして、その事はハイフェッツであっても同様なのです。音量という面では圧倒的な差がありますし、音色という面でも基本的には同質なのですからそれは仕方のないことです。
オケの指揮者はやる気になれば、独奏ヴァイオリンのここぞという聞かせどころをオケの響きでマスキングしてしまうことなどはいとも容易いのです。
ですから、ヴァオリニストは名の通ったマエストロよりは、自分の言い分を聞いてくれる伴奏指揮者を好むのが一般的なのです。
ただし、売り出し中の若手なら自分の名前では人を呼べないので指揮者の名前を借りることも必要なのでしょうが、自分で客を呼べるようになれば伴奏指揮者の方が相応しいのです。
ヘンドルがハイフェッツのお気に入り指揮者と言われるのは、あからさまに言えばその様な文脈に於いて「お気に入り」だったのです。
しかし、独奏楽器がピアノならば事情は随分と異なります。現在のコンサート・グラウンドならば、音量面でもオケと対等に渡り合うことが可能ですし、音色もオケの響きとはまったく異質です。
ですから、指揮者との意思疎通、もしくは方向性の不一致があっても、それはそれで勝負できてしまい、そしてその不一致が時には「協奏」ならぬ「競奏」となって思わぬ好結果をもたらすこともあるのです。
セル&カーゾンのブラームスのコンチェルトなどはその好例でしょう。
しかし、ここでは指揮者はワルター・ヘンドルなのです。
今回、あらためて調べてみて驚いたのですが、彼は1917年生まれで1918年生まれのバーンスタインなどとは同世代なのです。
この常に控えめな指揮ぶりをみていたので、何の根拠もなく「おじいさん指揮者」だと思っていたのですが、彼がライナーの推薦でシカゴ響の准指揮者に就任(1958年~1963年)したのは未だ40代の若手だったのです。そう思えば、この我を殺した合わせ上手な指揮ぶりには驚かされます。
そう言えば、バーンスタインという人は常に俺が俺がと前に出てくる人のように思われていますが、ソリストと方向性が会わないといざこざを下げてスッと引いてしまうところがあります。
グールドとの共演での有名なスピーチにしても、基本的には引いているのです。
もちろん、「我」が強くなければ指揮者やソリストが出来るはずもないのですが、その「我の強さ」というのはそれ以前のマエストロたちとは本質的に異なる部分が彼らの世代にはあったと言うことなのかもしれません。そして、バーンスタイン以降の、例えばアバドなどの世代になるともっと腰が低くなるような気がします。
と言うことで、ここでもヘンドルは「合わせ」に徹しています。ですから、グラフマンの明晰で粒だった綺麗なピアノの響きがオケに邪魔されることはありません。録音も悪くはありませんし、音楽の形も極めてモダンでスタイリッシュです。
「凄み」というものや、オケとピアノがやり合うというスリリングさもありませんが、ベートーベンのコンチェルトというのはこういう音楽です、と言うことを教えてくれる演奏ではあります。
長年クラシック音楽などというものを聞いてくると、とかく変わった演奏を持ち上げたくなったりするのですが、それもまたこういう楷書体の演奏があってこその話です。
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