コダーイ:「ハーリ・ヤーノシュ」組曲 作品35a
フェレンツ・フリッチャイ指揮 RIAS交響楽団 1954年9月22日~24日録音
Kodaly:Hary Janos suite, Op.35a [1.Prelude]
Kodaly:Hary Janos suite, Op.35a [2.Viennese Musical Clock]
Kodaly:Hary Janos suite, Op.35a [3.Song]
Kodaly:Hary Janos suite, Op.35a [4.The Battle and Defeat of Napoleon]
Kodaly:Hary Janos suite, Op.35a [5.Intermezzo]
Kodaly:Hary Janos suite, Op.35a [6.Entrance of the Emperor and His Court]
ハンガリー農民のイマジネーションと真実
1926年に喜歌劇「ハーリ・ヤーノシュ」が成功をおさめると、バルトークのすすめもあって、そのオペラから6つのエピソードを選び出して管弦楽用の組曲を作曲することになりました。そして、結果としてこの組曲がコダーイの代表作となりました。
この組曲は以下の6つの場面から成り立っています。各曲にはコダーイ自身によって説明が付与されています。
前奏曲、おとぎ話は始まる (Elojatek, Kezd0dik a tortenet)
「意味深長なくしゃみの音で”お伽噺は始まる”ことになります。」
ウィーンの音楽時計 (A becsi harangjatek)
「場面はウィーンの王宮。ハンガリーからやって来た純朴な青年ハーリは、有名なウィーンの”オルゴール時計”を見て、すっかり驚き、夢中になってしまいます。時計が鳴り出すと、機械仕掛けの小さな兵隊の人形が現れます。
華やかな衣装を身に纏ったからくり人形が、時計の周りをぐるぐる行進し始めるのです。」
歌 (Dal)
「ハーリとその恋人(エルジュ)は、彼らの故郷の村のことや、愛の歌に満たされた静かな村の夕暮れのことを懐かしみます。」
戦争とナポレオンの敗北 (A csata es Napoleon veresege)
「司令官となったハーリは、軽騎兵を率いてフランス軍に立ち向かうことになりました。ところが、ひとたび彼が刀を振り下ろすと、さあどうでしょう。フランス軍の兵士たちは、まるでおもちゃの兵隊のように、あれよあれよとなぎ倒されていくではありませんか!
一振りで2人、ふた振りで4人、そして更に8人10人・・・と、フランス軍の兵隊たちは面白いように倒れてゆきます。
そして最後に、ナポレオンがただ一人残され、いよいよハーリとの一騎討ちと相成りました。
とはいっても、本物のナポレオンの姿など見たことのないハーリのこと、『ナポレオンという奴はとてつもない大男で、それはそれは恐ろしい顔をしておった・・・。』などと、想像力たくましく村人たちに話します。
しかし、この熊のように猛々しいナポレオンが、ハーリを一目見ただけで、わなわなと震えだし、跪いて命乞いをしたというのです。
フランスの勝利の行進曲”ラ・マルセイエーズ”がここでは皮肉にも、痛々しい悲しみの音楽に変えられています。」
間奏曲 (Intermezzo)
「この曲は間奏曲ですので、特に説明はありません。」
皇帝と廷臣たちの入場 (A csaszari udvar bevonulasa)
「勝利を収め、ハーリはいよいよウィーンの王宮に凱旋します。ハーリは、その凱旋の行進の様子を、想像力たくましく思い描きます。しかし所詮は、空想に基く絵空事。
ここで描かれているのも、ハンガリーの農民の頭で想像した限りでの、それは豊かで、それは幸福な、ウィーンのブルク王宮の様子に過ぎません。」
この6つの場面は二つの世界から成り立っていることに気づかされます。
まず一つは、ハーリ・ヤーノシュという人物が生み出したイマジネーションの世界です。
第2曲の「ウィーンの音楽時計」はハーリがウィーンの王宮を訪れたときの話と言うことになっています。ハーリはその王宮でオーストリア皇帝フランツの娘から求婚されたが断ったと自慢するのですが、ここで描かれているのはその王宮にあった「オルゴール時計」の話です。
時計が鳴り出すと、機械仕掛けの小さな兵隊の人形が現れてぐるぐる行進し始め様子にハーリはすっかり驚き、夢中になってしまうのです。
そんなハーリは第4曲の「戦争とナポレオンの敗北」で、ハーリ一人の力でナポレオン軍を打ち破った話をはじめます。そのお話は3つの部分から成り立っていて、まずは勇ましくフランス軍が行進してきて、さらには英雄ナポレオンが登場するのですが、それもあっという間にハーリによって打ち破られるというのです。
そして、最後の第6曲では、ナポレオンに勝利したハーリは華々しくウィーンの宮廷に凱旋することになるのです。面白いのは、ここで描かれている皇帝や宮廷のお偉いさん達は、すべてハーリというハンガリーの素朴な農民が夢想した姿として描かれていることです。そして、それは第4曲で描かれるナポレオンにも共通しています。
小さな主題が馬鹿馬鹿しいまでの大仕掛けで表現されていく様子は、それが明らかに冗談音楽であることを示しているのですが、その冗談の向こう側に素朴なハンガリの農民の気質が刻み込まれていることにも気づかされるのです。
そして、その様なハンガリーの農民の真実の気質が美しく歌い上げられているのが、第1曲,第3曲,第5曲です。
つまり、この組曲はその様な真実と冗談のようなイマジネーションが交互に織りあわされているのです。
第1曲の前奏曲には、ただのホラ話ではなくて、それを生み出した民族の誇りが描かれています。
第3曲の「歌」はハンガリー民謡の「こちらはティーサ河、あちらはドゥーナ河」から編曲されたもので、民族がもつ深くて高貴な愛情が描かれています。
そして第5曲は「間奏曲」という素っ気ないタイトルがつけられ、コダーイ自身も「特に説明はありません。」と素っ気ないのですが、個人的にはこれがこの作品の中の白眉だと考えています。
私はこの音楽を聞くたびに、涙をふりはらいながら踊り続ける男の姿が浮かぶのです。
冒頭の旋律はヴェルブンコシュという、若者を軍に募るための舞曲によるものだと言うことなのですが、それがこの音楽に涙を感じさせる要因なのかもしれません。そして、ホルン・ソロに始まる素朴な美しさにあふれたトリオの部分がその涙にさらに深みを与えています。
この世への別れを告げる慟哭の歌
この1961年にフリッチャイが録音した「ハーリ・ヤーノシュ」組曲には驚かされました。いや、そんな生易しい言葉ではその衝撃は表現できません。「度肝を抜かれた」と言った方がいいのかもしれません。
そして、その驚きというか衝撃というか、そう言う感情は、彼が1954年に録音したもう一つの「ハーリ・ヤーノシュ」組曲を聞くことで、さらに増幅されてしまいました。
この二つの録音の間にはわずか7年の時しか隔たっていません。
しかし、その音楽は、とうてい同一人物の手になる演奏とは信じられないほどの違いがあります。そして、その信じがたいほどの違いが1958年に発症した白血病と関連があることはフリッチャイを知る人には容易に想像できることです。フリッチャイの最後のコンサートは1961年12月のロンドン・フィルハーモニー管弦楽団への客演でした。ですから、同年の11月に録音されたこの「ハーリ・ヤーノシュ」組曲は彼の最後のスタジオ録音だった可能性があります。
フリッチャイが白血病との闘病によってその芸風が大きく変化したことはよく知られていることですが、これほどにその変化の大きさを思い知らされる録音はありません。
1954年に録音された「ハーリ・ヤーノシュ」組曲は、基本的には客観性を崩すことなく、さらには若さゆえの覇気に満ちた演奏です。それは、同時期に録音された2つの舞曲(「ガランタ舞曲」とマロシュセーク舞曲)においても同様です。特に、舞曲に関しては、舞曲という枠をはるかに超えた、堂々たる管弦楽曲として演奏されています。
そして、見落としてはいけないのは、それがいわゆる「即物主義」という簡単な括りを許さない薫りを失っていないことです。
たとえば、こういうコダーイの作品と言えば真っ先に思い浮かぶのはセルやドラティです。セルもドラティもともにコダーイとは同郷の指揮者なのですが、彼らはハンガリーを離れてアメリカに根を張った指揮者です。もちろん、その根っこの奥にはヨーロッパの伝統に結びつくものがあるのですが、それでも花を咲かせたのはアメリカの土の上でした。
それ故に、彼らは作品の客観性を突き詰めて、実に立派な管弦楽作品として聞き手に提示しましたが、その音楽はどこか国籍不明のコスモポリタンなものになっていました。もちろん、それはそれで聴き応えはあるので、何の文句はありません。
しかし、フリッチャイは1954年にヒューストン交響楽団の常任指揮者に就任したことはあるのですが、わずか数ヶ月で楽団側と対立して辞任してしまいます。つまり、彼はヨーロッパという大地から離れては音楽がやれなかった人なのです。
ですから、彼がコダーイの音楽を演奏するときには、時代の潮流を意識しながらも、それでもその音楽が生み出された土の薫りが自然と匂い立ってくるのです。例えば、「ハーリ・ヤーノシュ」組曲の前奏曲などにはどこか不思議な「悲しみ」のようなものを嗅ぎ取ることは不可能ではありません。
しかし、それが1961年の「ハーリ・ヤーノシュ」組曲になると、そこには時代の流れに合わせた即物的な客観性などと言うものはどこを探しても見つけることは出来ません。そして、逆に1954年にの録音からはかすかに感じ取れた主観性が全開となって聞き手に覆い被さってきます。
そして、この録音を聞きながら、私の脳裏にだぶってきたのが彼の盟友でもあったバルトークの弦楽四重奏曲の第6番でした。
あの、音楽はヨーロッパを去りいくバルトークが万感の思いを込めて書き上げた作品であり、その4つの楽章には全て「Mesto」という言葉が記されていました。それはまさに「悲しみ」につつまれた音楽であり、その最終楽章には速度記号の表示もなくただ「Mesto」とだけ記されています。
そして、このフリッチャイの演奏もまた最初から最後まで「Mesto」によって覆い尽くされていて、そのためにいかなるデフォルメも躊躇うことなくさらけ出しています。そして、それはナポレオンとの戦いや戴冠式においてもその悲しみは薄らぐことはありません。
それ故に、第3曲の「Song」はただの望郷の歌ではなく、まさにこの世への別れを告げる慟哭の歌のようにすら聞こえます。
それにしても、ここにこのような凄い録音があったとは全く知りませんでした。この録音の事を示唆していただいた方には心から感謝いたします。
と言うことで、どちらから最初に紹介しようと今悩んでいるところです。(^^;
最初は値打ちを持たせて54年録音の方を最初に持ってこようかと思ったのですが、やはり真打ちは最初から出しましょう。その後に、54年に録音された方を紹介しますので、是非とも聞き比べてみてください。
もちろん、53年と54年に録音された2つの舞曲の方も忘れずにいつかアップします。
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