オッフェンバック:喜歌劇「天国と地獄」序曲
カラヤン指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1953〜55年録音
Offenbach:喜歌劇「天国と地獄」序曲
オペレッタ形式の生みの親
オッフェンバックはフランスの作曲家のように思われていますが生まれはドイツのケルンです。(1819年)その後、チェロの勉強をするためにフランスに渡り(1833年)、そのままフランスで指揮活動や作曲活動を行うようになりました。
1850年にはテアトル・フランセの指揮者になり、さらには1855年に自らブフ・パリジャンという小さな劇場を立ちあげます。その劇場はあまりにも手狭だったためその年の暮れにはテアトル・コントに小屋を移し、そこを拠点として自作のオペレッタなどを上演して絶大な人気を博すようになります。
1861年には、小屋の経営からは撤退して、自作オペレッタの指揮者としての活動に専念するようになり、世界各地を演奏旅行して回るようになります。とりわけ、1876年に実施したアメリカ旅行は大成功を納めています。
オッフェンバックがその生涯に作曲したオペレッタは102曲に及ぶと言われています。とりわけ、「地獄のオルフェ(天国と地獄)」(1858年)、「うるわしのエレーヌ」(1864年)、「青ひげ」(1866年)、「パリの生活」(1866年)などは現在でもたびたび上演されています。また、「オペレッタ」という形式もオッフェンバックが確立したものであり、その後のヨハン・シュトラウスやスッペなどにに大きな影響を与えたことは言うまでもありません。
しかし、晩年はフランスでの一時の人気を失い、オッフェンバックにとっては唯一となるオペラ作品「ホフマン物語」で復活を期しますが、未完のまま1880年にこの世を去ります。このオペラはオッフェンバックがその持てる力の全てを注いだ作品だけに、その後多くの手が加えられて上演されるようになっています。
若きカラヤンの姿が明瞭に刻印された録音
カラヤンはこのような小品をまとめたものをこの後も何度か録音していますが、その一番最初のトライがこのフィルハーモニア管弦楽団とのコンビでの仕事です。この後は彼の手兵とも言うべきベルリンフィルを使っているのですが、明らかにこの両者では音楽の方向性が異なります。
ベルリンフィルとの録音では何よりも弦楽器セクションを中心としたそのゴージャスな響きに魅了されます。そして、そう言うこれ見よがしの響きで音楽を構成していくやり方に、ユング君も含めて少なくない人々が反発を覚えたわけでもあります。
しかし、このフィルハーモニアとの録音ではその様な感覚的な楽しさは稀薄です。
イギリスのオケというのは一般的にニュートラルな性格を持っていて、時々の指揮者にあわせるという性格が強いのが特徴です。ウォルター・レッグによって設立されたばかりのフィルハーモニアはセッションを組んで録音をするということが本務でしたから、とりわけそうのような性格が強かったように見えます。彼らは、ゴージャスな響きで聞き手を魅了するというような「劇場的なるものへの誘惑」を裁ち切り、何よりも指揮者の指示に出来る限り正確に反応していく事を大切にしていたように見えます。
ですから、このカラヤンとフィルハーモニアの録音では、後年ようなゴージャスさではなくて見通しの良いシャープな音楽な仕上がっています。そして、それは同時に、この後世界のトップへと上り詰めていく若きカラヤンの姿がこの上もなく明瞭に刻印された録音だとも言えます。
よせられたコメント
2010-03-03:久保瑞夫
- 今から40数年前に私の父が、初めて我々に買ってくれたレコードでした。
まだ、小学生低学年と幼稚園に通う兄弟は、この演奏を聴きながら食事をしたり。
両親が外出の時には、二人で何度も繰り返し聞いたことを思い出します。
聴き過ぎたレコードは、いつからか音飛びをするようになり、転勤族の我が家の何度目かの引越しの際に廃却されてしまいました。
大変懐かしい演奏です。
カラヤンの偉大さは、このような曲まで録音をしたことだと思います。
最近の指揮者は、大きな交響曲をレコーディングし、あまりこのような小品を残そうとしません。
私が、このようにクラシック音楽を好きになったのは、このような小品を沢山聴いたからかもしれません。
歳を経るごとにカラヤンから離れて、晩年のカラヤンの録音は面白くないなどいっぱしの評論家ぶった感想を友人と交わすようになった今、久しぶりに聞いたこの演奏に感謝です。
この後も父は、我々兄弟のために沢山の小品集を買ってくれました。
ストコフスキーにオーマンディーなど。
今も聞きたい懐かしい曲のことを思い出します。
多分それらは、今も実家の倉庫に保管されているはずです。
今度、実家に戻った際にそれらをひっくり返してみようと思います。
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