チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35
Vn.リッチ サージェント指揮 ロンドン交響楽団 1961年1月録音
Tchaikovsky:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35 「第1楽章」
Tchaikovsky:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35 「第2楽章」
Tchaikovsky:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35 「第3楽章」
演奏不能!初演の大失敗!
これほどまでに恵まれない環境でこの世に出た作品はそうあるものではありません。
まず生み出されたきっかけは「不幸な結婚」の破綻でした。これは有名な話のなので詳しくは述べませんが、その精神的なダメージから立ち直るためにスイスにきていたときにこの作品は創作されました。
ヴァイオリンという楽器にそれほど詳しくなかったために、作曲の課程ではコテックというヴァイオリン奏者の助言を得ながら進められました。
そしてようやくに完成した作品は、当時の高名なヴァイオリニストだったレオポルド・アウアーに献呈をされるのですが、スコアを見たアウアーは「演奏不能」として突き返してしまいます。ピアノ協奏曲もそうだったですが、どうもチャイコフスキーの協奏曲は当時の巨匠たちに「演奏不能」だと言ってよく突き返されます。
このアウアーによる仕打ちはチャイコフスキーにはかなりこたえたようで、作品はその後何年もお蔵入りすることになります。そして1881年の12月、親友であるアドルフ・ブロドスキーによってようやくにして初演が行われます。
しかし、ブドロスキーのテクニックにも大きな問題があったためにその初演は大失敗に終わり、チャイコフスキーは再び失意のどん底にたたき落とされます。
やはり、アウアーが演奏不能と評したように、この作品を完璧に演奏するのはかなり困難であったようです。
しかし、この作品の素晴らしさを確信していたブロドスキーは初演の失敗にもめげることなく、あちこちの演奏会でこの作品を取り上げていきます。やがて、その努力が実って次第にこの作品の真価が広く認められるようになり、ついにはアウアー自身もこの作品を取り上げるようになっていきました。
めでたし、めでたし、と言うのがこの作品の出生と世に出るまでのよく知られたエピソードです。
しかし、やはり演奏する上ではいくつかの問題があったようで、アウアーはこの作品を取り上げるに際して、いくつかの点でスコアに手を加えています。
そして、原典尊重が金科玉条にようにもてはやされる今日のコンサートにおいても、なぜかアウアーによって手直しをされたものが用いられています。
つまり、アウアーが「演奏不能」と評したのも根拠のない話ではなかったようです。ただ、上記のエピソードばかりが有名になって、アウアーが一人悪者扱いをされているようなので、それはちょっと気の毒かな?と思ったりもします。
ただし、最近はなんと言っても原典尊重の時代ですから、アウアーの版ではなく、オリジナルを使う人もポチポチと現れているようです。でも、数は少ないです。クレーメルぐらいかな?
やっぱり難しいんでしょうね。
リッチの不幸
ルジョーロ・リッチのステレオ録音初期の演奏をいくつかまとめて聴いてみました。その頃のリッチの録音に関してはサラサーテとかサン=サーンスの小品はアップしてあるので、今回はコンチェルトの大物をまとめて聴いてみた次第です。
- ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 作品26 ガンバ指揮 ロンドン交響楽団 1957年1月録音
- シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47 フィエルスタート指揮 ロンドン交響楽団 1958年2月録音
- ドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲 イ短調 作品53 サージェント指揮 ロンドン交響楽団 1961年1月録音
- チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35 サージェント指揮 ロンドン交響楽団 1961年1月録音
リッチと言えば神童としてもてはやされ(1928年にわずか10歳でデビュー)、その後は難曲として有名なパガニーニの「24のカプリース(奇想曲)」を初録音して、パガニーニのスペシャリストとして名を馳せました。そして、驚くべき事に今も存命中と言うことなのですから、まさに生ける「音楽史」とも言うべき存在です。
何しろ、世界大恐慌の前年に演奏家としてのデビューを果たし、その後世界大戦と朝鮮・ベトナムの両戦争のみならず、湾岸戦争からリーマン・ショックまで経験をしたというのですから、凄いものです。ウィキペディアによると、その間に「65カ国において6000回以上の演奏会と、さまざまなレーベルから500点以上の録音を制作してきた」らしいです。
しかし、リッチの不幸は、そんな彼の少し前をハイフェッツという巨人が歩いていたことでしょう。
ハイフェッツは「7歳でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏し、デビューを果たした」というリッチ以上に早熟の天才であり、わずか16歳の年(1917年)にアメリカデビューを果たし、さらにはロシア革命に伴って1925年にはアメリカの市民権を得て活動の本拠地とします。
リッチは、まさにそんなハイフェッツの背中を見ながら音楽活動を展開しなければならなかったのです。
確かにリッチは、パガニーニのスペシャリストとして評価されました。
しかし、例えば、同時代に録音されたブルッフの第1番の協奏曲などを聞き比べてみれば、残念ながらリッチにはハイフェッツの凄味はありません。リッチが得意としたサラサーテやサン=サーンスの小品でも、その他大勢のヴァイオリニストと比べれば素晴らしい技巧の冴えを感じさせてくれますが、悲しいことに、その土俵こそはハイフェッツの独擅場でした。
そこで、おそらく、この頃からリッチは己の方向性を変え始めたのではないかと思います。
ハイフェッツのような技巧の冴えを前面に押し出し、強い緊張感をもって作品を構築していくのではなくて、独特の歌い回しで深い情感を描き出していく方向への転換です。そして、その事は成功していると思います。
ハイフェッツのヴァイオリンでこういう協奏曲の大曲を聴くと、立派ではあるけれども、そしてその作品構築の見事さにも驚かされるのですが、どこか心の一番深いところにまで届いてこないもどかしさみたいなものを感じてしまいます。ですから、そんなハイフェッツの録音を聞いた後にリッチのヴァイオリンで聴き直すと、そう言う人肌に触れる情感が非常に好ましく心に届いてきます。
しかしながら、この時から50年が経過してみると、リッチは多くの人の記憶から消え去っていき、ハイフェッツは未だに巨人としての姿を誇示しています。
何故か?
それは、今回まとめて聴いてみて、はっきりと分かりました。
確かにリッチの演奏は好ましく思えます。確かなテクニックに裏打ちされた上で深くて豊かな情感にあふれたヴァイオリンの響きは非常に魅力的です。しかし、私たちは、その後の50年において、これに変わる多くのヴァイオリニストと出会うことができました。
しかし、ハイフェッツは未だに孤高の存在です。
音楽教育が高度に発展し、幼少期からのエリート教育が充実して演奏家のテクニックは飛躍的に向上しました、しかし、それでもなお、ハイフェッツは特別な存在です。月並みな言葉ですが、ハイフェッツの前にハイフェッツ無く、ハイフェッツの後にもハイフェッツは無いのです。
それ故に、パールマンが語ったように、この時代のヴァイオリニストはハイフェッツ病に罹ったのです。
ですから、ここで聴くことのできるリッチの録音は、そう言うハイフェッツの重圧を克服していったもう一人の不幸な天才の苦闘が垣間見られるような気がするのです。そして、この時代に、彼なりのやり方でハイフェッツをやり過ごしたことで、「生ける音楽史」と言えるほどの長い活動ができたのではないかと思います。
そう言う意味では、いろいろと興味深い演奏であり、録音です。
よせられたコメント
2012-07-24:nuboman
- 骨太では無いが、スケール大きくとても高い緊張感を持った演奏。かなりの名演奏だと思う。
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(P)ギオマール・ノヴァエス:1956年発行(Guiomar Novaes:Published in 1956)