バラキレフ:東洋的幻想曲「イスラメイ」(編曲:シャルク)
ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1954年12月録音
Balakirev:Islamay-Oriental Fantasy(Orch. Schalk)
バラキレフにしてみれば「記録的」な早さで完成した作品
バラキレフという人は不思議な経歴を持った人で、ロシア5人組を理論的にひっぱていくだけの知識があったに関わらず、パトロン的存在だったロシア大公妃「エレナ・パヴロヴナ」といざこざを引き起して音楽の世界から身を引き、鉄道会社に就職してしまったりします。
結局は、その10年後には再び音楽の世界に戻って聞くるのですが、そういう回り道の多い経歴にとんでもなく筆が遅いという特徴も重なって、残した音楽の数はそれほど多くはありません。
そんな多くない作品の中で、断トツで有名なのが「東洋風幻想曲」と題された「イスラメイ」です。
「イスラメイ」とはもともとはコーカサス地方に伝わる民族舞踏の音楽で、1862年にバラキレフが同地方を訪れたときに出会ったと思われます。
バラキレフはその音楽が非常に気に入ったようで、1867年には交響詩「タマーラ」に取りかかり、1869年にこのピアノ曲「東洋的幻想曲 イスラメイ」を作曲します。
旅行から創作までの時間が随分と空いているのですが、このあたりがバレキレフらしいと言えばバラキレフらしいのでしょう。しかし、交響詩の方は書いたり消したりの繰り返しで漸くにして仕上がったのが1882年(!)だったのに対して、「イスラメイ」の方は僅か一ヶ月で完成をみています。バラキレフにしてみれば「記録的」な早さだったのです。
そして、その様な記録的な早さで完成した作品が結局は「代表作」になってしまうのです。自己批判力が高いと言うことは大切なことですが、それも度を超せば角を矯めて牛を殺すことになるのでしょう。
「イスラメイ」はリストにも匹敵すると言われたほどのピアノの名手だったバラキレフの「良さ」が見事に発揮されています。さらに、ロシアの民族音楽を積極的に取り入れようとした五人組からみても、それは彼らの主張を見事に「形」にして見せた音楽でもありました。
もちろんケチをつけようと思えばいくらでもケチはつけられます。
中味の何もない、指先のアクロバットを披露するだけの音楽だと言われれば、それはまったくその通りかもしれません。
しかし、この指先のアクロバットはラヴェルにも影響を与え、これよりも難しいピアノ音楽を書いてやろうという野心を与えました。そして、ほぼ完成形に近づいていたコンサート・グランドの性能を極限まで使い切った音楽を書いたのはラヴェルだったことは誰も否定しません。そう言うラヴェルの業績のきっかけとなったことは一つの事実です。
また、この音楽の根底にコーカサス地方の民族音楽があるおかげで、指先のアクロバットにだけで終わらない幻想性を持っていることも事実です。
多くの人に愛される音楽には、それなりの理由があるのです。
なお、この作品は管弦楽版に編曲もされているのですが、それらは全てバラキレフ自身ではなくて(そんな事をすればいつ完成するのか分からない^^;)、他の人の手によって行われています。もっとも有名なのは門弟セルゲイ・リャプノフによるものですが、それ以外にもイタリアの作曲家アルフレード・カゼッラやブルックナーの弟子であったフランツ・シャルクの手になるものなどがあるようです。
尊ぶべきものが何なのかを考えてみる
マタチッチは日本ではN響との結びつきもあって「ブルックナー指揮者」として高く評価されているのですが、ヨーロッパではほとんど無視されていたために、録音の数はそれほど多くはありません。
しかし、調べてみると、50年代を中心にEMIなどでそれなりの録音は行っています。
ただし、それらの録音はほとんど顧みられることはなく、アナログからデジタルへの移行期においてもCD化されることはなかったようです。そして、それらの録音が少しずつ陽の目を見るようになったのは、それらがパブリック・ドメインになったおかげです。
そしてパブリック・ドメインとなった録音を聞いてみて、まず最初に気づいたのは日本では「偉大なブルックナー指揮者」と思われているのに、50年代のマタチッチが引き受けていた役割は「ロシア音楽」の指揮者だったと言うことです。
これはどう考えても扱いが低いです。
どのレーベルにしてもカタログの本線はベートーベンなどの独襖系の音楽であって、それ故に、そう言う作品にこそ人気と実力のある指揮者を投入します。EMIであれば、それはカラヤンであり、クレンペラーだったわけです。
それにたいして、チャイコフスキーやリムスキー=コルサオフ、グラズノフやバラキレフというロシア系の作品をあてがわれるマタチッチという指揮者の比重はそれほど大きくはないのです。
そして、そう言うライン上でも次第にお呼びがかからなくなった背景には、指示のはっきりしない彼の曖昧な指揮テクニックがあったのでしょう。
50年代後半のフィルハーモニア管と言えば、この時代のオーケストラとしては疑いもなくトップクラスの機能を誇ってたにもかかわらず、彼の指揮の下では何処かモッサリとした印象が拭いきれないものも少なくないのです。
やがて、時代はマタチッチを置き去りにしていき、何処のオーケストラからもお呼びがかからなくなっていきます。
真偽のほどはさだかではありませんが、全く指揮をする場が与えられないために、「ただでもいいから振らせてくれ」と頭を下げて頼みまわっていたという話も伝えられています。そして、これもまた真偽のほどは定かではありませんが、N響の事務局はそんなマタチッチの「ただでもいいから振らせてくれ」という願い(?)にこたえて、伝説となった84年の来日時には犯罪的とも言えるほどの低いギャラで招いたという噂も流布しています。
しかし、中島みゆきではないですが時代はめぐります。
私たちは、管弦楽法の大家たるリムスキー=コルサコフの絢爛豪華な響きを、この上もない精緻さで描き出した演奏と録音をすでに数多く持つようになりました。そして、それは「シェエラザード」だけに限った話ではないのですが、そう言う精緻な演奏を聞き続けている時にこのような田舎びた音楽に出会うと、そこに不思議なほどの好ましさを覚えてしまうのです。
そこには、同時代の指揮者であるショルティやマゼールのような棒による精緻きわまる音楽とは別世界であり、世の多くの人はそう言う音楽を求めたのです。
しかしながら、今という時代にこのような野太く豪快な佇まいでロシア音楽を聞かされると、それは思わぬ拾いものをしたような気にさせられます。そして、時代の大きな流れのなかで、その流れとは異質なものと出会うことは、それを受容するにしろ拒否するにしろ、人の心を大きく動かします。
とはいえ、グラズノフのバレエ音楽「ライモンダ」から何曲かを選び出して組曲にしながら「Grand pas espagnol」を入れていないなどと言うのは不思議な選曲です。
しかし、チャイコフスキーの「主題と変奏」などは滅多に聞けない作品だけに、こういう厚みのある表現で聞かされると惚れ惚れとさせられます。こういう表現の仕方というのは、結局はマタチッチという男の中にある音楽が大きくて分厚いものであることを起因していて、それが晩年のブルックナー演奏に於いて大きく花開いたと言うことなのでしょう。
ですから、こういう「辺境系の音楽」を演奏していた時代と晩年の「偉大なブルックナー指揮者」の時代はその根っこに於いて繋がっていたのです。
もちろん、それはただの年寄りの「懐古趣味」で終わるだけののかも知れません。
しかし、この世の中には「懐古」という言葉以外に「尚古」という言葉もあります。「懐古」と「尚古」は似ていながら全く違う概念です。
「懐古」とは「昔のことをなつかしく思うこと」にとどまりますが、「尚古」とはなつかしむだけでなく、「昔の文物や制度にあこがれ、これらを尊ぶこと」を意味します。
今という時代にあって、こういう演奏を懐かしむだけでなく、尊ぶべきものが何なのかを考えてみることは意味なきことではないのかも知れません。
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