クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~

チャイコフスキー:弦楽セレナード ハ長調 Op.48

ケンペン指揮 コンセール・ラムルー管弦楽団 1955年1〜2月録音





Tchaikovsky:弦楽セレナード 「第1楽章」

Tchaikovsky:弦楽セレナード 「第2楽章」

Tchaikovsky:弦楽セレナード 「第3楽章」

Tchaikovsky:弦楽セレナード 「第4楽章」


スランプ期の作品・・・?

チャイコフスキーは第4番の交響曲を発表してから次に第5番を生み出すまでに10年の歳月を要しています。そして、この10年の間に弦楽セレナードなどに代表される多楽章からなる管弦楽曲のすべてが作曲されています。
チャイコフスキーの多楽章からなる管弦楽曲と言えば以下の通りです。

まずは、弦楽セレナード、そして4つの組曲、さらにはマンフレッド交響曲の6曲です。マンフレッド交響曲は、その標題性からしても名前は交響曲でも本質的には多楽章構成の管弦楽組曲と見た方が自然でしょう。
まず第4交響曲は1877年に完成されています。
・組曲第1番 :1879年
・弦楽セレナード:1880年
・組曲第2番 :1883年
・組曲第3番 :1884年
・マンフレッド交響曲:1885年
・組曲第4番 :1887年

そして、1888年に第5交響曲が生み出されます。
この10年の間に単楽章の「イタリア奇想曲」や幻想的序曲「ロミオとジュリエット」なども創作されていますから、まさに「非交響曲」の時代だったといえます。
何故そんなことになったのかはいろいろと言われています。まずは、不幸な結婚による精神的なダメージ説。さらには、第4番の交響曲や歌劇「エウゲニ・オネーギン」(1878年)、さらにはヴァイオリン協奏曲(1878年)などの中期の傑作を生み出してしまって空っぽになったというスランプ説などです。
おそらくは、己のもてるものをすべて出し切ってしまって、次のステップにうつるためにはそれだけの充電期間が必要だったのでしょう。打ち出の小槌ではないのですから、振れば次々に右肩上がりで傑作が生み出されるわけではないのです。
ところが、その充電期間をのんびりと過ごすことができないのがチャイコフスキーという人なのです。

オペラと交響曲はチャイコフスキーの二本柱ですが、オペラの方は台本があるのでまだ仕事はやりやすかったようで、このスランプ期においても「オルレアンの少女」や「マゼッパ」など4つの作品を完成させています。
しかし、交響曲となると台本のようなよりどころがないために簡単には取り組めなかったようです。しかし、頭は使わなければ錆びつきますから、次のステップにそなえてのトレーニングとして標題音楽としての管弦楽には取り組んでいました。それでも、このトレーニングは結構厳しかったようで、第2組曲に取り組んでいるときに弟のモデストへこんな手紙を送っています。
「霊感が湧いてこない。毎日のように何か書いてみてはいるのだが、その後から失望しているといった有様。創作の泉が涸れたのではないかと、その心配の方が深刻だ。」
1880年に弦楽セレナードを完成させたときは、パトロンであるメック夫人に「内面的衝動によって作曲され、真の芸術的価値を失わないものと感じている」と自負できたことを思えば、このスランプは深刻なものだったようです。
確かに、この4曲からなる組曲はそれほど面白いものではありません。例えば、第3番組曲などは当初は交響曲に仕立て上げようと試みたもののあえなく挫折し、結果として交響曲でもなければ組曲もと決めかねるような不思議な作品になってしまっています。
しかし、と言うべきか、それ故に、と言うべきか、チャイコフスキーという作曲家の全体像を知る上では興味深い作品群であることは事実です。

<弦楽セレナード ハ長調 Op.48>
チャイコフスキーはいわゆるロシア民族楽派から「西洋かぶれ」という批判を受け続けるのですが、その様な西洋的側面が最も色濃く出ているのがこの作品です。チャイコフスキーの数ある作品の中でこのセレナードほど古典的均衡による形式的な美しさにあふれたものはありません。ですから、バルビローリに代表されるような、弦楽器をトロトロに歌わせるのは嫌いではないのですが、ちょっと違うかな?という気もします。
チャイコフスキー自身もこの作品のことをモーツァルトへの尊敬の念から生み出されたものであり、手本としたモーツァルトに近づけていれば幸いであると述べています。ですから、この作品を貫いているのはモーツァルトの作品に共通するある種の単純さと分かりやすさです。決して、情緒にもたれた重たい演奏になってはいけません。

第1楽章 「ソナチネ形式の小品」
第2楽章 「ワルツ」
第3楽章 「エレジー」
第4楽章 「フィナーレ」

チャイコフスキー指揮者ととしての面目躍如の演奏


ケンペンは、20世紀前半におけるオランダの音楽界を代表した3人の一人といえます。
他の二人は言うまでもないことですが、メンゲルベルグとベイヌムです。ただし、メンゲルベルグとベイヌムはあくまでもオランダを活動の拠点にしていたのに対して、ケンペンはドイツを活動の本拠にしていました。その事が、ケンペンの芸風に大きな影響を与えたように思えます。
メンゲルベルグの濃厚なロマンティシズムとも、ベイヌムの近代的な見通しのよい演奏とも異なる、重厚で剛直な演奏が持ち味の人でした。

ケンペンは1893年にライデン近郊の町で生まれ、早くからヴァイオリンに親しんでいました。その才能は早熟で、17才で早くもコンセルトヘボウの一員としてむかえられています。しかし、その後どのような事情があったのかはよく分かりませんが、20代の前半で活動の拠点をドイツのオケに移します。各地の地方オケでコンサートマスターを歴任したあとに、1932年にはオーバーハウゼンで指揮者としてのデビューを飾り、ついには34年にドレスデンフィルの指揮者にむかえられます。その後は、ベルリンのオペラにも招かれ、42年にはカラヤンの後任としてアーヘンの指揮者に招かれます。
しかし、ナチス政権下におけるこのようなキャリアアップは戦後の戦犯容疑者のリストに名前が連なることとなり、メンゲルベルグやフルトヴェングラーと同じく指揮活動が制限されることになってしまいます。その制限が解除されるのは49年であり、さらにドイツでの活動が再開されるのは53年からになります。
ですから、ここでの録音はようやくにして制限は解除されたものの活動の範囲がオランダに限定されていた時代のものです。

ケンペンと言えば一般的にはベートーベンやブルックナーなどのいわゆるドイツ正統派の作品演奏に定評のある人でした。重厚であるとともに剛直さを失わないその演奏は、月並みな言い方で申し訳ないのですが、ドイツ人以上にドイツ的なゲルマン的ガッツにあふれたものでした。ですから、そのような作品を演奏するにはピッタリの資質だったといえます。
しかし、それと同時にチャイコフスキーの演奏においても高い評価を受けていました。それは、想像すれば分かるとおりに、ロマンティックな感情を前面に出したようなメンゲルベルグなどとは全く異なる、ガッチリとした構造の背後から次第次第に熱いものがこみ上げてくると言う性質のものです。その中でも、この51年に録音された第5番や第6番「悲愴」はケンペンのチャイコ振りとしての美質が最もよくあらわれたものです。
是非とも一度お聞きあれ!!

よせられたコメント

2011-07-25:greengrass


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