コダーイ:マロシュセーク舞曲
フェレンツ・フリッチャイ指揮 RIAS交響楽団 1953年9月14日録音
Kodaly:Dances of Marosszek
民族の舞曲を古典的な枠組みの中で再構成した音楽
コダーイは「マロシュセーク舞曲」と「ガランタ舞曲」という2曲の交響的舞曲を残しています。
前者の「マロシュセーク舞曲」はピアノ作品として創作され、その後管弦楽曲に編曲されました。ピアノ版は1927年、管弦楽版は1930年に完成し、その管弦楽版はドホナーニ指揮によるブダペスト・フィルで初演されました。
この作品に「マロシュセーク」の名前が与えられたのは、古い民族舞曲がたくさん残っていたトランシルヴァニア地方の一地区である「マロシュセーク」に由来します。全体としては3つのエピソードとコーダから成り立ったロンドであり、作品全体として厳密な構成をもった音楽ではありません。
少しばかり張り詰めたリズムをもった第1のエピソード、豊かな装飾性にあふれた第2のエピソード(これは即興的な民族的リコーダーの旋律を移植したと言われています)、そして3つめのエピソードではダンスの勢いが増していくようであり、最後のコーダではまさに猛進していくような舞曲で華々しく音楽は閉じられます。
それと比べると、「ガランタ舞曲」の方はもう少し厳密な構成をもちます。
大まかに見れば二つのエピソードからなるロンドとみることが出来るのでしょうが、その構成はかなり自由であり、マロシュセーク舞曲のように幾つかのエピソードがつなぎ合わされたような雰囲気とはかなり異なります。
特にコーダの最後は今までの逡巡を立ちきるような力強さで音楽は跳躍し、無調のままで音楽は閉じられます。
おそらくそれは、この作品がブダペスト・フィルの創立80周年を記念する作品として作曲されたことが影響しているのでしょう。
「マロシュセーク舞曲」から3年後の1933年に作曲され、初演は同じくドホナーニ指揮によるブダペストフィルによって1933年に行われました。
ガランタはコダーイが幼少期を過ごした地方であり、その地方の音楽は彼の幼い頃の記憶を呼び覚ますものだったようです。
この舞曲の素材は1800年代にウィーンで出版された「ガランタ・ジプシー舞曲集」からとられていて、コダーイはその素材をもとにして「ヴェルプンコシュ音楽」として仕立て直しました。
「ヴェルプンコシュ音楽」とは「ハーリ・ヤーノシュ」組曲の「間奏曲」でも採用された音楽形式なのですが、18世紀のハンガリーで新兵募集のために使われた兵士のための舞曲でした。
そのためか、この音楽には誇り高い雰囲気だけでなく、どこかもの悲しげな雰囲気をもっています。
剣と拍車をつけた完全武装の制服で踊られた舞曲であり、基本的にはラッスーと呼ばれる緩やかな部分と、フリッシュという快速な舞曲で出来ていました。
コダーイはきわめてシンプルなジプシーの舞曲を素材とし、それに「ヴェルプンコシュ音楽」という華やかさと哀愁の入りまじった衣をつけたのです。
そして、それを緊密な構成と見事なオーケストレーションによって祝典に相応しい華やかな音楽に仕立て上げたのはコダーイならではの腕前でした。
舞曲という枠をはるかに超えた、堂々たる管弦楽曲
1961年にフリッチャイが録音した「ハーリ・ヤーノシュ」組曲には驚かされました。いや、そんな生易しい言葉ではその衝撃は表現できません。「度肝を抜かれた」と言った方がいいのかもしれません。
そして、その驚きというか衝撃というか、そう言う感情は、彼が1954年に録音したもう一つの「ハーリ・ヤーノシュ」組曲を聞くことで、さらに増幅されてしまいました。
この二つの録音の間にはわずか7年の時しか隔たっていません。
しかし、その音楽は、とうてい同一人物の手になる演奏とは信じられないほどの違いがあります。そして、その信じがたいほどの違いが1958年に発症した白血病と関連があることはフリッチャイを知る人には容易に想像できることです。フリッチャイの最後のコンサートは1961年12月のロンドン・フィルハーモニー管弦楽団への客演でした。ですから、同年の11月に録音されたこの「ハーリ・ヤーノシュ」組曲は彼の最後のスタジオ録音だった可能性があります。
フリッチャイが白血病との闘病によってその芸風が大きく変化したことはよく知られていることですが、これほどにその変化の大きさを思い知らされる録音はありません。
1954年に録音された「ハーリ・ヤーノシュ」組曲は、基本的には客観性を崩すことなく、さらには若さゆえの覇気に満ちた演奏です。それは、同時期に録音された2つの舞曲(「ガランタ舞曲」とマロシュセーク舞曲)においても同様です。特に、舞曲に関しては、舞曲という枠をはるかに超えた、堂々たる管弦楽曲として演奏されています。
そして、見落としてはいけないのは、それがいわゆる「即物主義」という簡単な括りを許さない薫りを失っていないことです。
たとえば、こういうコダーイの作品と言えば真っ先に思い浮かぶのはセルやドラティです。セルもドラティもともにコダーイとは同郷の指揮者なのですが、彼らはハンガリーを離れてアメリカに根を張った指揮者です。もちろん、その根っこの奥にはヨーロッパの伝統に結びつくものがあるのですが、それでも花を咲かせたのはアメリカの土の上でした。
それ故に、彼らは作品の客観性を突き詰めて、実に立派な管弦楽作品として聞き手に提示しましたが、その音楽はどこか国籍不明のコスモポリタンなものになっていました。もちろん、それはそれで聴き応えはあるので、何の文句はありません。
しかし、フリッチャイは1954年にヒューストン交響楽団の常任指揮者に就任したことはあるのですが、わずか数ヶ月で楽団側と対立して辞任してしまいます。つまり、彼はヨーロッパという大地から離れては音楽がやれなかった人なのです。
ですから、彼がコダーイの音楽を演奏するときには、時代の潮流を意識しながらも、それでもその音楽が生み出された土の薫りが自然と匂い立ってくるのです。例えば、「ハーリ・ヤーノシュ」組曲の前奏曲などにはどこか不思議な「悲しみ」のようなものを嗅ぎ取ることは不可能ではありません。
しかし、それが1961年の「ハーリ・ヤーノシュ」組曲になると、そこには時代の流れに合わせた即物的な客観性などと言うものはどこを探しても見つけることは出来ません。そして、逆に1954年にの録音からはかすかに感じ取れた主観性が全開となって聞き手に覆い被さってきます。
そして、この録音を聞きながら、私の脳裏にだぶってきたのが彼の盟友でもあったバルトークの弦楽四重奏曲の第6番でした。
あの、音楽はヨーロッパを去りいくバルトークが万感の思いを込めて書き上げた作品であり、その4つの楽章には全て「Mesto」という言葉が記されていました。それはまさに「悲しみ」につつまれた音楽であり、その最終楽章には速度記号の表示もなくただ「Mesto」とだけ記されています。
そして、このフリッチャイの演奏もまた最初から最後まで「Mesto」によって覆い尽くされていて、そのためにいかなるデフォルメも躊躇うことなくさらけ出しています。そして、それはナポレオンとの戦いや戴冠式においてもその悲しみは薄らぐことはありません。
それ故に、第3曲の「Song」はただの望郷の歌ではなく、まさにこの世への別れを告げる慟哭の歌のようにすら聞こえます。
それにしても、ここにこのような凄い録音があったとは全く知りませんでした。この録音の事を示唆していただいた方には心から感謝いたします。
と言うことで、2組の「ハーリ・ヤーノシュ」組曲の録音は紹介していたのですが、二つの舞曲、「マロシュセーク舞曲」と「ガランタ舞曲」の方は紹介するのをすっかり忘れてしまっていました。
これは、1954年に録音した「ハーリ・ヤーノシュ」組曲へのアプローチをそのまま適用した演奏です。
根っこの部分にマジャールの血を潜ませながらも、全体としては客観性を大切にした堂々たる管弦楽曲として仕立てています。そして、これもまたフリッチャイという複雑な指揮者を理解する上では必要不可欠な録音だと言えるでしょう。
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